柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

ソウルフードとは

先日、某県の「県民のソウルフード」と聞いていた商品を食べたのだけど、率直に言うと期待外れだった。

夫に言うと、「その県民だけがおいしいと思うからソウルフードなんだろう」とのこと。

そもそも「ソウルフード」とは「米国南部の黒人の伝統的な料理」を指していたが、2000年以降の日本ではソウル(魂、精神)との意味から派生して、各地特有の郷土料理などを指すことがほとんどとなっているらしい。(朝日新聞「知恵蔵」)

「名物にうまいものなし」という言葉があるせいか、「名物」と聞いても期待値を上げることはないのに、「ソウルフード」という曖昧な言葉を聞くとなぜか期待値を上げてしまいがち。

どの地域でも同じものを食べるようになったらそれはすでに「ソウルフード」ではないようにも思うので、やはり「その県民だけがおいしいと思うからソウルフード」という夫の言葉はあながち間違いではないのかもしれず、「ソウルフードにうまいものなし」と思っておいたほうがいいのかもしれない。原材料が限られた地域でしか入手しにくいなどの事情がない限り、おいしければ地域固有のものではなくなるようにも思われるので…

「日本のソウルフード」とも言われたおむすびは、今や海外で大人気。海外の日常食として普及するほどに、おむすびは日本のソウルフードではなくなるのかもしれない。

カミアカリの味わいを言葉で表現する

今年も静岡県藤枝市で開かれた「 カミアカリドリーム勉強会 」に夫と娘と一緒に参加。

巨大胚芽米「カミアカリ」の生みの親、 松下 明弘さんを含めた全国7生産者のカミアカリ、秘密のカミアカリ、静岡県農林技術研究所の巨大胚芽黒米の計9種類を試食。「カミアカリの味わいを言語化する」というテーマで、参加者がそれぞれの味わいを言葉で表現した。

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参加者は約40人。ホワイトボードに書ききれないほど多様な言葉たちがたくさん出てきた。それでもボードに書き出したのはほんの一部。

私が書いたのは「鶏ガラの香り」「人の肌の香り」「薄い甘酒の甘さ」「香ばしい草の香り」「甘い草団子」「べっこう飴の甘さ」「バンドエイド風味の甘さ」「ドクダミの香り」「きなこの香り」など。

他の人の意見では「キャベツの芯の甘さ」とか「里芋の風味」とか「えびせんのような風味」あたりに「わかる〜!」と共感。この言葉たちを見ながら再び試食したら感度がいろいろな方向に増幅できたかも。

言葉は感度を上げてくれると改めて実感でき、やはり玄米は白米に比べて多様な言葉が出てくると改めて実感した。

それから、お米の味わいをつかむためには、いろいろな食体験のみならず、いろいろな体験が必要なのだと改めて実感した。小さなお子さまと一緒に参加された女性が巨大胚芽黒米に「さつまいもの皮(の風味や食感)」を感じたとおっしゃり、お話を伺うと「お子さまに蒸したさつまいもをあげるときに取ってあげた皮をいつも私が食べている」とのことで、その時の風味や食感を彷彿とさせたそうで、これが個人的にはめちゃくちゃおもしろかった。

私が出した「人の肌の香り」もいつも娘を抱っこしているから。日本酒に感じられる「梨の香り」や「青りんごの香り」なども、ほぼ果物を食べていなかった以前だったら捉えにくい香りだったと思うけど、果物好きの娘のおかげで果物を食べる機会が増えたので、以前よりは捉えられるようになっているような。

味や風味などの記憶力が良い人ならば、昔の体験がいとも簡単に引き出せるのだろうけど。

また、たとえばある風味をネガティブに捉えてネガティブに表現していた人が、同じ風味をポジティブに捉えた人のポジティブ表現に出会った時、その風味の捉え方が少しポジティブになったらおもしろいなと感じた。たとえば、納豆に初めて出会った人が、「腐敗」と聞くと、ネガティブに感じられ、「発酵」と聞くと、ポジティブに感じられる…みたいな。できれば故•淀川長治がどんな映画も愛して褒めていたように、どんなお米も愛して褒めたいと思っているのにネガティブに感じた点はネガティブに表現してしまう私にとって、この仮説はとても興味深い。

この言葉出しの後に、今回の講師である「創作珈琲工房くれあーる」代表で「カップオブエクセレンス」国際審査員の内田一也さんがコーヒーの審査を例にお話くださり、この玄米を言葉で表現するという試みにかかっていた濃い霧がほんの少し薄くなったように感じた。

玄米を言葉で表現する際の分類について内田さんや参加者の方たちからたくさんのヒントをいただいたので、掘り下げることで、より次回以降の言葉出しがしやすくなるかもしれない。言葉出しをやりやすいということは、感覚が鋭くなるということだと思うので、言葉出しのやりやすさは重要だと感じる。

個人的には、この玄米の味わいを言葉で表現するという絶対評価と相反する相対評価の世界であるお米のコンクールの審査についてもヒントをいただいた。

これまで審査員によって重視ポイントが違う点がおもしろいと思う反面、もやもやとした思いも抱いていて、今回内田さんが「客観的評価」というワードを何回もおっしゃっていたので、自分なりに主観ポイントと客観ポイントを洗い出してみた。

記者時代に「客観報道」というワードを使う先輩に、ネタを選んだ時点で主観じゃないのか?客観的データであってもどのデータを使うか選ぶ時点で主観じゃないのか?などと青くさい反発をしていて、世の中に客観的なことなんて極めて少ないと思っていたけど、お米に話を戻すと、この食味ポイントは相対評価に限っては客観的になり得る唯一のポイントではと思える気づきがあった。今回のテーマとはズレているかもしれないけど、絶対評価を考えることは相対評価を考えることにつながり、相対評価を考えることは絶対評価を考えることにも繋がるんだなという学びもいただいた。

カミアカリドリーム勉強会•総合プロデューサーの安東米店の 長坂 潔曉さん、今回もありがとうございました。いつも準備や片付けをしてくださるカミアカリメンバーの皆さま、ありがとうございました。

今回も山に入って自然薯を掘ってきて、2時間かけて引いた出汁で、滋味深いとろろや香りからすでにおいしい味噌汁を振る舞ってくださった松下さん、ありがとうございました。

ごちそうさまでした!

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お米を食べて日々努力

文化の日、福島県・天栄村「天栄米食味コンクール」の審査員を務めさせていただいた。

昨年はノミネート米15点のうち、10点が「ゆうだい21」、5点が「コシヒカリ」だったが、今年は総合部門ノミネート米10点のうち8点が「ゆうだい21」、残り2点は「コシヒカリ」と「福、笑い」。今年の金賞受賞米5点はすべて「ゆうだい21」。今年もゆうだい強い。

ちなみに今年のノミネート生産者12人のうち7人は昨年もノミネートされていた生産者だった。

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品種部門は「福、笑い」と「天のつぶ」の一騎打ち。食味特性がまったく違う品種で、得票数は同票。審査員ごとに重視する点が違うのが興味深い。当たり前ながら審査員は人間なので、良食米の定義はあっても人間が審査すれば嗜好はつきものなんだなと改めて感じる。

お米を日常的に味わうのは日本全国の老若男女なので、いろいろな嗜好の人たちがおいしいと思うお米が日本の食卓におけるおいしいお米なんだろうな。

それでも、審査員の嗜好という運で決まってしまうのは生産者に申し訳ない。

やはり、嗜好の違いはあるにせよ、品質を見抜く力を審査員は日々磨かなければならないのだと心に留めて、日々努力。

自分のお米を食べ続けて80年

昨年に引き続き「西会津一うまい米コンテスト」の審査員として西会津町へ。

審査させていただいたのはコシヒカリ部門で、ノミネート米は5種類。西会津町のコシヒカリはあいかわらずどれもツヤッツヤ。そして、やわらかくて、粘りが強い。

全体的に猛暑と渇水に見舞われた昨年よりも良かったが、やはり食感には出穂後の高温の影響が感じられた。味と食感のバランスで迷いながらも今年は比較的わかりやすかった。

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今年は米食味分析鑑定コンクール国際大会でもノミネート&受賞経験多数の生産者・三瓶鐵江さんも審査員に加わっていらっしゃった。

西会津町のコンテストでは昨年殿堂入りして「西会津町米作りの巨匠」になられたので、もう西会津のコンテストでは三瓶さんのお米が食べられないのかと残念に思っていたが、初めてお目にかかれて嬉しいかぎり。

講評で三瓶さんが「人のお米を食べるのは初めて」とおっしゃっているのを聞いてなぜか感激してしまった。お歳は80代前半とのこと。子どものころはおそらくご家族が作ったお米を食べ、青年になった三瓶さんがお米を作るようになってからはご自身で作ったお米を食べていたのだろう。80年以上にわたる食生活の中で他人のお米を食べるのが初めてということが、なんだか不思議と尊く感じられた(家庭の炊飯ではということだと思うけど)。

前々から、生産者が他の生産者のお米を食べずにいては食味を上げるモチベーションが生まれにくいのではと思っていたが、おいしいお米を作り続けておられる三瓶さんが他の生産者のお米を食べたことがないとは、いろいろな生産者さんがいるんだなあと新鮮な気持ちになった。

そして、三瓶さんはめちゃくちゃお米のベロメーターのレベルが高いのではとも思った。「自分の米を基準に選んで、自分の米よりも上だと思う米が2つあったのでそれを選んだ」とおっしゃっていたので、終了後に三瓶さんにどれを選んだのか聞きに行った。他の審査員がどれを選んだのか聞くとまた学びになる。

激減するお米屋さん

米屋は1972(昭和47)年に約4万件、20年後の1994(平成6)年は約3万4000件あったが、それから20年後の2016(平成28)年には約9800件と3分の1以下にまで激減した。

内訳を見ると、1994年は法人経営の米屋が約1万件、個人経営の米屋が約2万4000件だったが、2016年になると法人経営の米屋は2900件、個人経営の米屋は約7000件と、それぞれ7割ずつ減っている。

そして、2021年になると、法人経営の米屋はさらに3割減の約2000件になり、個人経営の米屋の件数は調査無しとなった。もしも法人経営と同じペースで減少しているならば、5000件を切っている可能性もある。

(いずれも経済産業省「令和3年経済センサス」・1972年は経済産業省「商業統計」参照)

最近でも神奈川県の米屋から「近くの米屋が閉めてしまったので、得意先を引き継いだ」「農家さんと同じで米業界も若い人がいない」「ものすごい勢いで米屋・問屋がなくなっている」と聞いた。

米屋でお米を買う消費者も減っている。

2021(令和3)年度のお米の購入・入手経路を見てみると、半数が「スーパーマーケット」で、次いで15%が「家族・知人から無償で入手」とある。いわゆる「縁故米(えんこまい)」だ。

そして、「インターネットショップ」「ドラッグストア」「生協」「生産者から直接購入」と続き、「米穀専門店(米屋)」はたったの2%(公益社団法人米穀安定供給確保支援機構「米の消費動向調査」)。米屋が減少している理由には、後継者不足というケースもあるが、購入先として選ばれなくなってきたといった要素も大きそうだ。

ある米屋は「みんな米屋で米を買わないのに、新米の季節になるとメディアは米について取材に来る」と言っていた。たしかにその通り。

1993年の大凶作による米不足で体力を奪われた米屋が94年以降に減っていったと言われているが、2024年も米屋は1993年のような状況に追い込まれかれない。

猛暑による品質低下などの影響でお米が品薄気味となり、春になってから米屋が仕入れる「スポット価格(業者間取引価格)」が急上昇した。

米屋から1円でも仕入れ価格を下げたい飲食店が多い現状では、米価の上昇を販売価格へ転嫁しにくく、米屋は頭を抱えることになる。

夏になると、「令和の米騒動」と言われるほどお米が品薄状態となり、消費者の備蓄や買い占めの動きも相まって、8月の端境期になると首都圏の中心にスーパーのお米売り場の棚は空っぽになった。

すると、米屋には一見客が殺到したり「お米ありますか?」という問い合わせに追われたりと、通常業務に支障が出るほどで、シャッターを半分閉めて営業する米屋もいた。

潤沢に販売できるお米がない状況に追い込まれる米屋も多く、ある米屋は「これを機に店を閉める米屋は増えるだろう」と話していた。

お米に限らず「淘汰される時代」なんて言われているが、もしかしたら米屋の魅力に気づいていないだけかもしれない。お米について質問して、お米の知識が増えれば、お米の楽しみ方も倍増するはず。ぜひ気軽に米屋へ出かけて「推し米屋」や「推し生産者」を見つけてみてはどうだろう。

青米はおいしいのか?

◆青米だらけの玄米の味わいは?

完熟直前の活青米が混ざっているお米は、「刈り遅れ」ではない証として好まれることもある。

「刈り遅れ」とは、稲刈りに最適なタイミングを逃してしまい、品質や味わいが落ちてしまうこと。

活青米がお米に混ざっていると「おいしい」とか「甘い」などと言われ、たしかに活青米が混じったお米を甘いと感じたことは何度かあった。

そのため、「活青米=甘い・おいしい」という思い込みがあったが、論理的に考えると、活青米は成熟途上の未熟米でじゅうぶんにでんぷんが詰まっているとは言えないため、味も食感も物足りないはず。

ならば、なぜおいしいとか甘いとか感じたのかというと、おそらく、刈り遅れずに活青米がちょっぴり混じるくらいのベストなタイミングで刈ることができた、品質の良いお米だったからなのではないだろうか。

以前に、長野県の米農家から活青米だけをより分けた玄米を試食させてもらった。

一緒に試食した人の中には「草のような風味がある」と話す人もいた。

私にはごはんの味ではなく米粉のような味に感じられ、若干の苦味も感じた(この苦味の原因はカメムシ被害かなと予測している)。そして、甘味があった。ただし、おいしい甘味というよりは、旨味がのっていない、甘さだけに焦点を絞ったような、物足りなさを感じる味だった。きっとこれが熟しきれていないお米の味なのかもしれない。

また、「あえて早く刈った青米だらけのお米」として「若玄米」という名称で話題になっていたお米を購入して食べてみたことがある。

ある岐阜県産若玄米は「ミルキークイーン」「にこまる」「コシヒカリ」のブレンド米で、通常の色の玄米の中に活青米がたくさん混じった玄米。3品種ものブレンド米というあたりに、「各品種から活青米をなんとか集めました!」という苦労がにじみ出ている。

岐阜県産の「活青玄米」。3品種のブレンド

炊飯すると、ビスケットのような甘い香りして、程よく柔らかく、噛むと歯に吸い付くような不思議な感覚があり、まるで生のクルミの実を食べたときのような食感。そして、味が薄く、苦味が際立っていた。カメムシ被害は少なく比較的きれいなお米であるだけに、苦味の原因が気になっているが、これも味わいや食感から未熟さを感じた。

やはり活青米そのものがおいしいのではなく、活青米が混じるくらいのタイミングで刈ったお米がおいしいということ。だから、おいしさのためには活青米は多ければいいわけではないのだろう。

◆活青米はなぜ甘い?

ただし、例外がある。

夫は若かりし頃、寒冷地で西日本の晩生の品種を育ててみたことがあったらしい。

気候に合わず実らないかと思われたが、たまたまその年の気候に合っていたせいか、なんとか活青米だらけのお米がとれたとのこと。

夫はそのお米を日本最大規模のお米のコンクールに出品したところ、なんと特別優秀賞を受賞。実際に食べた審査員の一人からは「奇跡の米」と賞賛されたらしい。

ちなみに、翌年は気候が合わず実らなかったそうで、この品種の栽培はやめてしまったので、たしかに「奇跡の米」となった。

夫が白米にして食べると、「めちゃくちゃおいしかった」そうで、甘味もあったとのこと。もしかしたら、「早刈りした活青米」と、「ギリギリなんとか収穫できた活青米」とでは、同じ活青米でも質が違うのかもしれない(前者を「養殖」、後者を「天然」と表現する人もいてナルホドだった)。

それにしても、なぜ甘かったのだろうか?

一般的に熟していない野菜や果物は甘くないどころかエグ味や渋味があったり酸味があったりする。たとえば、トマトもピーマンも緑色のうちは甘くなく、熟して赤くなると甘くなる。

この疑問について、お米の味わいに詳しい専門家に質問すると、活青米に「ショ糖」が残っているためではないかと推察されていた。

イネは光合成によってショ糖をつくり、ショ糖のまま籾の中に運ばれる。もみの中では、籾の呼吸によるエネルギーとでんぷんをつくる酵素によってショ糖からでんぷんが作られる。つまり、活青米はでんぷんが不完全な状態であるためにショ糖が残っているから甘味を感じるのではないかということだった。

「ショ糖」はあまり耳慣れないかもしれないが、ショ糖を精製したものが砂糖なので、ショ糖には甘味がある。

もみの中でショ糖がでんぷんに変わる途中の状態を「乳熟期」と呼ぶ。熟する途中でまだ固まっていないでんぷんは「まるでミルクのようだ」ということでこう呼ばれている。この“ミルク”を吸うとほんのり甘いそうなので、きっとこれもショ糖が残っているせいもあるのだろう。

◆収穫後に青米の緑色は抜けるの?

精米すると活青米は通常の玄米と同様に透明感のある白米になる。一方で、ツヤのない未成熟の「死に青」とか「死青米」とか「青死米」と言われるお米は、精米しても緑色が残り、お米に混入していると品質が下がる。

見極めるポイントはツヤがあるかないかだが、死青米は選別の段階で弾かれることが多く、一般的に目にする機会は少ないかもしれない。

ところが、目にする機会があった。

先ほど書いた「若玄米」は定義が明確ではないため、中には粗悪品もある。

ある千葉県産若玄米は、全体的に玄米色。青米は入っていたが、活青米ではなく、死青米だった。

販売者に問い合わせてみたところ、「選別基準は公開できず、青みの玄米を中心に集めることを目的、基準にしていない」との回答。

商品説明には「成熟する前に刈り取られたお米の中から、特に緑色をしているものを中心に集めた玄米」と書いてあるのだけども…。

高齢の農家の中には「活青米は収穫してから日数が経つと次第に玄米色に変わっていく」と話す人もいる。そのため、もしかしたらこの「若玄米」も収穫したときは活青米があったのかもしれない…とも思った。

しかしながら、私が4年前からジッパー付きポリ袋に入れて冷蔵庫で保管していた活青米を引っ張り出してみると、変わらず青いまま。これは、活青米だけを集めて食べてみようと思い立って150g(1合)を目標に手作業で一粒ずつ取り分けたものの目標の半分近くに到達したところで断然、そのまま眠らせておいた活青米だ。

イネの栽培に詳しい研究者によると、収穫後の青米は時間経過とともに乾燥していく過程で葉緑体の緑色が抜けていくとのこと。つまり、葉っぱが枯れるのと同じ仕組みだ。

高齢の農家が「時間が経つと緑色が抜ける」と話していたのは、玄米の常温保存による乾燥が要因とみられる。現代では湿度と温度を一定にした冷蔵庫で玄米を保存するのが一般的なので、活青米の緑色が抜けることはない。

この若玄米は保存によって活青米の色が抜けたのか、あるいは、もともと活青米は入っていなかったのか、真実は保管倉庫の中。

稲作農家を苦しめる“慣習”

兼業農家や年金暮らしの高齢農家の中にはコンバインがなく田植えや稲刈りなどの作業を近隣の専業農家にお願いするという場合が多い。各地域には「農作業受託料金表」というものがあり、作業ごとに委託料が決まっている。

だが、委託者と受託者が同じ集落の場合、半額に近い価格で受託しているケースもある。「昔からずっとこうだから」と委託者に悪気はないのかもしれない。昔はどうだったのかわからないが、今はこうした“慣習”が専業農家を苦しめる一因となっている。作業を委託している側は燃料を買う必要がないから、燃料代が高騰して専業農家が疲弊していることにすら気づかないのかもしれない。

知り合いのA専業農家からこんな話を聞いた。

先日、A専業農家のもとに一人の高齢農家がやってきた。すべて倒伏させてしまい、これまで稲刈りを委託していた農家から「うちでは無理」と断られたという。

今年は天候が悪いため、稲刈りの進捗が滞っている。だから、A専業農家は断った。すると、「ならばあっちに頼むしかないんだ」と集落外のB専業農家の名前を出してきた。つまり、いずれ田んぼの耕作を手放すとき、同じ集落内のA専業農家に預けるのではなく、集落外のB専業農家に預けるというのだ。そうなると、A専業農家に農地が集積されない。

高齢農家の脅しとも取れる発言に屈したA専業農家は倒伏した田んぼの稲刈りを受けることにした。

だが、倒伏すると、稲刈りに倍以上の時間や手間がかかるため、農作業受託料金表では倒伏した田んぼの稲刈りは割増価格が設定されている。当然ながらA専業農家も料金表にのっとった金額(地域によるが、この地域は100%倒伏した田んぼの場合は100%増し。この高齢農家は80%倒伏のため本来ならば80%増し)を提示するところだが、A専業農家は“慣習”が頭にあるため、たったの15%増しを提示した。

すると、その高齢農家は「それはいじめだ!」と非難してきたそうで、A専業農家はあまりの理不尽さに脳が思考停止してしまい、割増ゼロで決着してしまったという。この高齢農家が地域で幅を利かせている企業の元役員ということもあるのだろう。

ただでさえ自分たちの田んぼが刈り遅れになりそうな天候の中、収入源が稲作だけで食っている専業農家のビジネスを、こづかい稼ぎで稲作をしている高齢農家が邪魔をするという構図に「地域農業って何だろう」という問いを持たざるを得ない。

そもそもこの高齢農家は、専業農家が農地を集積したがっていることを知っていながら、農地を手放すどころか農地を人質にしている。

将来的には高齢農家がばたばたと辞めていき、需給が逆転してしまう日が来るという推計もあるが、以前に「稲作の離農問題について言いにくいけど言いたいこと」を書いたように、担い手が順番待ちをしている地域では今後の地域農業や食糧安保のためにも若手に道を譲る英断は必要だろう。

稲作の後継者問題は地域全体で考えるべきだと改めて感じる。