柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

“しっとり海苔”がおいしいおむすびのかたち

おむすびの海苔は「パリパリ派」と「しっとり派」に分かれる。わたし自分で作る場合はどちらかというと「パリパリ派」だったけど、それはいつも食べるおむすびの形が三角だったからだと最近になって気づいた。

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なんと、おむすびの形を丸っこく作ると、たちまち好みが「しっとり派」に変わる。
  
以前は、しっとり海苔、しかも噛み切りにくい海苔に包まれたおむすびは苦手だった。海苔を噛み切ろうとすると、海苔のそばにいる米粒が潰れてしまいそうで。何よりも海苔の旨みにお米の旨みが負けてしまうように思っていた。
 
一粒たりとも潰さずに米の粒感と旨みを味わうならば、海苔なし、あるいはパリパリ海苔だ!と思っていたのに、なぜか丸っこいおむすびにすると、なんだか海苔を巻きたくなる。真っ黒い丸おむすび、なんてかわいいんだろう。
 
「それって三角おむすびでもできるのに」と言われても、違うものは違うのだから仕方ない。人は味や食感だけでなく、見た目や手触りや思い出などによっても「おいしい」と感じたり感じられなかったりする。
 
たとえば、りんごジュースをストローで飲むのとコップから直接飲むのとではおいしさがまったく違う。それは厳密に言うと、口の中へのジュースの入り方が違うことで、味の感じ方が変わっているのかもしれない。でも、それだけではないと思っている。
 
作家・内田百閒は毎朝食べていた英字ビスケットについて、アルファベットの形で味わいが違うと書いている。たしかに、「O」と「L」は形状が違うので厳密に言うと食感が違うのかもしれない。でも、アルファベットの形状の違いで感じるものはそれだけではないと思っている。
 
小さいころ食べた動物ビスケットは、キリンかゾウかライオンかによって明らかに味が違った。「おいしい」ってそういうものだと思う。