柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

平成の米騒動の食卓

平成ももうすぐ終わり。

ということで、お米の平成回顧記事として、「平成の米騒動」と「タイ米」について書いた。

マイナビ農業「平成の米騒動から四半世紀 日本とタイで米の好みはどう変わった?」

https://agri.mynavi.jp/2019_01_08_54054/

 
米騒動の当時は小学3年生くらいだったのであまり覚えていないけど、「タイ米やカリフォルニア米はおいしくない」という印象だけが残っていた。
 記事を書く前に、当時について母に電話で聞いてみると、母はテレビか何かで「普通に炊いたらおいしくない」という情報を得たため、白ごはんでは食べずにピラフを作ったらしい。しかし、子どものころに何度かピラフを食べているので、いつ食べたピラフがタイ米だったのか、覚えていない。
 
ブレンド米を白ごはんで食べておいしくなかった印象があったのだけど、私の記憶違いなのか、母の記憶違いなのか。

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タイの長粒米
いずれにしても、小学生ながらに「タイ米やカリフォルニア米はおいしくなかった」という印象が残ってしまった要因が、実際に食べて感じたからではなく、情報によって思い込んでしまったのだとしたら、残念でならない。
 
 私はこんなあいまいな記憶だけど、当時を覚えている人たちに、あのとき食べていたお米についてぜひ聞いてみたい。
 
たとえば、代々お米農家の夫の家では輸入米は食べず、しかしながら作ったお米はすべて売ってしまったため、「農家から買った中米を食べた」と言っていた。一方で、世界各国の本格料理を作るなど料理の腕が趣味の域を超えている近所のSさんは、当時すでにタイ米を使いこなしていたらしい。
 
ひとくちに「タイ米は不評だった」と言っても、タイ米はこんな味だったとか、こういう苦労をしてお米を手に入れたとか、こういう工夫をして食べたらタイ米もおいしかったとか、さまざまな感想やエピソードが埋まっていそう。
 
たった四半世紀でこんなにもタイ米へのイメージが変わり、食文化が急激に多様化したからこそ、当時のお米に対する庶民感覚は後世の貴重な資料だと感じる。