柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

冷めた煮えばな、炊きむらのある白飯

先日、渋谷区エリアで土鍋ごはんがウリの和食店に行った。

コースの途中で煮えばなが出てきた後、締めに白飯が食べられる。

楽しみにしていたのだが、出てきた煮えばなは冷めていてアルデンテ。

リゾットやパエリアのアルデンテはおいしいが、白飯のアルデンテは芯が硬く、ただの炊けてないごはんだ。

冷めた「煮えばな」

気を取り直して白飯を楽しもうと思ったが、運ばれてきた土鍋の蓋を開けた店員は、しゃもじを入れると、飯切りすることなくそのまま白飯を茶碗によそった。

飯切りは基本中の基本だと思っていたので、これにはびっくり。一緒に食事していたお米業界の方と顔を見合わせ、店員が部屋を出てからせっせと飯切りをした。

飯切りせず隅っこを茶碗によそってくれたが…

飯切り無しでよそってもらった白飯はまるで炊きムラを知るための試食のようだった。

少し前にも、同様に渋谷区エリアで土鍋ごはんも楽しめる和食店に行ったとき、店員が飯切りせずに茶碗によそった。お料理がとてもおいしいお店だったので、何かの見間違いかと思った。

私がこの話を伝えていたお米屋さんも銀座の和食店で飯切りをせずに土鍋ごはんを提供されたそうで、「初めて見た」と苦笑していた。

たくさん食べ歩きをしているわけではない私がここ最近で2度も飯切りなしの白飯に遭遇しているということは、氷山の一角なのかもしれない。

飯切りは、炊きムラを均一にしたり余分な水分を飛ばしたりと、お米の食味を左右する大切な手順。「あの〜飯切りしたほうが良いのではないでしょうか」とか言いたいけど、えらそうにそんなことも言えず、もやもやしながら帰宅するのであった。