柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

夏休みにおばあちゃんちで食べた朝ごはん

ごはんがおいしかった記憶を遡っていくと、小学生の頃の夏休みに信州の母の実家で食べた朝食を思い出す。

当時住んでいた関東の家に比べて朝は涼しく、網戸からは気持ちのいい風が入ってきた。祖母が用意してくれた子ども用の小さな平たい茶碗によそられた炊きたてのごはんはツヤツヤピカピカに光り輝いていて、食べる前からおいしそうなごはんの香りが漂っていた。祖母の家ではごはんを焼き海苔で巻いて醤油をちょっとつけて食べるのが定番だったが、白飯のままでも充分においしいごはんだった。

ちなみに姉の記憶では味海苔だったそうで、母に聞くと、味海苔と焼き海苔の両方が食卓にあったそうな。

子どもの頃は今と違って食べることは好きではなかったのに、その朝食のごはんは覚えている。網戸の向こうには隣の田んぼが見え、夜になるとカエルの大合唱が始まり、網戸にペタペタとカエルが張り付いてきた。私のお米好きは、もしかしたらこの頃から始まっていたのかもしれない。

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こどもの頃のおいしかった記憶というのは、大人になっても残り続ける。なぜなら、この朝食で食べた味噌汁にはナスとじゃがいもが入っていて、私は今でもナスとじゃがいもの味噌汁が好きだ。外食でナスとじゃがいもの味噌汁に出会う機会はめったにないが、もしも出会ったらたちまちその店のファンになってしまうだろう。

そして、私が今でも求め続けている理想の茶碗の形は、この朝食で使っていた子ども用の小さな平たい茶碗。白い磁器に何かのキャラクターが書かれていたが、何のキャラクターだったのか覚えていない。求め続けている茶碗はキャラクター付きの茶碗というわけではなく、子ども用とはいかずとも大きすぎないサイズで平たい茶碗。これが探してもなかなかない。

基本的に皿は磁器よりも陶器と漆器が好きで、自宅では小鹿田焼の陶器と会津漆器の茶椀を愛用している。でも、茶碗だけは磁器に理想の姿を求めている。

惜しかったのは、「白山陶器」の平茶碗。まさに祖母の家では使っていた茶碗はこんな形状だった。これがもう少し小さかったら理想の茶碗にドンピシャリなのだが、残念ながら少し大きすぎる(しかし好みの形状なので1つだけ愛用)。

先日、田んぼの目の前に引っ越したので、理想の茶碗を手に入れたら、ごはんを炊いて、ナスとじゃがいもの味噌汁と焼き海苔を用意して、田んぼを見ながら朝ごはんを食べたい。

ちなみに、なぜ祖母の家のごはんはおいしかったのだろうと考えていたが、お米のおいしさだけでなく、水の冷たさが一つの理由であるのではと思い始めた。祖母の家は朝晩涼しく、夏でも水道の水が冷たくて、手を洗うときはいつも「つめたーい!」と言っていた記憶がある。夏でも冷たい水でお米を洗い、冷たい水をお米に吸水させることで、お米の組織の隅々までゆっくりと水が浸透していく。水は熱伝導の役割を果たすため、お米の芯まで水が入っていれば、芯まで火が入ってふっくらと炊き上げることができる。

海外の料理でも、ちょっと変わった料理でも、足を伸ばしてお金を払えば食べたいものは食べに行ける時代だが、祖母は亡くなってしまったし、祖母の家は売りに出されて知らない人が住んでいるし、隣の田んぼは農地転用されて家が建っているし、もうあの朝食は二度と食べられない。私は白飯を食べながら、どこかであの朝食の白飯の香りやツヤや食感や味わいを求めているように思う。