柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

「口中調味」ってなんだ

台湾に駅弁を食べに行ったら、日本のような幕の内弁当スタイルがないことに気づいた。ごはんとおかずが分かれていない。どの弁当もごはんの上におかずがぶっかけてある。

 

東南アジアに行っても、白ごはんの上におかずをぶっかけて食べているスタイルがほとんど。日本のように、白ごはんを食べて、おかずを食べて、白ごはんを食べて…というスタイルはないように思う。

 

これが、いわゆる「口中調味」という日本独特の文化らしい。

 

ときどき、「丼ものが好きじゃない。ごはんを汚したくない」と言う人に出会う。うんうん。私も少し前までそうだった。おかずを食べて、ごはんを食べたい。ごはんをおかずの汁気や油気でぐちゃぐちゃにしたくない。というわけで、玉子丼を「玉子煮」と「ごはん」に分けるというわがままオーダーをしたときもあった(いま考えると迷惑千万だが、やってくれた蕎麦屋のおばちゃん、ありがとう)。

 

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今は丼ものの佇まいがとても好きで丼ものも食べるが、できるだけごはんをおかずで汚さないように、おかずを食べて、ごはんを食べて、おかずを食べて…というふうに食べている。これって「口中調味」ってやつだ。

 

「味香り戦略研究所」によると、人間がおいしいと思う塩分濃度はだいたい0.8%らしく、その濃度に向けて私たちはおかずとごはんを調整しているそうだ。ごはんとおかずを分けて口中調味するのは、自分の好みの塩分濃度で食べたいからだと気づいた。

 

そういえば、カレーを食べるときに、カレーとごはんを混ぜ混ぜせずにスプーンの上にミニカレーを作って食べる人もいる。もしかして、インドカレーのようなスープカレーよりも、欧風カレーのほうが先に日本に根付いたのは、ごはんとルーが混ざりにくいからかなあ…というのは考え過ぎかなあ。うん、きっと考え過ぎだ。

 

不思議なのは、いつのまにか口中調味というやつを身につけていたこと。誰に教わったわけではないのに。たしかに、母から「ねこまんま(味噌汁ぶっかけごはん)」は禁止されていたけど、とろろかけごはんは大好きで茶碗3杯は食べていたし、ツナとなめたけの炊き込みごはんが大好物でこれもまた茶碗3杯食べていた。とろろごはんも炊き込みごはんも「口中調味」するものではなく、すでにごはんとおかずが混ざった完成された食べものだ(自然薯だとごはんととろろが混ざりにくいが、長芋だととろとろで茶碗の底までとろろ汁が流れ込む)。

 

そう考えると、「口中調味できない子どもが増えている」と言われていることは、そんなに大きな問題だと捉えなくてもいいのかもしれない。「口中調味」はミョウガとか生姜とか山椒とかコーヒーのようなもの。小さなころに覚えなくても、そのうちミョウガやコーヒーを「おいしい」と感じられるように、「口中調味」もそのうち身に付いているようになる。なぜなら、日本には、ミョウガや生姜や山椒やコーヒーがあるし、「定食」をはじめ「口中調味」をしたくなるようなおかずや白ごはんがあるから。「うちの子どもは口中調味ができない…」なんて悩むよりも、子どもはおいしくごはんを食べられることが一番だと思う。