柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

「あの」里芋のみそ汁

先日、稲に詳しい農学者の佐藤洋一郎さんを取材させていただいたときに、「おいしさとは何か」という話になった。

 

その中で「おいしさとはナラティブ」という佐藤さんの言葉が印象に残った。「ナラティブ」とは英語圏で「語り」という意味。「近年は『糖度何パーセントだからおいしい』といった訴求ばかり。でも、メニューを見せられただけではわからない1人1人のストーリーが料理の背後にある」とおっしゃっていた。

f:id:chihoism0:20181221161048j:plain

ご近所のご婦人たちが集まって作った「こづゆ」。郷土料理にはたくさんの「ナラティブ」が詰まっているように思う

 私が新聞記者をしていたときに書いた記事の一つに「戦争と食」という連載がある。

 

当時、病気療養中で会社を休んでいたが、早く取材がしたくてたまらず、毎日のように図書館に行って資料を探したり、本を読みまくったり、何かしらを書いていた。その中で、第二次世界大戦時の人々の食卓について書かれたさまざまな資料を読んでいるうちに、当時を知る高齢者の方々に戦時の体験を当時の食体験に絡めて語っていただこうと思った。復職してすぐに企画書を出して5回の連載を書いた(うち1回は他の記者が担当してくれた)。

 

その中で、神奈川県平塚市に住む男性が語ってくれたエピソードが印象深かった。

 

市内で空襲を受けて重傷を負い、祖母が住む田舎に疎開した。朝、目が覚めると、いろりで鉄鍋に入った里芋のみそ汁がコトコト煮えていた。熱々の汁をすすると、安堵感が心身にしみ渡った。

 

今もあの里芋のみそ汁が忘れられず、アルミ鍋に鉄くぎを入れてみたりと再現を試みるが、「どうしても“あの味”が出せない」と男性は言った。

 

その後、記事を読んだ地元の高校生たちが「ぜひ男性に戦時のお話をうかがい、里芋のみそ汁を食べてもらいたい」と言って、男性を高校に招いて里芋のみそ汁を作った。男性はうれしそうに食べたが、「“あの味”とは違う」と言う。

 

私は男性が「違う」と言うのを聞いて、なぜか安心した。食べものの思い出ってそういうものだと思う。