柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

摂食障害時代のこと・その3「入院を拒否」

摂食障害時代のこと・その2「病気に気づく」からの続き

 

心療内科で「出勤停止」を言い渡された後、医師の指示で一人暮らしのアパートから実家へ戻った。たしかにあのまま一人で暮らしていたら本当に命を落としてしまっていたかもしれない。

当時はごはんを食べていたものの、重さを量って食べていた。しかしながら、実家でもそんなことをしていたら「この期に及んで…」と母の怒りを買うことになる。

とにかく命の危機を脱しなければならない。この日からは、ごはんの重さを量ることはやめ、「一日ニ玄米四合」食べていたという宮沢賢治並みに、てんこ盛りのごはんを1日に4〜5杯食べるという生活を始めた。

こう書くと、あっさりと食事量が増えたように見えるが、そう簡単ではない。そんなに簡単に治るならば、そもそも病気にはなっていない(食事量を増やしたことによる変化については「その4」へ)。

心療内科の医師たちの「食べるようにしてね」「食べなさい」「食べなければダメ」といった言葉には辟易した。食べられないから病院に来ているわけで、食べられていたらそもそも病院には来ていないのだから。

心療内科の医師から紹介状を手渡され、「総合病院での入院治療」を指示された。

指示通り総合病院へ行ったが、結論から言うと入院しなかった。

当時の私は摂食障害(拒食症)に加えて、オルトレキシアでもあったため、入院食に添加物が使われていないか、国産ではない食材が使われていないかなど、さまざまな心配をしていた。

診察時、医師に食事の確認をした。

「入院中の食事からお肉を抜いてもらえませんか」と尋ねると、「それは、できない。なんでも食べないと。栄養のバランスをとらないと…」と医師は突っぱねた。

「無理です。食べられません」と言うと、「食べられなければ点滴で鼻からチューブで栄養を流すことになるよ」と医師。暴力的な言い方に腹が立ち、「なんで肉を食べなければならないんですか。この病院はイスラム教徒やヒンドゥー教徒は入院できないのですか」と言うと、「君は宗教じゃないだろう」。たしかに宗教ではないが、食べたくないものを食べなければならないことがどうしても納得いかない。

「じゃあ、入院しません」

そんなわけで入院拒否をして、実家で療養することになったものだから、困ったのは母だ。母の料理に私の命がかかっているだから、ものすごくプレッシャーがかかっただろう。

今思うと、この総合病院の医師は、「栄養バランスをとること」よりもまずは「命の危機から脱出すること」を重視すべきだったように思うが、それでも肉以外にも食べられないものがあまりにもたくさんあったため、結果的に自宅療養になって正解だった。

この医師とのやり取りを後日友人に話すと「笑っちゃいけないけど笑える」と言って笑ってくれた。深刻な話もいつか笑い話になる。