柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

何がなんでも死守すべき日本のお米

米価の値上がりが続く中、日米関税をめぐってアメリカ産米の輸入を拡大する案が出ている。

現時点でもすでに米価高騰を受けてベトナム産米や韓国産米、アメリカ産米が出回っている。近所(東北の米どころ)のスーパーでもアメリカ産カルローズ米(輸入時期は今年1月27日)が販売されていた。

だが、4月17日時点でこのスーパーで最安値の国産ひとめぼれが5キロ3,542円(税込)の一方で、カルローズ米は4キロ2,894円(税込)だった。1キロあたりに換算するとひとめぼれが708円、カルローズ米が724円になり、カルローズ米のほうが高い。そのせいか売れないようで、4日後に同じスーパーに行くと、カルローズ米に「お買い得品 税込2,311円)」のシールが貼られていた。都心では3000円台の日本産米はほとんどないようだが、こちらの地域も今後都心並みに米価が値上がりしていくと、田舎の米どころであってもカルローズ米が売れるようになるのかもしれない。

ただ、その安さには大きな代償がともなう。

f:id:chihoism0:20250426155135j:image

アメリカ産米の輸入が拡大され、価格が安価だということで人々が輸入米ばかりを買うようになると、今度は国産米が余るようになるだろう。自宅では国産米を買っていても、外食・中食の業務用米はほとんどが輸入米という日もやってくるかもしれない。

そして、国産米が余ると米価は大暴落して農家は減り、米価下落防止のために再び実質的減反が強化され、特に畑地化促進の政策も強化されるようになると田んぼが減り、100%自給できていたはずのお米までもが輸入に頼る日が訪れてしまうだろう。

そうなれば、お米の生産国の災害(干ばつ、台風など)による収穫減にともなう輸出制限のほか、戦争など国際情勢の悪化などによって、輸入できなかったり価格が高騰したりする可能性は大いにある。お米の自給率を減らすことは日本の滅亡に等しいと言っても過言ではない。私たちの命をつなぐ主食(国産米)は何がなんでも死守すべきだ。

今はお米の代用として麺を食べる人が多い。弁当のごはんを半分に抑えてパスタを入れたり、主食をパスタにしたりという動きは家庭のみならず、スーパーの惣菜や弁当店でもあるようだ。メディアはこぞって「節約術」と紹介しているが、こうした紹介の仕方に違和感を覚える。

たしかに米価高騰は家計への影響は大きく、現時点での節約になるだろう。ただ、各家庭の経済状況はさまざまなので、なかなかこうあるべきとは言えないが、それでも可能な限り国産米を食べる努力はできないだろうか(多くの物価が高騰していることもあって絶対に無理という家庭は現状の価格では仕方ないと思うが。経済事情はそれぞれ)。

たとえば、頻繁にカフェでコーヒーを飲んでいたけど回数を減らすとか、お菓子を控えめにするとか、自炊を増やすとか、レジャーの回数を減らすとか、連休の旅行は近場で楽しむとか、国産米を食べ続ける工夫はできないだろうか(そもそも昨年夏のように店頭から消えてしまえばどうしようもないが)。

なぜ「可能な限り国産米を食べる努力」が必要かと言うと、その選択・消費は、回り回って私たちの食糧の安全保障、言わば国防につながるからだ。今は米価高騰に苦しんでいる人が多いが、だからといって主食を輸入米にシフトさせてしまうと、将来的にたとえお金があってもお米が買えない状況になる日が来るかもしれない。日米関税についても、輸入を拡大するという案は近視眼的だと感じる。

繰り返しになるが、私たちの命をつなぐ主食(国産米)は何がなんでも死守すべきだ。私たちが1回1回の食事で何を食べるかという選択は、世の中の動きとつながっている。

 

普段何気なく食べてきた日本産米の見方・考え方が変わるきっかになればという思いで書いた「知れば知るほどおもしろい お米のはなし」(三笠書房 知的生き方文庫)が5月19日に発売予定。日本のお米や食文化を見直すきっかけになれば嬉しいです。

books.rakuten.co.jp