柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

お米との出会いをくれた人

夫から「炭酸水でごはんを炊く」「炭酸水でごはんを炊く・その2」の文章は「興奮が伝わってこない」と言われた。

 

そう、興奮していない。どこかで炭酸水炊飯はどうでもいいと思っている。

普通に水で炊けばいいじゃんと思う。でも、その水の硬度やphやミネラルなどの影響についてはとても興味がある。

 

新聞記者時代から「カシワギは好き嫌いが激しすぎる」と言われた。まったく否定しない。

 

いくつかのメディアで新聞記者時代にお米に傾倒するきっかけになったきっかけについて、「田んぼだらけの住み込み支局で四季折々の田んぼの風景の移り変わりを見て、米農家を取材して、お米について調べるうちにお米はただの農産物ではない!と気づいた」などという話をしていた。後半はその通りだけど、前半はちょっと違っていたことを今さら思い出した。

 

住み込み支局に異動になる前、別の総局にいた。そこで出会ったのが「小田原めだか米」を運営している元教員の山田純さんだった。「小田原めだか米」とは、在来めだかを守るために低農薬で作ったお米。山田さんはお米を農家から再生産可能価格で買い取り販売している。彼にお米と田んぼと生き物の関係を教えてもらったのがお米に傾倒してゆく最初のきっかけだったのだ。

 

どういう田んぼが生き物にとって良いのか、稲作がどれほどの生き物を育むのか、お米の再生産価格をどう計算するか、私たちがお米を食べることの意味、この田んぼはどこからどのように入ってくる水でお米を育てているのか、などなど。お米というものはこんなにも、歴史的、文化的、民俗的、地理的に壮大なものなのかと衝撃が走った。

 

その直後にまさかの異動辞令。泣く泣く赴任した先の住み込み支局の周りは田んぼだらけ…というわけだった。どうして今まで忘れていたのだろうか。住み込み支局勤務時代に見た田んぼの四季折々の風景がよほど心に焼き付いていたからかもしれない。 

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手作りキッチンカーの車内に自分で障子も作った

あれから10年ほど経つ。けっきょく私は元来の好き嫌いの激しさから、好きなことを追究したい思いがおさえられず、新聞社をやめた。

 

山田さんのおかげでお米の魅力に出会うことができ、その後は、お米農家と手作りキッチンカーでのおむすびケータリングを経て、今はお米ライターをしながらお米農家のヨメになっていますよと彼に報告したい。