柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

自分が納得するための補足

福島県会津若松市「高橋庄作酒造店」さんからお声がけいただき、「一般社団法人J.S.P.(ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォーム)」が運営する「UTAGE」のライブ配信に出演した。

配信後に配信蔵元限定酒が販売されるというシステムで、今回の限定酒は夫の「亀の尾」をお使いいただいた「会津娘つちや亀ノ尾」。夫の自然栽培米「亀の尾」もセットで。

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時間が限られていたこともあり、聞いていて語弊がある部分があったかもしれない。

というわけで、説明不足が気になった部分をブログに書くことで、自分の中で納得感を得ようと思う。

配信の中で、明治時代に生まれた「亀の尾」が時代にマッチして広がっていき、大正時代には作付けがピークに達したという話をした。

何がマッチしたのかというと、「乾田馬耕(かんでんばこう)」や「厩肥や豆粕の利用」と説明したが、これについてもう少し詳しく説明したい。

◆乾田馬耕

田んぼの排水性を良くして土を乾燥させることで、「乾土効果(かんどこうか)」といって、栽培期間中に土壌から供給される窒素量が増加する。これは、何度も田起こしすると、さらに効果的。明治時代に馬にスキを引かせた馬耕が行われるようになり、深く耕すことができるようになると、「乾田化」と「深耕」によって、潜在していた土壌中の窒素が有効化するようになった。

すると、それまで作られていた品種が過剰に生育して倒伏するようになり、背の低い品種が求められるようになった。「亀の尾」は現代品種に比べると背が高いが、当時の稲の中では背が低かったので、当時としては作りやすかったようだ。

◆厩肥や豆粕の利用

馬耕を行うということは、馬の糞尿が出る。それが肥料とし使われるようになったほか、魚粉や豆粕などの有機質が使われるようになると、大量の肥料による悪影響を受けづらい「耐肥性」をもった品種が求められるようになった。「亀の尾」はそれまで作られていた品種に比べて耐肥性が強く、収量も多かったらしい。

もう1点。

「亀の尾」のオリジンを選びとる過程では、「芒(籾の先から伸びた毛)がないもの、ふ先(籾の先)に色がないものを選び、出穂が遅いものを排除していった」と言いたかったのだけど、後から見ると、なんだか語弊がある言い方をしている私。

ごちゃごちゃ書いたけど、配信の最後に蔵元杜氏の高橋亘さんがおっしゃっていた「香味の風土化」というワードにぐっときた。

日本酒はその香りとか舌触りとか味わいを感じながら飲んでいたけど、さらにその先にある、そのお酒のお米が育った土の香りや田んぼに吹く風など、風土も一緒に味わいたい。夫は「食べた人がタネの記憶を共有できる米が作りたい」と言っていた。なんだか似ている2人。コメ作りにも酒造りにもロマンがある。

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UTAGE限定酒は完売御礼。