いろいろなコシヒカリ信仰
日本には「ブランド米信仰」があると言われている。
ブランド米には「つや姫」や「ゆめぴりか」などいろいろあるが、この表現における「ブランド米」を指すのは、おおむね「コシヒカリ」だ。
コシヒカリは1956(昭和31)年に生まれた品種で、1979(昭和54)年に作付け面積トップに躍り出て以来、半世紀近くにわたってその座を守り続けている。そういえば、コシヒカリ誕生から今年で70年を迎える。世界的な気候変動に見舞われている中、これってかなり異例のことではないだろうか。
だが、地域によっては夏場の高温でコシヒカリの品質が落ちてきている。
その一方で、高温耐性品種が続々と開発され、「にじのきらめき」をはじめとした高温耐性・多収品種も開発されている。
ところが、コシヒカリからの品種の入れ替えは進まない。「コシヒカリを減らして、にじのきらめきを導入した」という農家の声も聞くが、全体からみるとまだ少ない。にじのきらめきを新たに産地品種銘柄に登録する地域も増えているが、生産量は全体からみるとまだ少ない。
入れ替えが進まない要因には、農協の概算金がコシヒカリのほうが高い、高温耐性・多収品種への農協の対応が柔軟でない、種もみが足りないなど、栽培・流通の要因もあるが、消費者ニーズだけを見ると、「ブランド米信仰」「コシヒカリ信仰」が大きく影響していると言われていて、たしかにその要素は大きいと感じる。具体的には、「①コシヒカリの品質が落ちたように感じていても、コシヒカリを買い続けている→コシヒカリ一択信仰」「②品質の落ちたコシヒカリを食べてもイマイチだと思わない→頭で食べるコシヒカリ信仰・ご飯の食味に無関心なコシヒカリ信仰」という2パターンが多いのではないだろうか。
一方で、「③コシヒカリがイマイチに感じられて、高温耐性と言われる品種を買ってみたが、それもイマイチだったのでコシヒカリを買っている」というパターンもあるだろう。
あくまでコシヒカリの品質が落ちている場合を前提にしているので、もちろんおいしいコシヒカリを食べている人もいることも付け加える。
コシヒカリが売れれば、コシヒカリを栽培するのは、当たり前のことだ。
頑張れ「にじのきらめき」
注目されているにじのきらめきについて率直な感想を言うと、なかなかおいしいにじのきらめきに出会える機会がない。品種特性としては「コシヒカリ並みの高食味」と言われているのだけども。にじのきらめきの評判を聞くと、ある米屋は食味をイマイチだと切り捨て、別の米屋は「ブレンド米の原料として優秀」という評価だった。だからこそ、2年前に栃木県の生産者のにじのきらめきが比較的おいしかったときは驚いた。品種特性はあくまで品種特性であり、食味を決めるのはやはり栽培が大きいのだ。
なかなかおいしいにじのきらめきに出会えないのは、あくまで収量重視で高食味を目指して栽培されていないためなのか、あるいは高温耐性を超える高温に見舞われているためなのか。信仰の強弱にもよるが、「おいしかったらコシヒカリ信仰からの離脱はあり得る」という人も少なからずいるはず。そういう意味で、高温耐性・多収品種の普及が進まない要因を「ブランド米信仰が普及の壁」というふうに全面的に信仰のせいにする論調はどうも引っかかり、食味で負けているという側面から目をそむけているように感じる。
「ブランド米信仰」「コシヒカリ信仰」という言葉には、消費者を揶揄するような雰囲気も若干感じられるが、実際コシヒカリはすごい品種なのだと思う。70年間作り続けられてきた品種には、それだけ多くの人たちの尽力が積み重ねられてきたのだ。コシヒカリ信仰の良し悪しは置いておいて、関わってきた人たちを称賛すべきだと感じる。
「令和の米騒動」後は、栽培面において収量重視の風潮になってきているが、やはりおいしいお米が食べたいという層も多いのではないだろうか。選ばれるためには価格だけでなく「おいしさ」が欠かせない。私たちが食べるのは価格ではなく、目の前のご飯なのだ。「コシヒカリ並みの高食味」と言われているにじのきらめきの名誉が回復されるようなにじのきらめきに出会いたい。
にじのきらめきばかりを例に挙げてしまったが、ある品種の普及拡大には、まずはコシヒカリに匹敵する高食味米が出回ることがスタート地点。現代は特に口コミの力は大きいので、一発逆転だってあり得ると感じている。