柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

ごはんが進む「残りもの部門」と「ちょいしみ部門」

先日スーパーで北海道産の生筋子を見つけた。

3歳の娘はいくらの醤油漬けが大好きなので、5,000円分の生筋子を購入して、季節行事のために小分けにしてして冷凍した。

瓶の蓋に「12月」「1月」「2月」「3月」…とラベルをつけて冷凍。クリスマス、大晦日、正月、節分、ひな祭り…と娘がいくらを食べられる機会は意外と多い。

もちろん冷凍保存だけでなく、すぐに食べるぶんは確保。娘は大喜びで食べ、すぐにいくらはなくなってしまった。

「いくら!もっと!」と駄々をこねる娘。

いくらを食べ終わった後の漬け汁もごはんにつけて食べていることを知っていたので、「もう汁しか残ってないの。これでもいい?」と聞くと、「うん!」。

小さな器にいくらの漬け汁を入れてあげると、その汁でごはんを食べていた。

翌日はのっけから「いくらじる!」と漬け汁を要求する娘。

いくらの漬け汁を出すと、汁だけでごはんを3杯も食べた。

娘はいくらそのものというよりは、いくらの醤油漬けの味が好きなのかもしれない。

たしかに白ごはんが進む。

娘はプチプチとした食感や弾けた卵から流れ出る強烈なうまみ…よりも、
「いくらのエキスがしみ出た漬け汁が好き」疑惑

ちなみに先日の土用丑の日は、茄子で“うなぎの蒲焼きもどき”を作った。

夫はベジタリアンなのでうなぎが食べられないし、茄子でどれほどうなぎ感が出るのか興味深かったが、見た目はたしかにうなぎっぽいと言えばうなぎっぽい。

茄子でつくったうなぎの蒲焼風。うなぎに見えるような見えないような。

とは言え、うなぎ特有の川魚っぽい風味や食感はもちろん違う。

ただ、粉山椒をかけてみると、まるでうなぎを食べているかのような錯覚に陥った瞬間が何度もあった。

うな重は好きで、また行きたい店が南千住と小田原と赤坂にあるが、うなぎを堪能することが目的ではなく、白ごはんをおいしく食べることが目的の場合は、おいしいタレと粉山椒さえあれば十分と言えば十分かも。

「いくら汁」と「うなぎのタレ」はれっきとしたごはんのおともなのだと確信した。

そういえば、池波正太郎氏がエッセイで、冬の夕飯に煮魚を食べた翌日の朝、鍋の中で固まった煮こごりをほかほかごはんにのせて、ごはんの温かさで煮こごりが溶け始めたところをごはんと一緒にかきこむ…という食べ方を紹介していた。そのエッセイを読んだ大学生の頃の私はあまりにもおいしそうな文章に耐えられなくなり、早速真似をしてみたことがあった。これもタレと言えばタレである。

汁やタレをおいしく食べるポイントは、おいしい白ごはん。汁やタレが残りものだからこそ、電子レンジでチンした冷凍ごはんやパックごはん、長時間保温で劣化したごはんではなく、炊きたてのごはんに合わせたい。そう考えると、汁やタレはごはんを主役に仕立てる、まさにごはんのおとも中のごはんのおともなのかもしれない。

新米の季節に必ずメディアに「ごはんのおとも特集」が登場するが、こうした「残りもの部門」「はずメシ部門(人には言いづらいちょっと恥ずかしいメシ部門)」があったらおもしろいと思うのだけど、どうだろう?

ちなみに私は味玉をおかずにごはんを食べるとき、味玉を切ってあらわれた卵黄に漬け汁をしみこませ、その際に味玉をごはんにのせて漬け汁がちょっとしみたごはんを食べるのも好きだ。ごはんのおともというよりは、ごはんのおかずではあるが、焼肉・オン・ザ・ライスでタレがついたごはんや、ヅケマグロ・オン・ザ・ライスでタレがついたごはんなど、白ごはんが進むごはんのおかずの「ちょいしみ部門」はめちゃくちゃ盛り上がるように思うのだけど、どうだろう?