柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

移動しながら食べるおいしさ

機内食が好きだ。特別おいしいとは思わないけど、移動しながら食べることがなんとなく楽しい。偏食なので機内食はいつもジャイナ教ベジタリアンミール。喜んで食べているけど、普段の生活ではわざわざ食べようと思わない。

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家族で遠出する時に夫が運転する車の中でおむすびを食べるのも楽しい。出張帰りの新幹線の中で一人で鯖棒鮨を食べながら日本酒を飲むのも楽しい。この高揚感は食堂車のそれとは種類が違う。あくまで座席で食べるのがポイントのような気がする。

 

とは言え、普通の在来線でおむすびやパンを食べるのは美しくないなあと感じる。その線引きはどこなのだろう。思うに、向かいに知らない人が座る可能性があるか否かではないだろうか。

乗客がそろって進行方向に座る特急や新幹線はセーフ、普通の在来線はアウト。在来線でもガラガラに空いていたらセーフ。在来線のグリーン車は進行方向に座るからセーフ。だからこそ、新幹線に乗っているときに通路を挟んだ隣の席に突如ボックス席が出現すると、落ち着かない気持ちになる。4人以上のグループが乗ってくると、どうかボックス席にしませんようにと祈っている。

 

15年ほど前、インドで三段ベッドの寝台列車に乗った時、朝起きるとベッド下のボックス席でインド人家族がカレーの匂いのする何かを食べていた(薄暗くて寝ぼけていて覚えていないがカレーの匂いがした)。異文化であることと長距離の寝台列車という特殊感によって、知らない人と向かい合っていても違和感を覚えるどころか、とても楽しそうでおいしそうでうらやましく眺めていた。

 

移動中の1人の食事も楽しいけど、こうして家族で食事をしている人たちを見ると、昔を思い出して郷愁にかられる。

 

子どもの頃、信州出身の母の実家へ家族で遊びに行く時、上野駅で買った駅弁を新幹線のボックス席で食べた。上野駅発の「特急あさま」。当時はボックス席にしている人が多かったように思う。今はボックス席を見る機会が少ないのはなぜだろう。4人グループが少ないのか、グループでも移動中は自分の時間を大切にしたいからなのか、はたまた私のような神経質な人がいるからだろうか。

駅弁を食べ終わった後、しばらく走ると「峠の釜飯」で有名だった横川駅に到着する。スイッチバックのために何分か停車する間に、母からもらった小銭を握りしめて駅のホームのそば屋へ走る。同じようにそば屋へ押し寄せる大人たちに紛れ、発泡スチロール容器に入ったかけそばを買い、そばつゆをこぼさないように気をつけながら早歩きで特急あさまに戻る。横川駅を出発するころには車内にはそばつゆの香りがたちこめ、そこかしこでそばをすする音が聞こえる。このそばが本当においしかった。

 

今でも立ち食いそばを見ると、あの時のそばつゆの香りと、立ち上る湯気で顔を湿らせながらはふはふ言いながら食べた濃いめの味をおぼろげに思い出す。でも、やはりあの味とはどこか違うような気がしてしまう。容器が発泡スチロールじゃないからかなあとも思ったけど、やはり移動しながらというのが大きなポイントなのだと思う。

 

在来線の特急あさまは私が中学3年生の時に長野新幹線の開通によって廃止となった。新幹線はあまりにも早く到着するのでゆっくりと駅弁を食べられる時間はなくなり、横川駅にも停車しなくなった。

 

今では立ち食いそばを食べながら移動できる寛容な電車はどこにもない。自分も含めて社会の寛容さも減ったのかもしれない。あのかけそばを超える駅そばにはもう出会えないような気がする。