柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

おかあちゃんの味ぶかし

福島県では「おこわ」のことを「おふかし」と言い、五目おこわ的なものを「味ぶかし」と呼ぶ。
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先日、おかあちゃん(義母)に味ぶかしについて質問しに行った。聞けば聞くほどおいしそうだけど、最近は作っていないと言っていた。たしかにおかあちゃんの味ぶかしを見たことがない。いつかおかあちゃんの味ぶかしを食べてみたいなあと思っていた。

そしたら昨日、おかあちゃんが味ぶかしを作ってくれた。朝5時過ぎに仕事に出たはずの夫が朝7時にドタバタと帰ってきて、味ぶかしのおむすび1個を私に渡して、また仕事に出て行った。おかあちゃんが作っていたのを見つけて、これは届けてやらねばと思ったらしい。

かあちゃんの味ぶかしはおいしかった。味ぶかしそのものもおいしかったけど、おかあちゃんが私と話した後に味ぶかしを作ってくれたことと、私が味ぶかしを調べていることを知っている夫がわざわざ味ぶかしを届けに帰ってきてくれたことが嬉しくて、おいしさが二重に上乗せされた。

夫によると、おかあちゃんはおそらく私のために作ったのではなく、私と話していたら自分が食べたくなったから作ったんだろうとのことだけと、そういうところがおかあちゃんらしくて良いなあと思う。

以前は糯米よりもうるち米が好きだったけど、福島県に住み始めてから、いつのまにか「味ぶかし」「黒飯」「白ぶかし」など、おふかしも好きになっている。食の習慣や慣習が食の嗜好や文化を作っていくんだろうなあとぼんやり実感している。

合い盛りたまごかけごはん

前回の「新たまごかけごはん」で課題にしていた、「卵白と醤油が混じり合う」かつ「卵白と卵黄をそれぞれ楽しむ」かつ「最後のひとくちは白ごはんで終える」ことを実現したたまごかけごはんができた。

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真ん中に擁壁を高く作って、片方に卵黄と醤油(卵黄を割って醤油をたらす程度)、片方に卵白と醤油(別の器で混ぜてなじませる)を入れて、擁壁(白ごはん)が残るようにそれぞれを食べ進めると、最後に白ごはんで終えることができる。

注意点は、食べる時に擁壁が崩壊したりトンネル開通したりしないように気をつけること。

何かに似てるなあと思ったら、合い盛りカレーだ。

やった!大発明だ!と思ったのも束の間、そういえば福島県会津坂下町「やますけ農園」さんが提案していた食べ方に激似であることに後から気づくのであった(たしか、やますけ農園さんは卵黄を割らず、卵白と醤油を混ぜない)。

新たまごかけごはん

このたまごかけごはんは大発明である気がする。たまごかけごはんに見えないけど、食べると紛れもなくたまごかけごはんだ。f:id:chihoism0:20210902073833j:image

いつものたまごかけごはんは、ごはんにくぼみを作り、そこに卵を落としたら、醤油(や味噌たまり)をひとたらしして終わり。すると、白身のとろりとした感覚と黄身の濃厚さをそれぞれ楽しむことができる。

ところが、最近は2つの問題が生じていた。

一つは、醤油と白身がうまく絡まないこと。黄身にはいとも簡単に醤油が混じり合うのに、白身はとろんとろんと醤油から逃げてしまい混じり合うことを拒否する。

もう一つは、最後の一口は真っ白なごはんで終わりにしたいので、最後まで白身と黄身が流れ込まないエリアを作りながら食べ進めるのだが、たまにしくじって最後の一口に卵液が付着してしまうということ。

この2つを解決するために考えた方法が、上の画像の食べ方。茶碗に卵を割り落とし、醤油(や味噌たまり)をたらして混ぜ、その上にごはんをふわりとよそる。

食べる時は、脇から食べ進めていくと、卵液とごはんが混ざった部分と白いごはん部分をそれぞれ別に食べることができる。つまり、たまごかけごはんをおかずに白ごはんを食べることができるのだ。最後の一口は白ごはんで終わるようにすることもできる。

「たまごをかけてないからたまごかけごはんではない」という指摘もありそうだけど、たまごかけごはんは「たまごをかけるごはん」と明言していないので、「たまごにかけるごはん」でもいいように思う。

次は2つの問題を解決しながらも、白身と黄身をそれぞれ楽しめるたまごかけごはんも考えてみたい。

お弁当の焼き魚とナポリタン

「お弁当の揚げ物とレタス」で「お弁当に入っているふにゃふにゃの衣の揚げ物が苦手」と書いた。揚げ物は衣がサクサクの状態で食べたい。

しかし、よく考えると焼き魚はなぜお弁当に入っていて嬉しいのだろうか。実家や飲食店では魚は焼きたてが好きで、ほんの少し焦げ目がついた皮がパリパリとして脂がジュージューしている魚の身をほぐし、醤油をたらした大根おろしと一緒に食べる瞬間がたまらない。しかし、お弁当に入っている冷えた焼き魚の切り身も「これはこれでおいしい」と思っている。とは言え、実家や飲食店で冷えた焼き魚が出てくるとガッカリしてしまう。

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これは冷えた焼き魚を弁当で食べる経験の多さが影響しているのだろうか。冷えた揚げ物を弁当で食べる機会が多い人は衣がふにゃりとした冷えた揚げ物も「これはこれでおいしい」と思っているのかもしれない。

そういえば、「お弁当の冷えたナポリタンがおいしい」と言っている人もいた。おそらく冷えたナポリタンが白ごはんのおかずとして家庭の食卓や飲食店で皿にどーんと盛られてもそこまで嬉しくはないだろう。これはお弁当の隅にちょんと入っているからこそ喜ばれている気がする。

「これはこれでおいしい」という言葉は、相対評価ではなく絶対評価であり、愛があるなあと感じる。

パックごはん食べ比べ・その1

先日、パックごはんにまつわるお仕事の依頼をいただいたが、電子レンジを持ってないしパックごはんも苦手なので縁遠いものになっていたし、炊飯文化を大切にしたいのでお断りしてしまった。

でも、パックごはんをほんの少し食べてみただけでパックごはんを否定しても説得力がないし、パックごはんもお米だし、パックごはんの需要が伸びているそうなのでやはりどんなものか知っておきたくなり、いろいろ買い集めて町の調理室を借りて食べ比べてみた。
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全体的に独特のにおいが気になる。一般的に好まれやすい「もちもち食感で甘い」炊き上がりを目指して作られていることがわかるけど、甘い=おいしい とも限らないと感じた。

炊き上がりが黄色みを帯びているものもあれば灰色のものもあり、やたらと米粒が濁っているものもあった。粒が立ってほろほろしているものもあれば、ぺたっとして半殺し状態のものもあった。
今回は白米と玄米と金芽米の計11種類を食べたけど、今回のナンバーワンは「サトウのごはん つや姫」。

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この中ではにおいが最も薄く(バニラと酢を混ぜたようなにおい)、粒立ちが良く弾力があり、変に甘すぎない。においと風味が若干気になるもののこれはこれでおいしかった(冷めるとにおいは分からないくらいに薄まった)。それにしても、つや姫はやはりタテ伸びしておもしろい。

またパックごはんを集めて開催したい。

お弁当の揚げ物とレタス

お弁当に入ったフルーツやプチトマトが好きではないと「おべんとうばこのうた・その4」に書いたが、もっと言うとお弁当に入った揚げ物も苦手だ。

揚げ物はサクサク感もおいしさの一つだと思うので、お弁当の中で時間経過とともに油を吸ってふにゃりとした衣は残念ながら食指が動かない。

夫にそう話すと、同意しつつも「春巻きとコロッケだけはふにゃりとしていてもいい」と言っていた。天ぷらも具材によってはふにゃりが容認できるものもあるそうだ。

「母ちゃんが揚げ物が下手で子どもの頃はサクサクの春巻きとコロッケを食べたことがなかったから」と夫。

そういうわけで、お母ちゃんが作らなかった揚げ物にはサクサク感を求めるのだという。食の嗜好に「食べ慣れ」は大きく影響すると改めて感じる。

ずいぶん前に弁当屋で塩サバ弁当を買ったところ、塩サバが揚げてあったことがあり驚いたというか憤った。本来は焼くべき塩サバを揚げるとは、塩サバに失礼だとさえ思った。ちなみに台湾で食べた魚の弁当はどれもこれも揚げてあり、焼き鮭や焼き鯖が入った日本のお弁当の素晴らしさを改めて思った(とは言え、郷に入っては郷に従うので台湾で食べる台湾のお弁当は胃もたれするけどおいしい)。

先日食べたお弁当には素揚げの野菜が入っていた。衣がついた揚げ物は油が多く、素揚げのほうが油が少ないと思っていたが、素揚げの野菜は油ギトギトでかなりヘビーだった。

衣がついていると油は衣に吸われつつも衣や食材の水分によって油感が緩和されていたのかもしれない。ふにゃりとした衣は好きではないが、唇がテカテカになるような油のギトギト感はなかった。

しかし、素揚げは油の行き場所がなく、食材の表面にとどまっているためか、食べると一気に口の中が油でギトギトになる。

やはり魚だろうと野菜だろうと揚げ物は揚げたてで食べたい。お弁当の揚げ物は苦手で、素揚げはもっと苦手だと気づいた。

ついでに言うと、お弁当に入った生野菜も苦手だ。シナシナヨレヨレの生ぬるいレタスがどうしても好きになれないし、揚げ物の下にレタスが敷いてあると、残念のオンパレードになる。

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レタスは揚げ物がのった部分が油でギトギトヨレヨレになる

お弁当にはお弁当だからこそおいしいおかずがあると思う。

とは言え、夫のコロッケや春巻きのように、「ふにゃふにゃ衣のエビフライが好き」「揚げ物の下に敷いて衣の油がしみたレタスが最高にうまい」という人もいるかもしれない。

個人的な嗜好で言えば、やはりきんぴらごぼうや玉子焼きなど冷えてもおいしいおかずがお弁当には合うと思うけど、揚げ物が入ったお弁当が多いことを思うと私の嗜好はマイノリティなのかもしれない。

おべんとうばこのうた・その4

おべんとうばこのうた・その1」「その2」「その3」と書いてきたが、読んでくださった方から正しい歌詞の情報をいただいた。

 

その方は、作詞された香山美子さんのホームページを見て新事実を突き止めていた。

 

一つは、「♪ごましおふって」ではなく「♪ごまふりかけて」だということ。

もう一つは、「♪さくらんぼさん」ではなく「♪さんしょうさん」だということ。

 

いずれもとても納得した。

たしかに赤飯ならばごま塩が定番だけど、幕の内弁当や崎陽軒シウマイ弁当のごはんには、ごま塩ではなく黒ごまがかかっている。

そして、個人的にはお弁当にフルーツやプチトマトなどを入れることが好きではないので、さくらんぼではなく山椒が登場してますます好みのお弁当に近づいた。山椒味噌もおいしそうだし、山椒の佃煮もおいしそう。フルーツやプチトマトは、他のおかずの汁やあぶらが付いてしまったり、生ぬるくなってしまったりするので、できればお弁当には入れたくない。どうしても入れたい場合は別容器に入れたい。

 

私の母は私が幼稚園生の頃からお弁当の彩りを気にしてくれるタイプで、いつもおかずは赤緑黄茶色と華やかだった。小学生、中学生の頃は給食だったが、高校生になると再びお弁当になり、また母が毎日お弁当を作ってくれていた。いつも残さず早弁していたが、大人になってから母との会話でお弁当のおかずの話題になり、「じつはお弁当のプチトマトは生ぬるくて苦手だったんだよね」と言ったら「言ってくれたら入れなかったのに〜」と言われた。反動か、今は茶色いお弁当が好きだ。

他にも、小学生の頃にスイミングの試合で母が持たせてくれたおむすびには、なぜかふりかけを混ぜたごはんに具も入っていた。ふりかけごはんならば具はいらないなあと思いながらも残さず食べていた。そのことも大人になってから母に言うと、「ふりかけごはんでも具がないとさみしいと思って」と言われた。反動か、今はシンプルな塩むすびが一番好きだ。

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家庭の食卓に出ていた母の料理は好きなものばかりで今もレシピを母に聞いて作ってみたりするが、外に持参していたお弁当やおむすびになると、なぜか母が作ってくれたものとは違うものを求めてしまう。おそらく、お弁当やおむすびを作るときだけ、母は人目を気にしていたからではないだろうか。彩りを気にしたお弁当は冷凍食品も活用されていたが、私はそれがあまり好きではなかった。

大学生になってからは、ときどき母が作った前の晩のおかずの余りを自分でお弁当に詰めてバイトに持って行ったりしていたのだが、それは茶色くて好みのお弁当だった。

 

当時、「これは入れないで」と母に言えなかったのはなぜなのか覚えていないが、おそらく冷凍食品を使っていても母が私のことを考えてお弁当を作ってくれていると感じていたからではないかと思う。おむすびも彩りを考えてふりかけを選んでくれていたのだろう。

 

大人になった今、冷凍食品やふりかけなどの既製品は好きではないので使わないが、料理には既製品を使っていてもちゃんと愛情を込めることができると母のお弁当とおむすびから教わった。