柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

ぐるてんふりーのからあげ

1歳9ヶ月の娘が先日味噌汁に入っていた焼き麩を食べたところ、30分後に両目の周りが赤くなって腫れ始めた。どんどん腫れて目が開かないほどに腫れた。同時に両脚全体に蕁麻疹ができて泣きながらかき始めた。

 

急いで病院へ行き、ひとまず薬をもらい、2日後には完全に腫れは引いたが、後日アレルギー外来で検査をしたところ、小麦アレルギーだった。

 

1歳になったばかりの時に一度だけうどんを2〜3本食べさせてみたら何ともなかったので小麦はクリアしたと思っていた。しかし、医師によると2回目に食べた時に発症する場合もあるらしい。

 

ところが、うどんを食べた後、なかなか2回目の小麦を食べる機会がやってこなかった。私が小麦を食べる機会がなかったので自動的に娘も小麦を食べる機会がなかったのだ。そして、やっとやってきた2回目の小麦が1歳7ヶ月の時に食べた味噌汁の焼き麩だったというわけだ。

 

自宅では主食が365日×3食ほぼお米なので小麦アレルギーだからと言って日常で困ることは今のところない。夏の到来物の素麺で作る「素麺いなり」や「茄子素麺」(いずれもごはんのおかず)が食べられないくらいだろうか。一つだけ困りそうなのは、我が家では毎年クリスマスにライスコロッケを作るのが定番となっていること。まだ揚げ物は食べさせていないが、大きくなって揚げ物も食べるようになった時には米粉米粉パン粉を使えば問題ないし、クリスマスの定番メニューを変えてもいい。

 

日常的に困るのは給食だ。地域の小学校の給食は米飯が週3日しかない。週1回はパン、週1回は麺。娘が小麦アレルギーだと分かる以前から、町の担当課には子どもの健康や味覚形成などの観点から完全米飯給食(週5日米飯)を要望しているところだった。

 

娘が小麦アレルギーとわかってから担当課に「パンや麺の日は除去食対応になるのか」と問い合わせたところ、「今は町内に小麦アレルギーの子がいないのでお子さんの入学前にご相談になる」「おそらくごはんかおむすびをご持参いただくことになると思う」と言われた。

小麦アレルギーが乳製品や卵のアレルギーと違うのは「主食」である場合が多いということ。「牛乳がない」「おかずが一品ない」ことと、「主食がない」ことはだいぶ違う。するとやはり主食の場合は代替食が必要となる。しかし、学校では代替食を用意できないので家庭で持参してくれということらしい。そこまでして輸入小麦のパンや麺を「食育」として教育の現場で出す意味は何なのだろう…

 

先日、ロシア出身のキリーロバ・ナージャさんの「からあげビーチ」という絵本を買った。ベジタリアンや卵アレルギーや小麦アレルギーやハラルなど、世界にはさまざまな食習慣があることを可愛いイラストとユニークなストーリーで紹介している。

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小麦を使わない唐揚げについて「グルテリンフリーっていうんだ。」「ニューヨークとかで はやってるんだよ。」「ぐ…ぐるてんふりー?おしゃれだね!」などと小麦粉の衣をまとった唐揚げと米粉(?)の衣をまとった唐揚げがおしゃべりしている。

 

ポジティヴな表現に救われた思いになった。

 

ナージャさんは「ナージャの5つのがっこう」という絵本も出版していて娘も「ナージャナージャ」と言ってこの本を気に入っている。ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、日本とそれぞれの学校での「あたりまえ」はバラバラで、自分の「あたりまえ」は他の国や他の人の「あたりまえ」ではなく、そもそも「あたりまえ」なんてないんだと気付かされる。むしろ、「あたりまえ」に縛られてはつまらないよねと思えてくる。

 

娘が成長してなお小麦アレルギーが治らなかったとしても、小麦アレルギーであることや人との違いに劣等感を持つことなく、食事を楽しんでもらえたら嬉しい。

ごはんの長時間保温禁止運動

先日、ある飲食店で定食を頼んだら、ごはんが黄色かった。

 

そして保温臭がしてごはん粒がダマになっていた。厨房を覗くと大きな保温ジャーからごはんをよそっていた。昼の開店時間に入店したのにこのごはんの状態ということは、おそらく昨日炊いたごはんではないだろうか。昨日炊いたごはんでないならば、今日の早朝に炊いたごはんかもしれない。いずれにしても長時間保温による劣化であることは間違いないように思う。「いつ炊いたごはんでしょうか?」と質問したかったが、感じが悪いのでやめておいた。

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食べ進めるのがあまりにもつらいので、「私はいま海外の日本食レストランにいる」と思うことにした。トルコの日本食レストランで食べたトルコ産短粒米の鯖の塩焼き定食もこんな感じの食感だった。ベトナム日本食レストランで食べたベトナム産日本米の鯖の塩焼き定食もこんな感じでさらにぐちゃりとしていた(同じ米を使った別の店は意外においしかったので炊き方や保温時間は重要すぎる)。タイの日本食レストランで食べたタイ産日本米もこんな感じだった。

「おいしい店」と聞いて食事に行き、たしかにおかずはおいしいがお米はおいしくないというパターンに出会うと、お米が添え物の立ち位置に思われているようで悲しくなる。

 

以前に鯖の味噌煮がおいしいと評判の店に行ったら、ごはんが今回と同様に変色してダマになっていた。昨日炊いたのかな…と思えた。その店の壁には「ごはんを残したら罰金」という内容の張り紙があり、たしかにごはんを残すことは良くないけど、ならば保温劣化したごはんを出すのはどうなんだろう。

 

先日、テレビ東京たけしのニッポンのミカタ!」という番組に出演させていただいた時、お米好きで知られるビートたけしさんが「店で料理がうまくてもごはんがまずいとガッカリする。料理がいまいちでもごはんがおいしいと満足」というようなことをおっしゃっていて、心の中で激しく同意した。

 

お米の消費拡大のためにはお米がおいしいことが重要だと改めて感じる。そのためには、まとめ炊きしての長時間保温はぜひやめてもらいたい。保温劣化したごはんはつらい。ごはんの長時間保温禁止運動を展開したいとマジメに思っている。

お米の精米年月日

お米の精米年月日の表示が変わり、スーパーで販売されているお米の精米年月日が軒並み「4月下旬」になっていた。

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食品ロス削減や物流の効率化という狙いは分かるけど、21日精米と31日精米では10日間も違う。実際にいまお米を買おうと思っても精米年月日が4月下旬の最初なのか4月下旬の最後なのか気になってしまう。31日なら6日の経過だけど、21日なら16日も経過している。

ちなみにバンコクの日本米専門店では、精米年月日+午前・午後まで記載していて、買い手としては「お米を丁寧に扱っているんだなあ」という安心感が得られた(しかも低温庫陳列!)

新しい表示はお米のおいしさとは逆行しているように思うのだけど、どうだろう。購入したお米が劣化していておいしくなかったらますます米離れにつながってしまうのでは…と心配でならない。

ミルキークイーンの可能性

どちらかと言うと低アミロース米が得意ではない。

 

もちろん好きな低アミロース米もある。個人的においしいと感じる低アミロース米は、やわらかくてもちもちしていながらも、しっかりとした粒張りがあって外硬内軟。

それでも、たくさんは食べられない。どっしりと重たいのでいつもより早くお腹いっぱいになってしまうのが残念でならない。

 

そして、毎日3食のごはんが低アミロース米だとつらい。以前にラオスに行った時、ごはんが毎日糯米で胸焼けがした。低アミロース米は糯米ほどではないが、あの感覚に近いものもある。

 

そういうわけで、日常のごはんで低アミロース米を食べる頻度は少ない。そして、おいしい低アミロース米は白飯だけでそのまま食べるのが一番だと思っている。味が濃くて主張が濃い低アミロース米はおかずとの相性が難しい。どんなおかずと食べてもちぐはぐさを感じてしまう。私だけかもしれないけど。

 

そうは言ってもお米は精米したら賞味期限は2週間ほどだと思っているので、たまにしか食べないとお米が劣化してしまう。今年の福島県猪苗代町「つちや農園」の低アミロース米「ミルキークイーン」はおいしかったが、冷蔵庫にまだ残っている。そこであっさりとした食味のお米に2割混ぜたり3割混ぜたりしてブレンド米を作ってみたら新しいおいしさが生まれた。

 

そんなわけでミルキークイーンがブレンド米要員になっていたのだけど、先日福島県沼尻温泉「沼尻高原ロッジ」で料理長をしている黒澤俊光さん(通称・親方)が、つちや農園のミルキークイーンで鯖棒鮨を作ってお裾分けを持ってきてくださった。

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鯖棒鮨は一般的な鮨と違ってお米がもっちりとしているのが特徴。傷みづらいように米粒の隙間から空気を抜いて作るらしい。過去に食べたことがある鯖棒鮨はたしかコシヒカリだった。低アミロース米の鯖棒鮨は未体験だったのでどんな味わいか非常に気になった。

 

さっそく食べてみると、思わず「な、熟鮓!」。軟らかいミルキークイーンで鯖棒鮨をこしらえると熟鮓のような食べ心地なるという驚きと感動。親方はやはりすごい。そしてお米はおもしろい。授乳中で日本酒が飲めないのがつらすぎた。

 

そして、親方はミルキークイーンでこしらえたいなりずしも持ってきてくれた。

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ミルキークイーンでいなりずし?!と驚いたけど、食べてみると、おこわのようにもちもちするのではなくてごはんが口の中で溶けていく。しかし、あまじょっぱさと粘りのためか、どこかおこわ感がある。ごはんに混ぜ込まれたひじきと大豆と白胡麻が合う。

 

基本的に弾力があって粒立ちが良いごはんが好きだけど、このいなりずしは、小ぶりなサイズ、稲荷とごはんの味、ごはんや大豆の食感のバランスが絶妙でとてもおいしかった。このバランスが少しでも違っていたら、もしかしたらいまひとつに感じられたかもしれない。

 

鯖棒鮨といなりずしにミルキークイーンを使ってみるという親方の腕とセンスはすごい。お米の新たな可能性を見つけるためには「攻めの姿勢」が大事なのだと学んだ。

目でお腹いっぱい

1歳8ヶ月の娘はときどき不思議な食べ方をする。

 

先日は煮たじゃがいもをいくつか皿に入れて出したら、じゃがいもを一つ一つ丁寧に皿から取り出してテーブルの上にポイポイと捨てていき、皿に一つだけ残したじゃがいもを食べていた。

 

別の日は、煮た厚揚げをいくつか皿に入れて出したら、厚揚げを一つ一つ丁寧に皿から取り出してテーブルの上にポイポイと捨てていき、皿に一つだけ残した厚揚げを食べていた。

 

たくさんあると目でお腹がいっぱいになってしまうのだろうか。

 

たしかに、鮨屋のカウンターで一つ一つ出される鮨を食べていくと、知らず知らずのうちに結構な量の鮨を食べることができるが、いっぺんに出されたら、もしかしたら食べきれないかもしれない。

 

ドカ盛りごはん1杯は食べられなくても、同じ量のごはんを2〜3個のおむすびにしたら食べられるという人も多いように思う。たとえふわりとむすんでいても、ごはんが少しずつコンパクトにまとまると量が少なく見えるのだろうか。

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最近はおむすびがお米の消費拡大の救世主であるような気がしている。

ベジタリアンは野菜が好きか

夫はいわゆるラクベジタリアンだ。

肉と魚と卵を食べない。乳製品と蜂蜜は食べる。最近になって卵だけ解禁したが、肉と魚は一切食べない。

 

私は肉と乳製品が食べられないのでわが家では自然と肉と魚と乳製品がない食卓になった(たまに夫限定メニューでチーズを使ったり、私と娘限定メニューでツナやしらすを使うが)。

 

飛行機に乗る時も夫はヒンズーベジタリアンミールを選び、私はジャイナベジタリアンミールを選ぶ。海外のレストランで食事を選ぶ時はvegetableの項目から選ぶなど、とにかくvegetableを探す。

 

vegetableとは言うまでもなく野菜である。

しかし、先日、夫から衝撃の言葉を聞いた。

「野菜は好きじゃない」

ベジタリアンなのに野菜が好きじゃないの?と聞き返して、はっとした。

 

たしかに、「野菜が好き=ベジタリアン」ではないし、「動物性を食べない=野菜が好き」とは限らない。調べてみると、vegetablesと複数形になると「植物性」という意味だそうなので、「動物性を食べない=植物性を食べる」という意味かと納得。ベジタリアンと聞くと野菜ばかり食べているイメージがあったが、必ずしもそうではない。

 

夫は何が好きなのかと言えば、炭水化物。夕食に夫が大好きなライスコロッケを作った翌日は、弁当のおかずにライスコロッケを入れて、玄米を詰めて持っていく。つまり、ごはんのおかずがごはん。定食屋では焼きそばと白飯を注文して「焼きそば定食」を作り、焼きそばをおかずに白飯を食べている。夫はベジタリアンではなく「タンスイカブタリアン」なのだと思う。私も炊き込みごはんをおかずに白飯を食べることもあるので、似た者同士なのかもしれない。

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ちなみに1歳の娘は水をよく飲む。風呂の湯(未使用)も桶ですくってがぶがぶ飲むし、私の歯医者について来てもらった時は自動で注がれるコップの水を飲んでは注ぎ飲んでは注ぎ…と心配になるほどに飲み続ける。

 

わが家はお米と水があれば幸せなのでは…というのは冗談だけど、ちょっとだけ本気でそう感じることもある。

「ごはんのおとも」に合わないお米

「ごはんのおとも」は味付けが濃いものが多い。味付けが濃いほうがごはんが進むのはたしかにそうなのだけど、ごはんのおともは必ずしもすべてのごはんのおともではない。

 

先日、おいしいお米に出会った。食感が良く、特に旨味が濃い。咀嚼中に舌で旨みを感じるだけでなく、飲み込む時にも喉で旨味を感じ、飲み込んだ後も旨味の余韻が口の中に広がる。白飯だけで美味しい、まさにおかずいらずのお米だった。

 

白飯だけで食べ終わってしまいそうだったので、蕗味噌やツナピーマンなど「ごはんのおとも」「ごはんドロボー」とも言えるおかずにも手を伸ばしたのだけど、白飯の旨味が感じづらくなることを残念に感じるとともに、そう感じてしまってごめんなさいとごはんのおともたちに対して申し訳ない気持ちになった。そして、口中調味どころか、両者のダブルの旨味によってくどさを感じた。誰も幸せにならない組み合わせだと思った。

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ならば、ごはんのおともに合うごはんはおいしくないお米かと言えば、そういうわけでもない。ごはんのおともに合うお米は主張しすぎないお米がいい。おいしくないお米と主張しすぎないお米は違う。おいしくて主張しすぎないお米もある。ごはんのおともと相乗効果でおいしいお米ならば、ごはんもごはんのおともも私もみんなが幸せになる。

 

テレビやネットなどで「究極のごはんのおとも」として紹介されるものがあるけど、そのごはんのおともが合うごはんは主張しすぎないごはんのほうが良いとなると、主役はごはんなのか、ごはんのおともなのか、一体どちらなのか分からなくなる。

 

「究極のごはんのおとも」の特集があるならば、「究極にごはんのおともに合うお米」の特集があってもいいのではないだろうか。