柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

食いしん坊は前を向く

子どものころから、ときどき言いようのない虚無感におそわれることがあった。サーッと迫ってきては、サーッと通り過ぎていく感じ。

 

大人になってからもたまにあったけど、福島県に引っ越して夫と住み始めてからは一度もなかった。

 

しかし、数日前からまたあの虚無感がやってきている。これがマタニティブルーというやつだろうか。

 

初めて胎動を感じたときは感激して涙が出たけど、今は胎動に嬉しくなったりホッとしたりしつつも、ナゾの不安におそわれることもある。たぶん、未熟な自分のこの頼りないお腹の中に生命があることにおそろしさを感じているのかもしれない。

 

日中は私も動いているので胎動をなんとなく感じているくらいだけど、就寝時は胎動がはっきりと感じられる。お腹がうにょうにょ動いていることは赤子が元気な証拠でうれしい気持ちになりつつ、やはり同時に不安な気持ちも押し寄せる。赤子が動いていないと不安なのに、動いていても別の種類の不安が迫ってくるという不思議な感覚。

 

そんなとき、夫のいびきを聞くと安心する。いつもは夫のいびきがうるさく感じるのに。なんでだろう。

 

虚無感を吹き飛ばすために、翌朝起きたら何を食べようか、ランチは何を食べようか、夜ごはんは何を食べようかと考えるようにしている。梅を具にした大きいおむすびに胡麻をふろうとか、今日買ったスイカがおいしかったから明日も買おうとか、ゴーヤが出始めたから厚揚げと一緒に味噌炒めにしようかなあとか考えていると、楽しくなってくる。

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コロッケ1つ3000メートル

そういえば、就職活動で面接に落ち続けて心が折れそうになったときも百貨店に原付を走らせて好きなものを食べて、気持ちを持ち直した。その直後に受けた新聞社の試験と面接が通って無事に入社できたのだった。

 

大学時代の恩師は「食べることを楽しむ人は前向きになれる」と言っていた。たしかに、朝ごはんを食べたら「昼ごはんに何食べようかなあ」と楽しみになり、昼ごはんを食べたら「夜ごはんは何を食べようかなあ」と楽しみになる。

 

食べることは生きること。食のことを考えると、たしかに前しか向いていない。「今日は何を食べよう」「明日は何を食べよう」。なんて前向きなんだろう。

 

恩師からは「柏木さんはいつも食べることばっかり考えてるな」と言われるけど、それは「柏木さんはいつも前向きだな」と言われていることなのだろうと都合よく受け止めている。食いしん坊でよかったなあとつくづく思う。