柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

でっかいおむすび

おむすび屋でおむすびを選ぶときは、「塩」と「シャケ」が断トツに多い。次に「おかか」。
 
「昆布」や佃煮系などのあまじょっぱい具材は、甘さとしょっぱさのバランスが好みと合わない場合も多いので、食べたいなあと思っても保守的なので避けてしまう。「高菜」も油っぽすぎるかもしれない…と思うと、やはり避けがちだ(シャケもやたらと脂っぽいのもある)。
 
ちなみに「ツナマヨ」を買ったことは一度もない。「明太子」や「タラコ」は嫌いじゃないけど、あまり選ばない。
 
王道の「梅」に関しては、梅と塩(と紫蘇)だけを使った梅でないと食べる気にならない。なんでハチミツとか異性化糖とかソルビットとか使うんだろう。「甘い梅干しでごはんが食べられるか!」とつねづね思う。
(ちなみに以前「甘い梅干しでごはんを食べる方法」という記事も書いた)
 
でも、じつは梅と塩(と紫蘇)だけの梅干しを使っているおむすび屋でも、「梅」を選ばない。きっと私は酸っぱいものが苦手なんだろう…と、ぼんやりと自己分析していたけど、最近になってその理由がようやくわかった。
 
昨年の冬に夫が京都の「梅宮大社」で宮司手作りの梅干しを買った。夫のお弁当やおむすびにちょっとずつ使っていたけど、先日、その梅を具材にしておむすびを作って食べたら思いのほかおいしかった。今ではほぼ毎日ランチは梅おむすび。梅宮大社の梅干しを食べきってしまったので、近所のスーパーで梅と塩だけの梅干しを買った。なんでこんなにおいしいんだろう、梅おむすび。
 
私が梅おむすびを好きになった理由は、おむすびの大きさにあった。私が最近食べているおむすびは、1個160〜170グラム。ちなみにコンビニおむすびは1個90〜100グラムらしい。ちなみに1個のおむすびに使う梅の量は、大粒の半分。このバランスがちょうどいい。

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この日のおむすびは160グラムくらい。徐々に巨大化して、今は170グラムくらい。
おむすび屋のおむすびのごはんの量では、梅が酸っぱくてつらかった。自分で作るときも1個130グラムほどにしていたので、同様に酸っぱくてつらかった。だから私は酸っぱいのが苦手なんだと思い込んでいたけど、単純にでっかいおむすびを作ればよいだけのことだったのだ。
 
「ごはんを増やすのではなく梅干しの量を少なくすればいいのでは」とも言われそうだけど、それはちょっと違う。梅をちょっと食べたら、白ごはんをいっぱい食べたい。梅干しの量も重要だけど、白ごはんの多さはもっと重要だ。
 
ちなみに、なぜ最近になっておむすびが巨大化したかというと、夫が田んぼで代掻きしながら食べやすいようにしたから。おむすびの包みをいちいち開いて食べることを考えると、大きなおむすびがどーんと4個くらいあったほうがいいだろうと考えた。そして、夫のおむすびのついでに作っている私のおむすびも自動的に巨大化した。
 
もうすぐ梅干し作りの季節。昨年作った梅干しは自分で食べることはほとんどないまま夫のお弁当で使いきってしまったけど、今年はでっかいおむすびのおかげで梅干しを作るだけじゃなくて食べるほうも楽しめそうだ。
 
おむすびのおいしさは、ごはんの食味やむすび方がクローズアップされがちで、それももちろんとっても大事だけど、具材とのバランス感もかなり重要だと思う。
 
先日、タッチパネル式の回転寿司に行ってみたら、「サビ抜き」のほかに「シャリ少なめ」という選択肢もあって驚いた。通常サイズの寿司でさえ、ネタが大きすぎてシャリとのバランスが悪いなあと思っていたのだけど、さらにシャリが少なくなったらもはやそれは寿司ではない。
 
インスタグラムなどで最近、ごはんよりも具材のほうが多いおむすびの投稿を多く見かけたり、炊き込みごはんを提供する店で具材が多すぎてごはんの満足感が得られにくいことも稀にあるけど、おむすびや炊き込みごはんは、あくまでごはんが主役。大きな口でごはんを頬張るのって幸せだと思うんだけど、それってマイノリティなんだろうか。