柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

商店街にあった「お米や」

2月末で閉店したおむすび屋「お米や」で1日限定のおむすびイベントが開かれ、おむすび作りを担当した。商店街にあるので、老若男女いろいろなお客さんがやってくる。

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この日、多くのお客さんから聞かれたのが「またおむすび屋さん始めるの?」「おむすび楽しみにしてたからなくなっちゃって困るわー」と、お米やの閉店を惜しむ声。この日のメンバーによる店が1日限定と知ると残念そうにしていた。

あるおばちゃんが、店の前でじっとこちらを見ていた。「おむすびどうですか?」と声をかけると、「ずっと閉まっていたでしょう?だから今日はちょっと見ていたいの」と気恥ずかしそうに答えた。

そのおばちゃんの言葉で思い出した。新聞記者時代、日本三大ドヤ街の一つと言われる横浜・寿地区を取材していたときのこと。

地域のおじちゃんたちが集まる憩いの場でボランティアが定期的に1食300円でランチを提供してくれる。そこに来ていたあるおじいちゃんは酸素ボンベが手放せない体調になって食事を取れなくなっても、その場に来ていた。何も食べられないのに。

それから、地域の公園でボランティアによる定期的な炊き出しの日。「自分は和食料理人だったから炊き出しなんて食べないよ」と言うおじいちゃん。それでも、いつも公園の隅に立って炊き出しの様子を眺めていた。

お米やのおむすびはとてもおいしくて、店長の女の子もとても気さくで可愛くて、素敵なお店だった。それだけでなく、あの商店街でお米やがオープンしていること自体にもとても意味があったように思う。お米やの佇まいというか存在そのものが既に街の風景の一つになっていたんだなあ。