柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

ジョニーウォーカーとモカマタリ

会津若松市に「時さえ忘れて」というバーがある。

メニューは毎日原稿用紙に手書き。

提供される水はマスターが隣の磐梯町にある「慧日寺」から汲んできた湧き水。12キロの湧き水を背負って電車と徒歩で店まで運んできているそうで、まるで山小屋のようである。

ウイスキーのお湯割り」を注文すると、カウンター越しにマスターがケトルでコーヒーカップにぽとりぽとりと一滴ずつ湯をたらしているのが見える。開店と同時に入店したので、おそらく私が注文したものだと思うが…なぜコーヒー?

不思議に思って見ていると、私の前にそのカップが置かれた。

中身は琥珀色。

これは…まさかのウイスキー

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「そうやって飲むとおいしいんですよ」とマスター。

見た目は紅茶然としていて香りはウイスキー。冷えた身体にしみわたる暖かい琥珀色の液体は柔らかな舌触りで、わずかに蜂蜜でも入れたようにほんのり甘い。「オリビアを聴きながら」のジャスミンティーのような癒しをもらえたひとときだった。

マスターによると、「ウイスキーをお湯で温める感覚」でお湯を一滴一滴ゆっくりとウイスキーに加えていくそうだ。ウイスキーをお湯で「薄める」のではなく「温める」。しかも湧き水で。なんだかもうおいしくないわけがない。

マスターによると、東京のBARで困窮しながら修行していた時代、その店のマスターがぶっきらぼうに「これお前にやるわ」とジョニーウォーカーブラック4.5L瓶をくれたそうで、思い入れのある1本となったらしい。

だから「時さえ忘れて」では、あれこれウイスキーを置くのではなく、思い入れのあるジョニーウォーカーブラックと手持ちのグラスで「どうやったらうまい一杯を作れるか」を突き詰めてきたそうだ。

この話を聞いて、良い店だなと感じた。よくよく考えれば、マスターの店なのだからマスターの好きなものを扱うのが一番だよな。だってマスターの店なんだから。

消費者ニーズの動向を探って人気の数種類を取り揃えるとか、どんな客にも応えられる多彩な種類を取り揃えるという店もあるし、そういう店のニーズもあるし、もしかしたらそういう店のほうが人気だったりするのかもしれないけど、私はマスターのような、マスターの思い入れのあるウイスキーを、労力かけて運んできた水でものすごく丁寧に入れてもらった一杯を飲みたい。

ちなみに私にとってもジョニーウォーカーブラックは思い出深い1本。その思い出は誰にも言わないけど。

お酒と一緒に味わいたいというか反芻したい思い出が増えることが歳を重ねるということなのかな。

お酒ではないが、私は喫茶店やカフェで数種類のコーヒーがあるときに「モカマタリ」があると必ずそれを頼む。

「ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲はかくまで苦し」(寺山修司

という俳句に大学時代に出会って以来、コーヒーといえば「モカ」なのだ。

もしもカフェを開くならば(開かないけど)、メニューは「モカマタリ」一択。

なんならメニューには「ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲はかくまで苦し 600円」と記載して、お客には注文するたびに朗読してもらいたい。