今年も静岡県藤枝市で開かれた「 カミアカリドリーム勉強会 」に夫と娘と一緒に参加。
巨大胚芽米「カミアカリ」の生みの親、 松下 明弘さんを含めた全国7生産者のカミアカリ、秘密のカミアカリ、静岡県農林技術研究所の巨大胚芽黒米の計9種類を試食。「カミアカリの味わいを言語化する」というテーマで、参加者がそれぞれの味わいを言葉で表現した。
参加者は約40人。ホワイトボードに書ききれないほど多様な言葉たちがたくさん出てきた。それでもボードに書き出したのはほんの一部。
私が書いたのは「鶏ガラの香り」「人の肌の香り」「薄い甘酒の甘さ」「香ばしい草の香り」「甘い草団子」「べっこう飴の甘さ」「バンドエイド風味の甘さ」「ドクダミの香り」「きなこの香り」など。
他の人の意見では「キャベツの芯の甘さ」とか「里芋の風味」とか「えびせんのような風味」あたりに「わかる〜!」と共感。この言葉たちを見ながら再び試食したら感度がいろいろな方向に増幅できたかも。
言葉は感度を上げてくれると改めて実感でき、やはり玄米は白米に比べて多様な言葉が出てくると改めて実感した。
それから、お米の味わいをつかむためには、いろいろな食体験のみならず、いろいろな体験が必要なのだと改めて実感した。小さなお子さまと一緒に参加された女性が巨大胚芽黒米に「さつまいもの皮(の風味や食感)」を感じたとおっしゃり、お話を伺うと「お子さまに蒸したさつまいもをあげるときに取ってあげた皮をいつも私が食べている」とのことで、その時の風味や食感を彷彿とさせたそうで、これが個人的にはめちゃくちゃおもしろかった。
私が出した「人の肌の香り」もいつも娘を抱っこしているから。日本酒に感じられる「梨の香り」や「青りんごの香り」なども、ほぼ果物を食べていなかった以前だったら捉えにくい香りだったと思うけど、果物好きの娘のおかげで果物を食べる機会が増えたので、以前よりは捉えられるようになっているような。
味や風味などの記憶力が良い人ならば、昔の体験がいとも簡単に引き出せるのだろうけど。
また、たとえばある風味をネガティブに捉えてネガティブに表現していた人が、同じ風味をポジティブに捉えた人のポジティブ表現に出会った時、その風味の捉え方が少しポジティブになったらおもしろいなと感じた。たとえば、納豆に初めて出会った人が、「腐敗」と聞くと、ネガティブに感じられ、「発酵」と聞くと、ポジティブに感じられる…みたいな。できれば故•淀川長治がどんな映画も愛して褒めていたように、どんなお米も愛して褒めたいと思っているのにネガティブに感じた点はネガティブに表現してしまう私にとって、この仮説はとても興味深い。
この言葉出しの後に、今回の講師である「創作珈琲工房くれあーる」代表で「カップオブエクセレンス」国際審査員の内田一也さんがコーヒーの審査を例にお話くださり、この玄米を言葉で表現するという試みにかかっていた濃い霧がほんの少し薄くなったように感じた。
玄米を言葉で表現する際の分類について内田さんや参加者の方たちからたくさんのヒントをいただいたので、掘り下げることで、より次回以降の言葉出しがしやすくなるかもしれない。言葉出しをやりやすいということは、感覚が鋭くなるということだと思うので、言葉出しのやりやすさは重要だと感じる。
個人的には、この玄米の味わいを言葉で表現するという絶対評価と相反する相対評価の世界であるお米のコンクールの審査についてもヒントをいただいた。
これまで審査員によって重視ポイントが違う点がおもしろいと思う反面、もやもやとした思いも抱いていて、今回内田さんが「客観的評価」というワードを何回もおっしゃっていたので、自分なりに主観ポイントと客観ポイントを洗い出してみた。
記者時代に「客観報道」というワードを使う先輩に、ネタを選んだ時点で主観じゃないのか?客観的データであってもどのデータを使うか選ぶ時点で主観じゃないのか?などと青くさい反発をしていて、世の中に客観的なことなんて極めて少ないと思っていたけど、お米に話を戻すと、この食味ポイントは相対評価に限っては客観的になり得る唯一のポイントではと思える気づきがあった。今回のテーマとはズレているかもしれないけど、絶対評価を考えることは相対評価を考えることにつながり、相対評価を考えることは絶対評価を考えることにも繋がるんだなという学びもいただいた。
カミアカリドリーム勉強会•総合プロデューサーの安東米店の 長坂 潔曉さん、今回もありがとうございました。いつも準備や片付けをしてくださるカミアカリメンバーの皆さま、ありがとうございました。
今回も山に入って自然薯を掘ってきて、2時間かけて引いた出汁で、滋味深いとろろや香りからすでにおいしい味噌汁を振る舞ってくださった松下さん、ありがとうございました。
ごちそうさまでした!