柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

平成最後のカレーコロッケ

「平成最後の日の夕食はコロッケにしよう」と思っていたら、前日にコロッケが食べたくなってしまい、フライングしてコロッケを作った。

 

いつもはタマネギとジャガイモのコロッケだけど、今回はカレー粉も混ぜてカレーコロッケにしてみた。

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パン粉に黒胡椒を挽いて混ぜてみたらなかなか良かった。いつも揚げる直前まで私が作り、揚げるのはわが家の揚げ物大臣(夫)

食べた瞬間、思わず「なつかしい」という言葉が口をついて出た。小学生のころに近所の祖父母の家でカレーコロッケを食べた記憶が急によみがえった。そんなこと、記憶の片隅にもなかったはずなのに。

 

父方の祖父母の家は文房具屋兼本屋だった。父は三男だったけど、長男と二男の嫁が店番を手伝わないので、嫁に来た私の母は毎日店番をすることになった。当時は土曜日も小学校があり、午前だけで終わる「半ドン」。平日は授業が終わると自宅に帰っていたけど、土曜日は母が店番中なので、小学校から店に行き、そこで昼食をとっていた。

 

祖父母もおじもおばも母もみんな店番や配達で忙しいので、昼食は商店街で買った惣菜。買って来た薄っぺらいカレーコロッケに、醤油だったか、ウスターソースだったか、さらっとした液状の調味料をかけて食べていた記憶がある。

 

思えば、祖父母の家で食べたものはどれも「なつかしいおいしさ」が詰まっている。

 

ポテトサラダ(ポテサラ)に醤油をかけて食べるのも、この昼食で覚えた。これはいまだにやめられない。ポテサラに醤油をかけると立派なおかずになるので、「ポテサラ定食」があってもいいと思っている。

 

少し余裕があるときは、素麺を茹でてくれた。冷たいそうめんを、作り立ての温かいつゆにつけて食べる。これが好きで、私はいまだに家で素麺を食べるときは、温かいつゆを作ってしまう。

 

カレーコロッケをひとくち食べただけで、今は閉店してしまった祖父母の店で漫画をタダ読みしていたことや、亡き祖母が好きだった菓子、さらには小学校でのできごとなど、祖父母の店でカレーコロッケを食べていた時代のありとあらゆる思い出が芋づる式によみがえってくる。

 

明日から新元号。秋には赤子が生まれいづる。家族3人でどんな味の思い出が増えていくのだろうか。

 

ちなみに、私はポテサラに醤油をかけるけど、夫は何もかけない。私はカレーコロッケに醤油をかけるけど、夫はソースをかける。赤子が大きくなったときに「ポテサラとカレーコロッケには醤油だよね!」と言うだろうか。はたまた、「醤油をかけるなんて邪道!」と言われるだろうか。

主役はだれか

大盛りライスと濃いカレー」で、「日本のごはんの消費量が減っている要因の一つは、おかずの味付けの薄さにある」と、健康志向による減塩の影響について書いた。

 

加えて、最近になって「おいしくないごはんは塩分を増やす」ということにも気づいた。

 

炊飯実験で古米を食べた。粘土のような香りがしてつらかった。普段は白ごはんだけでも箸が進むけど、この時はおかずを食べる量が増え、使う醤油の量が増えた。そうでないと、ごはんを食べ進められなかった。

 

つまり、

 

「塩分が多いおかず」⇒「ごはんの消費が増える」

 

「おいしくないごはん」⇒「塩分の摂取が増える」

 

ということだ。

 

ならば、

 

「おいしいごはん」⇒「塩分の摂取は減る」

 

ということなのだけど、以前にも書いたように、

 

「塩分の摂取が減る」⇒「ごはんの消費が減る」

 

ということにもなるのではないだろうか。

 

でも、ごはんがおいしいのだから、ごはんの消費は増えるだろう。でも、塩味がないと、いくらなんでも白ごはんだけで何杯も食べないよなあ。ならば、おいしいごはんに味の濃いおかずをぶっかければいいのか。でも、それでは塩分を避ける人がごはんをあまり食べないよなあ……などなど、無限ループに陥った。

 

そんなとき、やはり梅干しとか佃煮とか漬物とか、塩味が強いけどちょっとだけつまんで白ごはんをかき込めるシンプルな「ごはんのおとも」は、ごはんとの相性が最強だと改めて実感した。

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梅干し1粒でごはん1杯

 最近の「ごはんのおともランキング」などを見ると、「松坂牛大トロフレーク」とか「かけるピリ辛ラー油」とか「老舗料亭のビーフカレー」とか「とろける煮豚」などがあるけど、それって「ごはんのおとも」ではなく「ごはんのおかず」ではないだろうか。

 

「ごはんのおとも」はあくまで「ごはんの味を楽しめる」もの。「桃太郎」の主人公は「おとも」のサルやキジではないように、「ごはんのおとも」も主人公は「おとも」ではなく、ごはん。おいしいごはんの消費をアップさせるポテンシャルたっぷりの「ごはんのおとも」を改めて見直してみたい。

サプリと鼻血

かつての私はいろいろなものが足りなかった。

 

鉄分がたりない、白血球がたりない、赤血球がたりない、血小板がたりない、コレステロールがたりない、血圧がたりない…。ひどいときは健康診断で12項目において足りないものがあった。

 

新聞社に入社したばかりのころは血圧が40〜70で、警察担当、いわゆるサツ回りをしていた私は、警察の方から「生きてるか?」「食ってるか?」とよく声をかけてもらっていた。

 

その後、さまざまな数値は回復したものの、あいかわらず、低血圧で鉄欠乏性貧血だった。

 

ところが、妊娠が発覚してから「妊婦は鉄分不足になりやすい」と知った。もともと鉄分が足りてないのでまずいなあと思い、食品で摂取するように心掛けてはみたものの、それだけでは心もとない。なぜなら、コマツナや納豆などはもともと食べている。もっと鉄分をとらなければならない。

 

それでも、サプリメントには手を出したくない。食べものを栄養として見ることがあまり好きではない。栄養バランスはたしかに大切だけど、わたしは栄養バランスのために食べているわけではなく、おいしいから食べているということを大切にしたい。

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食べものは栄養じゃなくておいしさで選びたい

 とは言え、自分のポリシーで子どもに迷惑をかけることはできない。血流が悪いと子どもはお腹の中で苦しくなってしまうと知り、子どものためにも鉄分をとろうと考え、一生懸命さがしにさがして、無添加物でオーガニックでナチュラルなサプリメントを飲み始めた。飲むと鉄の味がする。ザ・鉄分。

 

ところが、サプリを飲んでから1カ月以上もずっと鼻血が止まらない。だらだら出るのではなく、鼻をかむと血が出たり、お風呂に入ると血がたらりと出たり。

 

鼻血が出るときは、サプリを飲んだときと同じ鉄の風味がする。もしかしたら、人によって体内での鉄分の保有可能量は違うのかもしれない。

 

サプリで飲んだ鉄分はすべて鼻血で出てしまっているのではなかろうか…と思いながらも今日もサプリを飲み、鼻血が止まらない。

マイコンをなめていた

同じお米であっても炊きあがりは使う炊飯器によって変わる。

 

「おいしい」炊け上がりの炊飯器の「おいしい」は各メーカーが目指す「おいしい」になるため、やわらかめに炊ける炊飯器もあれば、硬めに炊ける炊飯器もある。

 

5万円、10万円以上のIH炊飯器や圧力IH炊飯器などが登場する中、マイコンは安さ重視の炊飯器という位置づけになっている。

 

しかし、夫のマイコン炊飯器がすごい。夫が20歳のころに東京で一人暮らしをしているとき、秋葉原のラオックスで友だちのコテ君と一緒に買ったTOSHIBA製。夫はもうすぐ35歳。15年愛用し続けた炊飯器は見るからに歳月を感じる。

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夫が15年前に購入してから愛用してきたマイコン炊飯器

当初、私はマイコンをなめていた。

夫と結婚してから炊飯比較実験をするためにTIGERの安くも高くもないIH炊飯器を2つ同型で揃えたので、炊飯器でごはんを炊くときはTIGERを使っていた。夫のマイコンは夫が好きな玄米を炊くときや、炊き込みごはんなど炊飯器ににおいがついてしまいそうな炊飯のときに使っていた。

 

ところが先日、やたらと疲れていた私は、なぜかうっかり夫のマイコンで夕食のごはんを炊いた。すると、絶妙な炊き加減でおいしい。

 

メーカーの癖でお米の味が変わってしまわないように、炊飯器で炊く時はいつも冷蔵庫でじっくり浸水したお米を早炊きモードで炊いているのだけど、2年ほど前に買ったIH炊飯器の早炊きよりも、15年前に買ったマイコン炊飯器の早炊きのほうがおいしいとは驚いた(われわれ夫婦の好みでは)。

 

一方で、高級炊飯器や最新炊飯器で炊いたごはんを食べて「おいしい!」という体験をしてみたいけど、まだできていない。以前にイベントで最新高級炊飯器で炊いたごはんを食べたけど、あんまり…だった。自分で買えばいいじゃないか!と言われそうだけど、炊飯器の中で何が起こっているのか見えない炊飯器はおもしろくないので、5万円も10万円も払って買う気にはなれない。

 

ちなみに、夫によると、このマイコン炊飯器は「愛情によっておいしく炊けるように変化した」らしい。そんなわけあるかいっと思っていたけど、夫が東京の風呂なしアパートに住んでいた時代から、故郷に帰ってもずっと春夏秋冬このマイコン炊飯器でごはんを炊き続けて生活を共にしてきたんだなあと思うと、もしかしたら本当に夫が言うようなこともあったりするのかもしれない…

「香り枝豆」と「豆ずり餅」

福島県・猪苗代町の町史の中に「釜井ほそば」という品種を発見した。わら細工用の品種だったそうだけど、わら細工の衰退とともに品種も衰退してしまったようだ。釜井ほそばの他にも、今では作られていないだけでなく、その名前すら忘れられてしまった品種がたくさん載っていた。

 

稲に詳しい農学者・佐藤洋一郎さんが「文化の多様性は生物多様性を担保する」とおっしゃっていて、私はこの言葉が大好きだ。つまり、わら細工という文化があるからこそ、わら細工に適した品種も存在し続ける。

 

先日、米農家である夫とお兄ちゃんに近所の飲食店「ドライブイン磐尚」から「香り枝豆」の栽培の依頼があった。この店の「豆ずり餅」はおいしいと評判。枝豆で作った餡を餅に絡める、いわゆる「ずんだ餅」だ。

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「ドライブイン磐尚」の香り高い「豆ずり餅」。手打ち蕎麦もおいしい

ドライブイン磐尚の豆ずり餅は、香り枝豆でないとダメらしい。ところが、これまで作っていた農家が高齢で栽培をやめてしまったので、夫と義兄に声をかけたそうだ。夫と義兄が香り枝豆の栽培を引き受けたことで、「豆ずり餅」の食文化や「香り枝豆」という品種が守られていく。農業ってなんて壮大な仕事なんだ。

 

昨年は、農家とお米の種交換をしたり、取材先で種を購入したり、夫と一緒に訪れた神社で古い品種の種籾を譲ってもらったりと、数十品種ほどの古い品種やめずらしい品種の種籾をほんの少量ずつ入手した。来週は苗箱に種まき。どんな多様な稲姿に出会えるだろう。生物多様性から文化の多様性が生まれたらおもしろいなー

あんパンの

私が購読している新聞には、俳人の坪内稔典さんがさまざまな人たちの俳句を1日1句紹介する「季語刻々」というコーナーがある。

 

先日、こんな句が載った。

「餡パンの 中の隙間や さくらさくら」

 隙間のあるパンが好きだという坪内さんは、この句に共感したそうで、「そういうあんパンは、どちらかというと安いパンなのだが、指でパンを押し、あんをその隙間に伸ばすのが私のひそかな快楽である」と書いていた。これを読んで共感する人も多そうだ。

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1874年に生まれたあんパンは「日本食」と言う人もいる

 そして、「サクラの候はあんパンがことにうまい」とも書いている。

 

なぜ春にあんパンなんだろう。店では「桜あんパン」なるものも見かけるけど、桜が咲く時期にあんパンがうまい理由がどうもわからない。新小豆の季節でもない。

 

調べてみると、1875年にあんパンにゴマやケシの実ではなく桜の塩漬けを乗せたものが考案され、花見のときに明治天皇に献上され、宮内庁御用達になったらしい。「桜あんパン」誕生のきっかけはわかったけど、それが「桜の季節といえばあんパン」につながるのだろうか。桜を見ながらあんパンを食べていると、桜の塩漬けとリンクするということだろうか。桜の季節にあんパンがおいしい理由が知りたい。

 

俳句も食文化の変化とともに移ろう。「カレーパン」とか「ラーメン」が登場してもおかしくない時代なのだなあと思うと同時に、歳時記を見ると、「生節」とか「あけび」とか「はったい粉」とか「葛湯」とか「卵酒」とか「粟飯」とか、目にする機会が少なくなっている食べものがたくさんあることにも気づき、なんだかちょっぴりさみしい気分になった。

 

というふうに、ずいぶんと抑えめに書いたけど、自宅ではもっと過激な発言を連発し、夫からは「思想が強すぎる」と言われた。新聞社に入社した直後、長老の校閲担当者から「自分の本棚を人に見せるな。思想がばれるぞ」と言われたことをなぜか思い出した。

タマネギの味噌汁

「おふくろの味」という言葉がある。

 

私は母の料理が大好きで、特に煮物系は母の味を再現しようとしている。中でも、煮魚は外食では「甘すぎる」と感じることがほとんどなので、実家に住んでいるときは家以外では積極的に煮魚を食べる気がしなかった。

 

でも、味噌汁だけは例外だ。

 

母は味噌汁に必ずタマネギを入れる。

 

私がタマネギの味噌汁を好まないことを知っている母は、いま私が実家に帰るとタマネギを入れない味噌汁を作ってくれるけど、母は「味噌汁はタマネギを入れないと物足りない」と言う。

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ごはんの脇には必ず味噌汁がないと落ち着かない(写真はフリー素材)

タマネギを入れた味噌汁を好まないのは、味噌汁が甘くなってしまうから。味噌汁は、しゃっきりしたものがいい。

 

自分では料理で半端になった野菜やキノコを味噌汁の具にすることが多いけど、シジミだけとか、ナメコだけとか、豆腐とワカメとか、大根と油揚げとか、具材は1、2種類のシンプルな味噌汁が好きだ(そういえば、ジャガイモを入れるときはタマネギが入っていてもいいよねと思えるけど、タマネギの量は少なめがいい)。

 

一方で、姉は息子や娘たちにタマネギの味噌汁も作ることもあるらしい。

 

家庭の味は必ずしもすべてが祖父母から孫、父母から子へと受け継がれるものではない。嗜好や手間や価値観や原材料の有無などの問題で、受け継がれるものもあれば、受け継がれないものもある。

 

姉の子どもは大人になってからタマネギの味噌汁を作るかもしれないし、作らないかもしれない。私の子どもがタマネギを何かの機会に知って、作るようになるかもしれないし、作らないかもしれない。

 

いま私たちが何気なく食べている、肉じゃがとかきんぴらごぼうとか、いわゆる「定番料理」は、家庭によって微妙な違いはあれど、いかにして「定番」になり得たのだろうか。タマネギの味噌汁のことを考えると、時代を経てもなお愛されている「定番」のすごさを思い知る。