柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

太い錦糸卵

もうすぐ桃の節句。

 

今年はどんなちらし寿司を作ろうかと夫と相談していたとき、子どものころに食べた「わが家のちらし寿司」の話題になった。

 

「うちのちらし寿司には薄味に煮た椎茸と人参と蓮根が入ってた」「かあちゃんのちらし寿司はすし太郎だった」

 

赤色のマグロやオレンジ色のサーモン、イクラといった海鮮がのったちらし寿司ではなく、茶色く素朴なちらし寿司が我々にとってのちらし寿司。偶然だけどわたしと夫は食べ慣れてきたものが似ている。

 

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正月に食べた福島市「食堂ヒトト」の亀の尾ちらし寿司も茶色くておいしかった


今年の桃の節句は娘の初節句なので気合いを入れて作ろうと思っていたが、やはりわれわれがなじんでいる素朴なちらし寿司を作ろうと決めた。

 

夫と私の意見が一致したのは、ちらし寿司の仕上げにのせる錦糸卵は手作りに限るということ。私は市販の錦糸卵が好きではない。発色が良すぎるし、形がきれいにそろいすぎている。わたしにとっての錦糸卵は、母が作ってくれた薄黄色で少し太めの錦糸卵。もはや「錦糸」ではないけど。

 

そんな話をすると、夫も「かあちゃんが作ったのも太くてちょっと焦げてた」と言う。

 

「でも、それがいいんだよね」と、どちらからともなく言った。見映えはイマイチでも、すし太郎でも、それがわれわれにとってのちらし寿司。錦糸卵ひとつでこんなにも思い出話がたくさん出てくる。わたしは思わず「こういう話ができることが価値だね」と言った後、自分で自分の言葉にそうだよなあと頷いた。

 

娘が大人になったとき、「ママの錦糸卵は太くて焦げてた」とか「ママが作るものはちらし寿司もお弁当もいつも茶色かった」とか、そんな思い出話をひとつでも残せたら嬉しい。