柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

食べられないもの

飲食店の予約時に「アレルギーや苦手なもの」をお伝えして、料理からそれらをしっかり抜いてくれるだけでなく、次回の予約時にそれらをしっかりと覚えてくださっている飲食店は一流だと思う。

 

逆に、アラカルトで2品オーダーしたときに、苦手なそれが入っていそうなメニューについて「入っていませんか?」とスタッフに確認して、もう1品のほうに苦手なそれが入っていないと思ってわざわざ尋ねなかったけれど実は入っていたときは、なんて不親切…と思うよりも、きっとこのスタッフは食べものへの興味が薄いか、自分や周囲の人にアレルギーや苦手なものがないのかもしれないなあとも思う。

  

インバウンドのありがたさを感じるのは、多様な宗教の人が訪日することで、ベジタリアンとかハラルとか、さまざまな食の価値観に目が向けられるようになり、アレルギーや苦手なものに対しても日本の人々が寛大になり、配慮が生まれるようになったこと。

 

10年ほど前はもうちょっと生きづらかったように思う。ちなみに、私は肉や乳製品などが食べられない。ここ数年の間でも「何でも食べないと不健康だよ」とか「肉が食べられないなんて、人生の8割は損してるね」と言われたこともあった。

f:id:chihoism0:20190207114541j:plain

食べられないものは食べられない

あるお宅では「気づかないだろうから入れちゃえ」と嫌いなものを料理にこっそりと入れられたことがあり、もはや他人の作ったものはこわくて食べられない!と驚愕したこともあった(気づいて残したけど)。

 

「野菜嫌いの子どもに野菜を食べさせるには」というような内容の記事などで、「野菜を細かく刻んで料理の中へ」とか「ミキサーで粉砕して混ぜ込む」とか「ケチャップやマヨネーズなど味の濃い調味料で食べやすく(ごまかす)」などの“アイデア”が書かれているけど、私が子どもだったらそういった騙すようなことをされたら、もはや親のつくった料理をこわくて食べられない。

 

私は子どものころにピーマンが嫌いだったけど、今は食べられる。子どものころに好きだったカマボコは今は苦手だ。味覚や嗜好は人それぞれだし変化してゆくものなのだから、食べられないものがあるからといってただちに改善すべきことではないと思う。健康への配慮は必要だけど、われわれは健康のためだけに食べているわけではない。

 

「チョコレートは食べられない」「トマトは食べられない」「セロリやパクチーや春菊は食べられない」「とろろは食べられない」「椎茸は食べられない」「タマネギは食べられない」「生クリームは食べられない」「肉は食べられない」「生魚は食べられない」などなど、これまでにいろいろな人のいろいろな「食べられない」を聞いた。食べることの喜びや幸せを強く感じるからこそ、私は他人の「食べられない」を尊重したい。