「背徳感というおいしさ」で「立ったまま食事をすることは行儀が悪いと思っていた」と書いたところ、ものすごく厳しい家庭で育ったように受け取られた人もいたようだ。たしかに、厳しいと言えば厳しかったかもしれないけど、決して「おごそか」な両親ではなかった。
私が大人になってから立ち飲み屋が好きになったのは、父の“英才教育”のおかげだ。
小さいころ、父と一緒に平塚の酒店の角打ちに行くことが多かった。当時私が通っていたスイミングが終わるころ、父は会社帰りに私を迎えにきて、そのままなじみの酒店へ行った。居酒屋ではなく酒販店。店の隅には、角打ちカウンター。そこで父やおじさんたちが缶ビールや缶チューハイを飲む様子を見上げながら、オレンジジュースを飲んでいた(明治屋の「マイエード」という、麦わら帽子をかぶった女の子の絵が描かれている長細いスチール缶がかわいくて好きだった)。
たまに、酒店の棚に陳列されている鰯の蒲焼き缶詰などを空けて食べると、当時少食だった私はお腹がいっぱいで帰宅後に夕食が食べられなくなった。
帰り際に父が言う「ツケで」というお勘定の仕方も、今では懐かしい。
狭いカウンターで肩を並べて1缶、2缶だけぐいっと飲んでさっと帰るおじさんたちはなんだか颯爽としていた。だらだらと飲み続けているおじさんはいなかった(ように見えた)。
この酒店があった場所には今はマンションが建っている。
休日はJR小田原駅のホームに当時あったホットドッグスタンドで、小田原競輪帰りのおじさんたちにまぎれて電車が来るまでの短い時間、缶チューハイを飲んでいた父(われわれは小田原城帰り。父はギャンブルは決してやらない)。電車が来ると、缶チューハイを片手に乗り込み、飲み終わると、座席の下に空き缶を置きざりにしていた(今はさすがに空き缶はホームのゴミ箱に捨てていると思いたい…)。父の隣で私はキオスクで買ってもらった昆布をかじったりボンタンアメを食べたりしていた。
あのころから、すでに私の立ち飲み好きは始まっていたのだと思う。