3歳の娘が「ふりかけのかぜ」(文・ねじめ正一/絵・伊野孝行)という絵本をきっかけにふりかけごはんが大好きになった。昨年秋から長くブームが続いている。
子どものころ、私はふりかけごはんが好きだったのに、ふりかけを混ぜたおむすびはあまり好きではなかった。その理由についてあまり考えたことがないまま40歳になってしまったのだが、先日娘のふりかけをもらってひさびさにふりかけごはんを食べたときにようやくその理由がわかった。
ふりかけごはんのポイントはふりかけの「まばら感」で、ふりかけを混ぜたおむすびが残念だったのは白飯にふりかけが均等に混ぜられてしまうことだったのだ。
ふりかけがかかった部分のごはんを食べたら、そのあとはふりかけがかかっていない部分のごはんを食べる。ふりかけをもおかずのように食べたい人だったのだ、私は。
とは言え、菜飯や小豆ごはん、生姜ごはん、ちらしずしといった混ぜごはんや炊き込みごはんは好物。ふりかけは混ぜたくないのに、こうした混ぜごはん類は好きである理由はなんだろう。
ふりかけは「混ぜもの」が小さい(細かい)からごはんに馴染みすぎてしまうのだろうか…とも考えたが、ゴマはたとえば菜飯に混ぜてもおいしいと思うので違うかもしれない(ゴマが入っているふりかけもあるが)。
ただ、混ぜごはん類を食べると白飯も食べたくなるので、いつも混ぜごはん類を作るときには白飯も炊いている。
この法則に従うと、ふりかけを多めに味濃くごはんに混ぜ、それをおかずに白飯を食べるならば、ふりかけを混ぜたごはんやおむすびも好きになれるのでは。
味のあるものを食べると白ごはんが食べたくなる「口中調味(口内調味)」がふりかけごはんを食べるときまで無意識に発動していたことに驚きを覚える。もはや口内調味は文化というよりも本能なのではないだろうか(それも文化というものなのか)。