夫と付き合い始めたばかりの頃、夫に好きな食べものを尋ねると「葬式まんじゅう」と「黒飯(こくはん)」という答えが返ってきた。
いずれも葬式のときに食べるもの。言い換えれば、葬式の時にしか食べられない。
人が死んだ時しか食べられないものが好きだなんてなんとも言いづらい「好きな食べもの」だなあと思っていたら、先日夫に共感する機会があった。
義祖母が亡くなったときにお父ちゃんからもらった黒飯がとてもおいしかったのだ。本当においしくて、その日の夜に2人で3パックを完食。もっと食べたかったけど、「また食べたい」とは言いづらい。
赤飯は小豆の煮汁ごと蒸すが、黒飯は小豆の煮汁を捨てて蒸す。それだけの違いなのになぜだかやたらとおいしい。
ちなみに葬式まんじゅうは夫が好きなタイプのものではなかった。お父ちゃんが「味重視」ということで近所の和菓子屋で上品なサイズのまんじゅうを頼んだのだ。しかし夫が好きなのは「仕出し屋のでっかいまんじゅう」。まんじゅうを包んだフィルムにハスの花がプリントされているらしい。これまた「いつか食べられるといいね」とも言いづらい。
赤飯はハレの日でなくても和菓子屋に売っているし、コンビニにも赤飯おむすびが売っている。しかし黒飯は気軽に手に入るものではない。食べたくても自分でつくる気になれない。つくった後に不幸があったら…などと考えてしまう。
葬式まんじゅうと黒飯のおいしさには、そのもののおいしさだけでなく「めったに食べられないおいしさ」も含まれている。
食べたいけど食べられる機会は悲しいとき。なんとも複雑な「好きな食べ物」だなあと思う。