柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

酒屋の角打ち

先日、毎日新聞朝刊の読者投稿欄「女の気持ち」でシングルマザーだという女性の投稿を読んだ(2022年6月6日付)。

「娘は発達障害を抱えていて、思春期でもあり関係を結ぶのが難しい」「娘に振り回され頼れる身内もなく、独りで家事すべてを引き受けるつらさ」と日々の苦悩をつづった後に、こんな息抜き方法を紹介していた。

「私のイライラや苦しさが収まらないときは『15分1000円チャレンジ』と名付けた息抜きをしている。仕事の帰り道、会社や自宅近くでカフェや居酒屋に入り、1000円以内のメニューを頼んで、15分以内に店を出るのだ。長居もぜいたくもできないが、店に入る前はイライラしたり、つらくてすべてを投げ出したくなったりしていた気持ちが、スーッと消えていく」

これはまさに私が子どもの頃に見ていた光景だ。

小学生のころ、2つ隣の駅のスイミングスクールに通っていたのだが、父の会社がスクールに近いといえば近かったため、お迎えはいつも会社帰りの父だった。父はすぐに家に帰らず、私を連れてなじみの酒屋へ。その店内の片隅にあるL字カウンターの角打ちで缶チューハイや缶ビールを1、2本飲んでから帰宅するのが恒例だった。

と言っても、話題の“フラリーマン”のように自宅へ帰りたくないわけではなく、なんというか、会社と自宅のクッションのようなものだったのだと思う。その角打ちには周辺の会社の、おそらくいろいろな肩書きの客たちが肩を寄せ合い、父と同じように缶ビールや缶チューハイを飲み、店で売られているいわしの蒲焼き缶詰をつついたり、乾きものを食べたりして、決して長居はせずにそれぞれのタイミングで帰宅する。そこには「付き合いで仕方なく」とか「帰りたいのに帰れない」といったサラリーマンの哀愁は一つもない。ほとんどの客が一人で来ていたためか、カウンターにいる客同士が自然に会話している雰囲気だった。1000円も使っている客はきっと一人もいなかっただろう。こういう場が家庭円満や明日の活力を生み出していたのかもしれない。

私はそんなおじさんたちを、カウンターの下でオレンジジュースを飲みながら見上げていた。店で売られているジュースを店内で開けて、しかも立ったまま飲むという背徳感によって、ただのオレンジジュースがやけにおいしく感じた。

それから年月が流れて父の会社の近所の高校に入学した頃には、あの酒屋は高層マンションに変わっていた。今あの周辺の会社で働くおじさんたちはどこで明日の活力を得ているのだろう。

父はとっくに定年を迎えたが、父の“英才教育”のおかげで、私は立ち飲みが好きになった。