柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

「偏食」の受容力

いわゆる「都会」に住み、「田舎」にも住むと、「都会」の良いところ悪いところもあるし、「田舎」の良いところ悪いところもあるなあと感じた。

 

以前に2年ほど住んでいた「田舎すぎないけど一応どちらかというと田舎」の地域は、一部の住民たちは本当に良き人たちだったけど、一部の住民たちは多様性を認めない気質があり、私の「偏食」を知ると「早死にするよ」などと否定してきた。

 

そのとき勤めていた営農組合の経理のおばちゃんは、昼には従業員たちにコンビニや弁当屋の弁当を買ってきてくれたり、農作業が終わった夕方はなぜかトーストを焼いてくれた。

 

でも、私は「偏食」なので市販の弁当で食べられるものは少ないし、トーストが好きではない。それに、夕方にトーストを食べたらお腹がいっぱいで夕食が食べられなくなってしまう。

 

というわけで、昼は弁当を持参して、夕方のトーストを断っていたら、おばちゃんにいじめられるようになった。

 

その後、「都会」に戻ると、知り合いの栄養士の方から「変わり者は『田舎』よりも『都会』のほうが住みやすい」と言われた。たしかに、そうかもしれない。「田舎」は干渉が過ぎるし、多様性を認めない風土があるのではなかろうかと思っていた。私は小学生のころは「田舎のおばあちゃん」家に行くのが大好きで、「大きくなったら田舎に住む」と言っていたそうだけど、「田舎すぎないけど一応どちらかというと田舎」の地域で偏食を受容してもらえなかった経験によって、「田舎」が大嫌いになってしまった。

 

それから月日は流れ、取材を通して福島県のお米農家の男性と知り合い、結婚することになった。つまり、今の夫。

 

夫が住んでいるのは、「田舎」。夫の実家におじゃまするとき、緊張した。出された食事が食べられるだろうか、食べられなかったら変に思われるだろうか…。

 

しかし、夫はベジタリアン。私と同じくらいか、場合によっては私よりも食の幅が狭い。というわけで、夫の「偏食」に慣れていた実家の人々は、私の「偏食」をまったく気にするふうでもなかった。

 

その後も実家に遊びに行って、私が食べられる凍み餅やみかんをお父ちゃんやお母ちゃんからすすめられたときも、お腹が空いていたら食べるけど、お腹が空いてなかったら食べない。でも、お父ちゃんもお母ちゃんもまったく気にしない。私は感動した。

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お父ちゃんの手作り凍み餅

しかし、その後の問題はご近所さん。共同の農作業後の食事や、地域の祭りの後に集会所でみんなで食事をするとき、この偏食っぷりを変に思われないだろうか、かつてのように「早死にするよ」とか言われないだろうか、とドキドキした。

 

ところが、夫の「偏食」に慣れている地域の人々は、私の「偏食」をまったく気にしない。集会所のテーブルに唐揚げなどの惣菜や寿司などが並ぶなか、われわれが食べられるかんぴょう巻やかっぱ巻や納豆巻などが当たり前のように購入されていて、夫と私の前に置かれる。夫いわく、やはりみなさんは「おれで免疫ができている」らしい。

 

この町に移住してから、基本的には「偏食」でいやな思いをしていない。私は昔のつらい体験をもとに、「田舎」をひとくくりにしすぎていたように思う。

 

思えば、夫に初めて出会ったのは、夫の稲刈りの昼休憩。数人が手伝いに来ていた。農作業の合間のランチはきっとおむすびなどであろうと思っていた私は驚いた。田んぼのあぜに置かれた鍋の中には、ほかほかのチーズリゾット、松茸ごはん、落花生ごはん。さらに、このチーズどっさりのリゾットの上で、今まさにトリュフを大量に削っている。なんてクレイジーな人たち…。勝手につくりあげていた「田舎」のイメージが崩れ始めた瞬間だった(すべて夫の友人で世界のあらゆる料理が作れるサトシさんの差し入れ)。

 

「都会」に住もうが「田舎」に住もうが、他力本願だけどいかに人に恵まれるかはとても大きい。そして、自分がどう楽しむか。干渉も偏見も、時間の流れ方も、暮らし方も、都会だからできるとかできないとか幸せとか不幸せとか、田舎だからできるとかできないとか幸せとか不幸せとか、「都会」と「田舎」を二項対立させる見方には違和感を覚えるようになった。

 

夫を見ていると、地域において異質な他者を受け入れるか否かの違いは、地域に変わり者がどれほどいるかによって左右される面もあるのかもしれない…と思う。

とんかつ屋で魚を食べる

“立ち飲み好き”の育て方」で藤沢の「紺屋」という立ち飲み屋の写真を載せたら、読んでくださった方が「28日で閉店だそうです」教えてくれた。

 

良き店がどんどんなくなってしまう。悲しい。

 

記者時代に新聞社の近くにも素敵な店があった。「とんかつ いわた」。肉を食べられないのになぜとんかつ?と思われるかもしれなけど、この店には日替わりの魚定食があったのだ。私はこの店に行くと、とんかつ屋なのにとんかつを食べずに魚定食を食べた。

 

「いわた」はごはんも味噌汁も漬物もすべてにおいてすばらしかった。味噌汁は「しょっぱい」なんてことはなく、絶妙な味加減。漬物も「甘い」なんてことはなく、薄い塩味。さらに、お店のおばちゃんもお姉さんも優しかった。いやな先輩や上司に打ちのめされたときも、「いわた」のおばちゃんやお姉さんの笑顔、味噌汁の温かさにもいやされた。

 

何よりもすばらしかったのは、多くの場合、魚が姿焼き、姿煮だったこと。つまり、骨がある。「アラの魅力」でも書いたけど、私は骨と骨のスキマにある身をちまちまと食べるのが大好きだ。「いわた」で魚と向き合い、ちまちまと身を食べていると無心になれた。 

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顔の周りや骨の周りの身を箸でちまちま食べるのが好き

ところが、別れは突然やってきた。「とんかつ いわた」が閉店するという。

 

たまらず、私はハガキを書いた。もちろん、店の人は私の顔は知っていても、どこの会社の誰なのか、まったく知らない。でも、「いわた」の魚定食が大好きであること、おばちゃんやお姉さんの笑顔が大好きであること、感謝を込めて伝えずにはいられなかった。

 

すると、まさかの返信のハガキが届いた。返信が来るとは思ってもいなかった。

 

ハガキには、あなたがハガキをくれて嬉しかったこと、あなたが店を愛してくれて嬉しかったことなどが書かれていて、最後に、現在の店の近くで経営者を変えて別の形態のお店をオープンするというようなことが書かれていた。たしかイタリアンだったと思う。

 

ショックだった。しばらくすると、いわたがあった場所の近くにそれっぽい店を見かけた。でも、絶対にその道を通らなかった。イタリアンになった「いわた」を見たくなかった(店名も変わっていたのかもしれないけど)。

 

先日、新聞社の近くを通ったけど、「いわた」がどこにあったのか、あのイタリアンが今もあるのか、まったく分からなくなっていた。いま「いわた」を思い出そうとすると、なぜか料理ではなく、おばちゃんとお姉さんの顔ばかりが浮かぶ。

 

私は単に「いわた」の魚定食が好きだったというよりは、おばちゃんとお姉さんがいるあの空間で食べる魚定食が好きだったのかもしれない。

つわりの効能

以前にある地域に住んでいたとき、水道水がものすごくおいしくなかった。

 

地下水だったので心配になって簡易的な水質検査のキットを買って測ってみると、飲料可能ではあった。でも、水を飲むと、「おええ」となってしまう。

 

水が苦手になり、そのうちなぜか市販のミネラルウォーターを飲んだときにも、その水道水の味を思い出してしまい、ミネラルウォーターも飲めなくなった。

 

そのときに、水の代わりに飲むようになったのが、炭酸水。「南アルプスの水スパークリング」や、「ウィルキンソン」などを愛飲するようになった。その後、引っ越してしばらく経つと水やミネラルウォーターが飲めるようになったけど、あいかわらず炭酸水を飲んでいたし、炭酸水のほうがおいしいと思っていた。

 

ところが、妊娠して食べられるもの食べられないものがころころと変わっていく中で、炭酸水が苦手になっていた。先日、ウィルキンソンの炭酸水を飲んだら、ものすごく苦くて飲めなかった。今までよく飲んでいたなあと驚くほど苦く感じる。人の味覚とは不思議なものだ。

 

でも、結果的に炭酸を飲んだときのシュワッとした刺激を受けることもなく、穏やかに水分摂取ができるようになった。

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ガス入りでない水がやたらとおいしい

最近ごはんに巻いてよく食べている海苔も、食べられる海苔と食べられない海苔が出てきた。以前は好きだった「こんとび(青のりが混じった海苔)」は、今はもう独特の香りが苦手で食べられない。以前は海苔にそこまでお金をかけるほうではなく、「全形1枚で◯円…高いな…」というふうに選んでいたけど、最近はおいしい海苔を食べたい一心で多少高くても良い海苔を選ぶようになった。

 

でも、よくよく考えると、毎日晩酌していた日本酒代が一切なくなったのだから、そのぶんを海苔に回しても、おつりが返ってくる。外食をしたりお菓子を食べたりすることを考えると、海苔全形1枚200円だとしても安いもんだ。

 

味覚が変わったことで、再び普通の水がおいしいと思うようになり、食べものに対する価値の置き方も変わった。つわりも悪いことばかりではない。

“立ち飲み好き”の育て方

背徳感というおいしさ」で「立ったまま食事をすることは行儀が悪いと思っていた」と書いたところ、ものすごく厳しい家庭で育ったように受け取られた人もいたようだ。たしかに、厳しいと言えば厳しかったかもしれないけど、決して「おごそか」な両親ではなかった。

 

私が大人になってから立ち飲み屋が好きになったのは、父の“英才教育”のおかげだ。

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東京に住んでいたころはちょくちょく行っていた代田橋の「しゃけスタンド」。壁をうめつくす品書きがたまらない

 小さいころ、父と一緒に平塚の酒店の角打ちに行くことが多かった。当時私が通っていたスイミングが終わるころ、父は会社帰りに私を迎えにきて、そのままなじみの酒店へ行った。居酒屋ではなく酒販店。店の隅には、角打ちカウンター。そこで父やおじさんたちが缶ビールや缶チューハイを飲む様子を見上げながら、オレンジジュースを飲んでいた(明治屋の「マイエード」という、麦わら帽子をかぶった女の子の絵が描かれている長細いスチール缶がかわいくて好きだった)。

 

たまに、酒店の棚に陳列されている鰯の蒲焼き缶詰などを空けて食べると、当時少食だった私はお腹がいっぱいで帰宅後に夕食が食べられなくなった。

  

帰り際に父が言う「ツケで」というお勘定の仕方も、今では懐かしい。

 

狭いカウンターで肩を並べて1缶、2缶だけぐいっと飲んでさっと帰るおじさんたちはなんだか颯爽としていた。だらだらと飲み続けているおじさんはいなかった(ように見えた)。 

 

この酒店があった場所には今はマンションが建っている。

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藤沢の地下で発見した「紺屋」。12時から空いていて17時前に行っても混雑。

休日はJR小田原駅のホームに当時あったホットドッグスタンドで、小田原競輪帰りのおじさんたちにまぎれて電車が来るまでの短い時間、缶チューハイを飲んでいた父(われわれは小田原城帰り。父はギャンブルは決してやらない)。電車が来ると、缶チューハイを片手に乗り込み、飲み終わると、座席の下に空き缶を置きざりにしていた(今はさすがに空き缶はホームのゴミ箱に捨てていると思いたい…)。父の隣で私はキオスクで買ってもらった昆布をかじったりボンタンアメを食べたりしていた。

 

あのころから、すでに私の立ち飲み好きは始まっていたのだと思う。

食べるための旅

旅はつねに食べものが目的。何か食べたいものがないと旅に出るモチベーションがわかない。

 

過去に何回か行った海外のお米取材の旅は、お米が目的なので、モチベーションたっぷりだった。台湾で駅弁発祥の「池上弁當本舗」の店を発見したときは、一人だったにもかかわらず「あった!あった!」と大声でさけびながら店へと走って行った。現地で取材させていただいた日本の弁当会社の社長からは「柏木さんは滞在中にどんどん元気になっていきますね。ついていけません」と言われた。お米に関する新しい料理や新しい発見に出会うたびに興奮していくからだと思う。

 

夫と一緒に行ったスペインのお米旅(新婚旅行)でも、行動の軸はほぼお米。米農家のもとへ行って田んぼを見せてもらい、いくつかのスーパーへでお米を見て、いくつかの自然食品店でお米を見て、いくつかの市場でお米を見て、いくつかのレストランでお米を食べて生米を見せてもらった。滞在中の食事のすべてどころか、行きの機内食から帰りの機内食まで、とても真剣に食べた(機内食はいつもジャイナ教のベジタリアンミール。偏食対策も抜かり無い)。

 

だからこそ、食べたいものがない土地には、旅に出るモチベーションがまったくと言っていいほどわかない。海外で言えば、お米がない国よりもお米がある国のほうがやはりわくわくする(「お米文化」がない国ではない。ヨルダンでは基本的にお米を食べないようだけど、ヨルダンのスーパーで販売されている各国のお米を見たときや、ヨルダン南部でビリヤニを食べたときにはとてもテンションが上がった。しかし、お米がない国をみることによって、お米がある国を客観的に見ることができて学びになるので、お米がない国も行く機会があったらきっと行く)。

 

というわけで、食べものを目指した旅が好きなのだけど、「出産後にはとうぶん旅に出られないであろうから、稲作が始まる前に安定期になったらどこかへプチ旅に出掛けたい」と夫に言い続けている。

 

どこが良いだろうかと考え続けているけど、なかなか良き案が出ない。しかも、つわりがある今の私のごちそうは、ごはんと海苔と塩だけのおむすびや納豆ごはんの他、素麺やうどんや蕎麦くらい。ならば新潟県の越後湯沢駅にある「爆弾おむすび」(1個1合)か「大爆おむすび」(1個4合)を食べてみたい!と思ったけど、それは自分で作ればいいじゃないか?とも思い始めた。

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フリー素材から発見した爆弾おむすびの写真。食べるとしたら具なしで米・塩・海苔だけのおむすびにしようと決めている

1年ほど前から英語の勉強をするためにディズニー映画を見てきたら、今さらながら「リトルマーメイド」や「白雪姫」や「美女と野獣」など(に登場する歌)が好きになってしまったので、大人になってからは一度も行っていなかったディズニーランドかディズニーシーに行ってみようか…とも思ったけど、ホームページでレストラン情報を見たら、食べたいものが一つもなかったのでやめた。

 

学生時代に青春18切符で旅した和歌山県・新宮市にて食べた「めはり寿司」がまた食べたいなあとも思うけど、お腹に赤子を抱えた今の私にとって和歌山県はあまりに遠い。

 

近場(東北)で私の旅欲(食欲)を満たしてくれる料理(特にお米)があるプチ旅先、どこかにないだろうか。

背徳感というおいしさ

食べもののにおい」で「学生時代は立ったまま食事をするなんて行儀が悪いと思っていた」と書きながら、そういえば私はいつから立ち食いそばが平気になったのだろう…と考えた。

 

そもそも、子どものころ、両親の教えを忠実に守っていた私は、食事中に席を立つことは基本的にはあり得なかった。

 

だからこそ、おそらく私が中学生くらいのときに登場したであろう、「ドリンクバー」なるものをファミレスで発見したときは衝撃だった(中学生のときに発見したけど、調べたら小学生のときに登場していた)。

 

席についてオーダーをした後に自分で席を立ってドリンクを取りに行くことが衝撃だった。食事中にドリンクを取りに立ち歩いても誰も「行儀が悪い」とは見ない。高校生のころに初めて友だちと行った「ビュッフェ」なるものも衝撃だった。立ち歩いて料理を取りに行くだけでなく、食事中に席を立っておかわりもできちゃう。

 

それでもやはり幼いころの習慣というものは根強い。今でも私はドリンクバーやビュッフェでドリンクや料理を取りに行くのがどこか気恥ずかしい。立ち食いそばに対しても、「立ったまま食事をするなんて行儀が悪い!」とずっと思っていた。正確に言えば、「立ったまま食事をするなんて料理と真剣に向き合ってない。料理に失礼」とさえ思っていた。

 

それでも、どこかで「立ち食いそば」への憧れはあった。

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早朝のJR新宿駅構内の立ち食いそば店で食べた「朝そば」

と言っても、大人になるまで立ち食いそばと無縁だったわけではない。

小学生のころ、母が「一杯のかけそば」(栗良平著)という絵本を「すばらしい話だ」と言って、私と姉に読むようにすすめてきた。最初は気が進まなかったけど、母は今まで「この本を読め」なんて一言も言ったことがなかったので、これはきっと読むべきなんだろうと思って読んだ。

 

ものすごく完結にあらすじを説明すると、おおみそかの晩、あるそば店に子どもを2人連れた女性が来店して「かけそばを1杯」と注文した。経済的に厳しそうな様子を察した店主は、こっそり1.5人前のそばを茹でた。その母子は1杯のかけそばをおいしそうに分け合って食べた…というようなお話。

 

たしかその本を読んだ後、JR平塚駅のホームに当時あった立ち食いそば店で、母がかけそばを1杯頼んだ。なんとなく小腹が空いていたときに、じゃあおそば食べちゃおうかという話になったのだ。

 

とは言え、1人1杯も食べたら夕食が食べられなくなってしまう。というわけで、母と姉と私で1杯のかけそばを分け合った。どんぶりを外に持ち出して良かったのか、ホームのベンチに座って、それを食べた。

 

おやつといえば、お菓子や果物が当たり前だと思っていたけど、初めて食事のようなおやつを食べ、しかも、駅のホームの立ち食いそば店のそばを母子3人で分け合うという背徳感になんだかわくわくした。立ち食いそば店を利用したことは皆無だったと思われる母がどこか恥じらいながらそばを購入していたのも、なんだかいけないようなことをしているような、スリリングな感じがした。もしかしたら、母は「一杯のかけそば」を意識していたのかもしれない。3人で分け合ったそばはとてもおいしかったような気がする。

 

高校生になってからも同じ立ち食いそば店のそばを食べた…というよりも、つゆを飲んだ。

 

寒い冬の時期の放課後、自宅に帰るために平塚駅で電車を待っていた。立ち食いそばの出汁の良い香りにお腹が鳴った。とは言え、高校生の私は立ち食いそば店に入る度胸はなかった。寒風がびゅうびゅうと吹いているなか、立ち食いそばのガラス戸の向こうでは湯気が立つそばを食べている男性が数人いる。ひもじい気分で眺めていると、そばを食べている制服姿の男子校生を発見した。同級生のA君だった。

 

ガラス戸の外からA君に「いーなーいーなー」とくり返すと、ガラス戸を開けて「…そば食べちゃったけど…つゆ飲む?」と、どんぶりを差し出してくれた。その言葉に甘えて、つゆをひとくちふたくちもらった…というわけだ。いま振り返ると、なんという厚かましさ。

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郡山駅の新幹線改札内の立ち食いそば店にて。「ネギ抜き」ってお願いするのを忘れたので、ネギは夫のどんぶりの中へ移動させた

それから大学に行っても、就職しても、立ち食いそばとは無縁だった私が立ち食いそば店に入るようになったのは、30歳になってから。ある立ち食いそば店の中に「座り席」があるのを発見した。これならいけるかも…と立ち食いそば店で座りながらそばを食べた。でも、なんとなくおいしくない。立ちながらそばを食べている男性たちを眺めながら、立ち食いそば店では立ったまま食べたほうがおいしいに違いないと確信した。

 

それからは、立ち食いそば店に入ったら、絶対に座り席は利用しない。たとえ、座り席がすいていて、立ち席が混んでいても、立ったまま食べるようになった。みんなが食べることに集中しているさまを見ながら、私もその中の1人になっていることがなんだか楽しい。そして、やはり子どものころからしみついている「立ったまま食べるのは行儀が悪い」という背徳感が、立ち食いそばをよりおいしくさせているように思う。

 

以前に、「立ち食いそばって本当においしいの?」と聞かれたことがある。そばそのものだけで語ったらそりゃおいしいとは言い難いものも多い。でも、立ち食いそばは雰囲気も食べておいしいものだと思う。

食べもののにおい

先日、長距離バスの中で何かのにおいで気持ち悪くなった。においの元は何だろうと見回すと、後方の座席の男性が食べていたマクドナルドのバーガーだった。そういえば、バスの待合所で男子学生の集団が地べたに座ってマクドナルドのバーガーやポテトを食べていた。きっと彼はバスに乗るまでにそれを食べ終わらなかったのだろう。

 

少し前にも、朝の新幹線の中で何かのにおいで気持ち悪くなった。においの元を探すと、近くの男性が食べていた崎陽軒のシウマイ弁当だった。きっと朝食なんだろう。

 

学生のころ、浅草演芸場で落語を聞きに行ったら、何かのにおいで気持ち悪くなった。においの元を探すと、前方の座席の客が肉まんを食べていた。たしかに、咀嚼音や開封音などが立たないので落語の邪魔にはならないのかもしれない。

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納豆ごはんは大好きだけど、バスや新幹線や浅草演芸場では食べない

飲食禁止の場でもなく、何を食べようが個人の自由ではあるので、こちらががまんするしかない。でも、「く、くさいかな?」とにおいを気にしながら食べるよりは、においを気にしない場で食べたほうが食事を楽しめるように思う。

 

学生時代、1人で青春18切符を使って東北ローカル線の旅を楽しんでいたとき、米沢駅で途中下車してみた。お腹がすいたからだ。駅を出て飲食店を探したけど、歩けども歩けども「米沢牛」と「ラーメン」ばかり。肉が食べられない私は困り果てた。駅に立ち食い蕎麦があったけど、学生時代は立ったまま食事をするなんて行儀が悪いと思っていた(今は立ち飲みや立ち食いそばが好きなのに)。

 

そんなとき、駅近くのおみやげ屋さんで「雪割納豆」なるものを見つけた。当時の私は雪割納豆を知らなかった。せっかくならば東北の味を楽しもう!と思いつき、近くのコンビニで白飯を買った。雪割納豆ごはんを食べようと思った。なんてすばらしいアイデアだ!と自画自賛。

 

しかし、どこで食べればいいんだろう?記録的な豪雪だった年で、あちこちにまだ雪が残る3月の米沢。外は寒い。風も強い。ひとまず駅へ戻った。待合室は暖かそうだ。でも、さすがに待合室で納豆ごはんを食べたら納豆のにおいが充満してしまうに違いない。「く、くさいかな?」と気にしながら食べたり、周囲の人から「くさいなあ」と白い目を向けられながら食べたら、せっかくの納豆ごはんのおいしさが半減してしまうに違いない。

 

みなさんに迷惑をかけずに「座って」納豆ごはんを食べることができる場所はどこだ!と探すと、あった。駅のホームのベンチ。次の電車は40分後。まだ誰もいない。

 

寒風吹きすさぶ中、ホームのベンチに座り、コンビニで買った白ごはんに雪割納豆を乗せて食べた。待合所の窓からこちらを見ている人がいる。たしかにまだ電車が来ないのにわざわざ寒いホームに出る人はいない。

 

雪割納豆は思いのほかしょっぱくて、正直いって普通の納豆のほうが好きだった。でも、「く、くさくないかな?」と周りに気を遣わうこともなく、寒風で耳をキンキンに冷やしながら曇り空の下で決行した食事は、なんだか清々しかった。