柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

家訓「ごぼうは作らんにぃ」

嫁ぎ先の「つちや農園」はお米がメインの農家で、夏から秋にかけては色とりどりの「カラー」という花も生産・出荷している。野菜は、ほんの少しだけ飲食店に卸したりするけど、ほぼ自家消費。お父ちゃん(義父)が「家庭菜園」と呼ぶには立派すぎるビニールハウスで野菜づくりを楽しんでいるため、特にジャガイモや夏野菜は食べきれないほどもらえる。今年の冬は葉ものが高値だったけど、白菜やキャベツやネギなどを頻繁にもらえたので、豆腐とキノコを買うだけで鍋料理が楽しめた。

これに味をしめて夫に「ごぼうを作りたい」と提案してみた。きんぴらごぼうは、ごはんもお酒も進み、毎日食べても飽きないという素晴らしく優秀なおかず。きんぴらごぼうのためにスーパーでごぼうを頻繁に買っているので、自家栽培できたらいいなあと思ったのだ。

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ところが、「作らんにぃ(作れない)」と言われた。

この集落の土壌は粘土質なので栽培に適さないという理由と、「土屋(家)は昔からごぼうを作らんにぃごどになってんだ。おらぁ婆さまからそう聞いたぞ」と夫。

さらに、「新田(家)はきゅうりが作らんにぃ」という。そのため、同じ集落に3軒ある新田さんの家には、気を利かせたご近所からきゅうりのおすそ分けが集まる。ちなみに、隣の集落では、「渡部(家)がきゅうりを作らんにぃ」らしい。その理由や由来が知りたくて近所で聞き回ってみたが、誰も知らない。「何かの願掛けでねえがぁ」とのことだった。由来も理由もわからないのに、集落の中で暗黙の了解となっていて、土屋家も新田家も渡部家も代々「作らない」ことを守っているのが不思議だ。「食べない」願掛けではなく「作らない」願掛けというのは都合が良いように思えておもしろい。

ただ、土屋家の問題は近所でごぼうを作っている家がほぼないということ。きゅうりは多くの家が作っているため、新田家には大量のきゅうりが集まる。きゅうりを作っている家よりもきゅうりが集まり、どう食べ切ればいいのかと頭を悩ませているらしい(と分かっていても、なぜかみんなおすそ分けする)。

一方で、土屋家にごぼうの到来物はない。夫はごぼうの葉を見てもごぼうだとわからず、「農家なのに」と言われたこともあったそうだが、「すったこと言ったって作らんにいんだからわかんねえべした」と言う。たしかにそうだ。

いずれにしても、土屋に嫁いだからにはごぼうは作れない。嫁いでからきんぴらごぼうが好きになったのは何かの因縁だろうか。