柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

茶碗とごはんの相性

2歳の娘は茶碗を2つ持っているが、2つともすでに割れて金継ぎしてある。そのうちの1つは出産祝いでいただいた佐賀県伊万里市の青山窯の水色の磁器で、ごはんを食べ終わるとクマがあらわれる。娘はこの茶碗を気に入っていて、クマ見たさにごはんを食べてくれる。

f:id:chihoism0:20220110182450j:image

まあ子どもだしそうだよねと思うが、私たちだって使う茶碗によってごはんの味わいは変わっている。しかし、いつも同じ茶碗を使っていると、そのことになかなか気づきづらい。

茶碗の色や形状や大きさといった見た目の他、茶碗を手にした時の手触りや重さ。そして、形状によって違う香りの広がり方。食べ比べてみると、やはりちょっと違う。

以前に茶碗を選べる飲食店で食事をしたことがある。店主が選んだ茶碗で食べるほうがその店のごはんを楽しめるという面もあるが、あれこれ考えながら自分で選んだ茶碗を使うことで、ごはんとの向き合い方に新たな風が吹き込まれるようにも感じる。なにより楽しい。

朝日新聞夕刊で「炎の作文塾」を書いていらした元・週刊朝日編集長の川村二郎さんにお会いした時、「妻は季節ごとに茶碗を変える」とおっしゃっていた。桜が描かれた茶碗、椿が描かれた茶碗といったふうに季節感のある茶碗をそろえていらっしゃるのだろうか。風情がある。

私が持っている茶碗は、うっかり割ってしまった茶碗もいくつかあり、現在は7つ(うち2つは割れて金継ぎしたもの)。季節ごとに茶碗を変える習慣を真似しようと思ったが、私の好みはなんとも地味で、季節感のかけらもない。それでも茶碗を変えるだけでごはんの食べ心地が違うことは確かだ。

とは言え、なかなか理想の茶碗に出会えることができていない。以前から頭の中に理想の茶碗はあるものの、いつもどこか惜しい。いつかオーダーメイドで理想の茶碗を作りたい。