柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

「ごはんのおとも」に合わないお米

「ごはんのおとも」は味付けが濃いものが多い。味付けが濃いほうがごはんが進むのはたしかにそうなのだけど、ごはんのおともは必ずしもすべてのごはんのおともではない。

 

先日、おいしいお米に出会った。食感が良く、特に旨味が濃い。咀嚼中に舌で旨みを感じるだけでなく、飲み込む時にも喉で旨味を感じ、飲み込んだ後も旨味の余韻が口の中に広がる。白飯だけで美味しい、まさにおかずいらずのお米だった。

 

白飯だけで食べ終わってしまいそうだったので、蕗味噌やツナピーマンなど「ごはんのおとも」「ごはんドロボー」とも言えるおかずにも手を伸ばしたのだけど、白飯の旨味が感じづらくなることを残念に感じるとともに、そう感じてしまってごめんなさいとごはんのおともたちに対して申し訳ない気持ちになった。そして、口中調味どころか、両者のダブルの旨味によってくどさを感じた。誰も幸せにならない組み合わせだと思った。

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ならば、ごはんのおともに合うごはんはおいしくないお米かと言えば、そういうわけでもない。ごはんのおともに合うお米は主張しすぎないお米がいい。おいしくないお米と主張しすぎないお米は違う。おいしくて主張しすぎないお米もある。ごはんのおともと相乗効果でおいしいお米ならば、ごはんもごはんのおともも私もみんなが幸せになる。

 

テレビやネットなどで「究極のごはんのおとも」として紹介されるものがあるけど、そのごはんのおともが合うごはんは主張しすぎないごはんのほうが良いとなると、主役はごはんなのか、ごはんのおともなのか、一体どちらなのか分からなくなる。

 

「究極のごはんのおとも」の特集があるならば、「究極にごはんのおともに合うお米」の特集があってもいいのではないだろうか。