柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

料理する乳児

白飯をおかずなどと一緒に食べて口の中で調味する「口中調味」は日本特有の食習慣である、と聞いたことがある。

 

たしかに海外に行くと、スープや具や調味料と一緒に火を通しているお米料理が多い。水だけで炊いた白飯だとしても、おかずをかけたりソースをまぶしたりして食べる「口外調味」だ。

 

子どもたちは、親が食事する様子を見て、自然と口内調味を身につけていくのだろうと思っていた。

 

でも、口内調味って本能的な部分もあるのかもはしれない。1歳の娘を見ていて、そう思うようになった。

 

娘は味噌汁が大好きだ。ごはんやおかずを食べなくても味噌汁ならば飲む。味噌汁のおかわりを欲しがることもあるので、味噌汁でお腹いっぱいになってしまわないように、食事の締めに味噌汁を飲ませることにしている。

 

先日、娘はほとんどおむすび手をつけなかった。しかし、味噌汁を飲み始めた娘は、おもむろにおむすびに手を伸ばした。そして、おむすびを一口食べると、まだおむすびが口に入っているうちに、また味噌汁を飲んだ。そして、またおむすびを食べ、また味噌汁を飲み…と繰り返した。そして、とうとう味噌汁とおむすびを完食した。

 

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口内調味を教えたわけではないので、おむすびの味を知り、味噌汁の味を知ったことで、「これはどうやら一緒に食べるとおいしそうだ」と感じるのだろう。

 

最近はおむすびを味噌汁の中へ放り込もうとする。なるほど「ねこまんま」はこうして生まれたのかもしれない、と小さな感動を覚えた。

 

先日は蒸したサツマイモと味噌汁でも交互に食べて口中調味を楽しみつつ、サツマイモを味噌汁の中に放り込んだ。そして、味噌汁に手を突っ込み、味噌汁に浸ったサツマイモを食べた後、味噌汁を飲んでいた。なるほど「サツマイモの味噌汁」はこうして生まれたのかもしれない、とまた小さな感動を覚えた。

 

料理が生み出されるのは経験や知識や感性の賜物だと思っているけど、まだわずかな食材や味付けしか体験していない1歳児でもその一端に触れているのだと感じさせられる。

 

料理が好きな人もいれば、好きではない人もいれば、得意な人もいれば、不得意な人もいる。でも多くの場合、「食べること=料理すること」になっているのかもしれない…と思えた。

つまり、何かしらの味の調整をしていれば、それは料理なのではないか、と。たとえスーパーの惣菜コロッケにソースをかけて白飯のおかずにすることは、ソースで調味をして、白飯と一緒に口内調味をするという2度の調味を行なっている。

 

これまで惣菜コロッケを買うことは料理ではない!と思っていたが、娘の食行動によって考え方が変わった。料理にはさまざまなレベルがあり、惣菜コロッケにソースをかけることや口内調味することは、コロッケを手作りすることやソースを手作りすることとは違うレベルの料理なのだ。

 

先日は娘が味噌汁に白飯を入れようとするのをつい阻止してしまったが、今度娘が味噌汁に白飯を入れようとしたら止めずに好きにさせてみようと思っている。娘がどうやって味噌汁に浸った白飯を食べようとするのか、とても知りたい。