私が住んでいる町にはおいしいと評判の今川焼きがある。でも、いつも売っているわけではなく、毎年1月13日に開かれる十三市(初市)や、たまに地元のスーパーの入口で買えるくらいのレアな今川焼だ。
夫も家族もみんなこの今川焼が好き。私は甘いあんこやクリームが苦手なので食べないけど、甘くない皮部分だけは好きだ。この皮だけ食べたい。ということで、夫にお土産で買った2つのうちの1つだけ、片側の皮をパン切りナイフでを切り落として食べ、夫には何か欠けた感じの今川焼を残した。
夫からは「お店の人に『中身入れないで焼いてください』って頼めばいいのに」と言われたけど、気が乗らない。中身まで生地が入ってしまうと、中心部分が生焼けになってしまいそうだし、きっと端っこだからおいしく感じるのだと思う。中身のない今川焼はたとえ全部食べられたとしてもおいしさが半減してしまいそうだ。
あんまんも「あん」が苦手で、「まん」の部分だけを食べたい。台湾に行ったときに、「饅頭(マントウ)」という名前で中身の「あん」が入っていない「まん」が売っていたけど、あえて食べようとも思わなかった。台湾滞在中は駅弁やお米に夢中で他の食べものが眼中になかったという経緯もあるけど、やはりあんまんの「まん」の部分だけをつまみ食いするのが好きなんだと思う。
ただ、こんなにも甘いものが苦手と言いつつ、口の中に甘いものを詰め込んだ思い出もある。
就職活動中、報道志望で広島県の某地方テレビ局の最終面接まで残った。当時、ちょうど「イラク人質事件」で「自己責任論」という言葉が世間を騒がせていた。どのメディアの論調も人質となった日本人3人をバッシングしていたけど、私はその論調には違和感を覚えていた。面接で社長から「あの事件についてどう思うか。あなたの考えは」と言われたので、正直に私は「あの3人をたたくのはおかしいと思う」と答えた。
すると、社長の表情が豹変。「あの3人はどれだけ日本に迷惑をかけたと思っているんだ!君はもっと世論を見たまえ!」と怒鳴られた。
ショックだった。怒られたことが、ではない。ただのコムスメのイチ意見に、企業の、しかもメディアのトップにいる人間が、こんなにも腹を立ててしまうとは。違う意見に耳を傾けるどころか、ばっさりと切り捨てて終わりにしてしまうとは(まだ理由すら答えていなかった)。異論を怒りによってねじ伏せ、持論を正論と位置づけて展開しようとするメディアの在り方に恐ろしさを感じた。
落ちたな、と思った。でも、こんな会社ならば、むしろ落ちたい。
とは言え、就職氷河期だった当時、どうしても報道の仕事がやりたくてマスコミばかりを受けては落ち続ける就職活動に疲れ果てていた。帰りの新幹線では真っ暗な窓の外を見つめながら涙がこぼれた。
そして、私は何を思ったか、お土産のもみじまんじゅうの箱を開け、まるで親のカタキかのようにもみじまんじゅうを口の中に次から次へと詰め込んだ。泣きながら。
さぞ甘かっただろうけど、味をあまり覚えていない。泣きながらもみじまんじゅうをヤケ食いして、すっきりした私は、また翌日から就職活動をせっせと続けた。
今でも「自己責任論」という言葉をニュースで聞くたびにもみじまんじゅうを思い出し、もみじまんじゅうを見ては泣きながら口にそれを詰め込んでいた新幹線の車内を思い出す。