巨大胚芽の玄米食専用米「カミアカリ」を育種した静岡県藤枝市の米農家・松下明弘さんに会いに行ってきた。
松下さんの米は、香りも味も複雑だ。「にこまる」は、旨み?苦み?いや、旨み?というような旨み。そして、納豆をものすごく薄めたような良い香り。
「カミアカリ」は、口の中に広がる甘さではなく、舌に突き刺さるような甘さ。そして、田んぼを食べているような香り。
「それっておいしいの?」と聞かれると、わからない。「好きなの?嫌いなの?」と聞かれると、「嫌いじゃない」。
松下さんという作り手が、鏡のように米に表現されている。これはすごいことだ。松下さんの米を食べていると、最近の米は単調な味になっているような気さえしてくる。
本来、「おいしい」は、多様だ。でも、最近の米の「おいしい」の幅は、とても狭まっているように感じる。その要因の一つには、おいしさを数値で計る米コンクールの存在もあるだろう。功罪と言うべきか。
松下さんと一緒にカミアカリの可能性を探っている静岡市「安東米店」の長坂潔曉さんは、「『どの米が一番うまい米か?』という質問は、『どの画家が一番上手い絵を描くか?』というのが愚問であることと同じ」と言う。
日本の米の多様さやポテンシャルを生かすためには、どう食べ手を育てるかも大事。「育てるなんておこがましい」と言う生産者もいるかもしれないけど、作り手と食べ手、一緒にお米を冒険できたらこんなに素敵なことはない。
(日本農業新聞コラム「柏木智帆のライフワークはライスワーク」)