柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

ごはんと恐怖心

知り合いの高齢男性が「メディアの刷り込みでごはんを食べることに罪悪感を覚えるようになってしまった」と言っていた。

私の友人にも「ごはんが食べることがこわくなってしまった」という女性がいる。罪悪感どころか恐怖心だ。「でも本当は食べたい。白米をお腹いっぱい食べてみたい」と言う。この飽食の時代になんだか戦時中みたいな発言で皮肉だけど、彼女と似たような思いを持っている人は多いように感じる。

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なぜだかごはんは標的にされやすい。糖質制限食を推奨する人から否定されるだけでなく、白米は玄米食を推奨する人からも否定されてしまう。「『粕』という漢字は『白米』と書く。つまり白米はカスなんです。玄米こそ完全栄養食なのです」という論法を耳にすると、腹立たしい思いになる。たしかに白米は玄米よりも栄養は落ちるけど、食べやすさなどのメリットはあるし、胚乳(精米)にもちゃんと栄養はあって決してカスなんかではない。

むしろ、ごはんはヘルシーだ。同じ炭水化物であってもパンや麺の粉食に比べて粒食のごはんは腹持ちが良いだけでなく、消化・吸収がゆるやかで血糖値の急激な上昇を抑えてくれるらしい。さらに油脂類や砂糖などを練り込んだり和えたりする必要がなく、水だけでおいしく調理できる。糖質と言っても砂糖や果糖の糖質とは違う。それなのに糖質制限のターゲットになってしまうという悲しさ。もしかしたら、ごはんは水分が多く満腹感が得られやすいため、太ると誤解されてしまうのかもしれない。

一度植え付けられた罪悪感や恐怖心は取り除くのは簡単ではないけど、「白米をお腹いっぱい食べてみたい」と言う友人にはいつかごはんを頬張る幸せ感を味わってもらいたい。