柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

背徳感というおいしさ

食べもののにおい」で「学生時代は立ったまま食事をするなんて行儀が悪いと思っていた」と書きながら、そういえば私はいつから立ち食いそばが平気になったのだろう…と考えた。

 

そもそも、子どものころ、両親の教えを忠実に守っていた私は、食事中に席を立つことは基本的にはあり得なかった。

 

だからこそ、おそらく私が中学生くらいのときに登場したであろう、「ドリンクバー」なるものをファミレスで発見したときは衝撃だった(中学生のときに発見したけど、調べたら小学生のときに登場していた)。

 

席についてオーダーをした後に自分で席を立ってドリンクを取りに行くことが衝撃だった。食事中にドリンクを取りに立ち歩いても誰も「行儀が悪い」とは見ない。高校生のころに初めて友だちと行った「ビュッフェ」なるものも衝撃だった。立ち歩いて料理を取りに行くだけでなく、食事中に席を立っておかわりもできちゃう。

 

それでもやはり幼いころの習慣というものは根強い。今でも私はドリンクバーやビュッフェでドリンクや料理を取りに行くのがどこか気恥ずかしい。立ち食いそばに対しても、「立ったまま食事をするなんて行儀が悪い!」とずっと思っていた。正確に言えば、「立ったまま食事をするなんて料理と真剣に向き合ってない。料理に失礼」とさえ思っていた。

 

それでも、どこかで「立ち食いそば」への憧れはあった。

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早朝のJR新宿駅構内の立ち食いそば店で食べた「朝そば」

と言っても、大人になるまで立ち食いそばと無縁だったわけではない。

小学生のころ、母が「一杯のかけそば」(栗良平著)という絵本を「すばらしい話だ」と言って、私と姉に読むようにすすめてきた。最初は気が進まなかったけど、母は今まで「この本を読め」なんて一言も言ったことがなかったので、これはきっと読むべきなんだろうと思って読んだ。

 

ものすごく完結にあらすじを説明すると、おおみそかの晩、あるそば店に子どもを2人連れた女性が来店して「かけそばを1杯」と注文した。経済的に厳しそうな様子を察した店主は、こっそり1.5人前のそばを茹でた。その母子は1杯のかけそばをおいしそうに分け合って食べた…というようなお話。

 

たしかその本を読んだ後、JR平塚駅のホームに当時あった立ち食いそば店で、母がかけそばを1杯頼んだ。なんとなく小腹が空いていたときに、じゃあおそば食べちゃおうかという話になったのだ。

 

とは言え、1人1杯も食べたら夕食が食べられなくなってしまう。というわけで、母と姉と私で1杯のかけそばを分け合った。どんぶりを外に持ち出して良かったのか、ホームのベンチに座って、それを食べた。

 

おやつといえば、お菓子や果物が当たり前だと思っていたけど、初めて食事のようなおやつを食べ、しかも、駅のホームの立ち食いそば店のそばを母子3人で分け合うという背徳感になんだかわくわくした。立ち食いそば店を利用したことは皆無だったと思われる母がどこか恥じらいながらそばを購入していたのも、なんだかいけないようなことをしているような、スリリングな感じがした。もしかしたら、母は「一杯のかけそば」を意識していたのかもしれない。3人で分け合ったそばはとてもおいしかったような気がする。

 

高校生になってからも同じ立ち食いそば店のそばを食べた…というよりも、つゆを飲んだ。

 

寒い冬の時期の放課後、自宅に帰るために平塚駅で電車を待っていた。立ち食いそばの出汁の良い香りにお腹が鳴った。とは言え、高校生の私は立ち食いそば店に入る度胸はなかった。寒風がびゅうびゅうと吹いているなか、立ち食いそばのガラス戸の向こうでは湯気が立つそばを食べている男性が数人いる。ひもじい気分で眺めていると、そばを食べている制服姿の男子校生を発見した。同級生のA君だった。

 

ガラス戸の外からA君に「いーなーいーなー」とくり返すと、ガラス戸を開けて「…そば食べちゃったけど…つゆ飲む?」と、どんぶりを差し出してくれた。その言葉に甘えて、つゆをひとくちふたくちもらった…というわけだ。いま振り返ると、なんという厚かましさ。

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郡山駅の新幹線改札内の立ち食いそば店にて。「ネギ抜き」ってお願いするのを忘れたので、ネギは夫のどんぶりの中へ移動させた

それから大学に行っても、就職しても、立ち食いそばとは無縁だった私が立ち食いそば店に入るようになったのは、30歳になってから。ある立ち食いそば店の中に「座り席」があるのを発見した。これならいけるかも…と立ち食いそば店で座りながらそばを食べた。でも、なんとなくおいしくない。立ちながらそばを食べている男性たちを眺めながら、立ち食いそば店では立ったまま食べたほうがおいしいに違いないと確信した。

 

それからは、立ち食いそば店に入ったら、絶対に座り席は利用しない。たとえ、座り席がすいていて、立ち席が混んでいても、立ったまま食べるようになった。みんなが食べることに集中しているさまを見ながら、私もその中の1人になっていることがなんだか楽しい。そして、やはり子どものころからしみついている「立ったまま食べるのは行儀が悪い」という背徳感が、立ち食いそばをよりおいしくさせているように思う。

 

以前に、「立ち食いそばって本当においしいの?」と聞かれたことがある。そばそのものだけで語ったらそりゃおいしいとは言い難いものも多い。でも、立ち食いそばは雰囲気も食べておいしいものだと思う。