柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

嫌いな食べものも尊重する

子ども向けレシピを検索していると、野菜嫌いな子どもに野菜を食べてもらうためのレシピを目にすることが多い。野菜を肉で巻いたり、お好み焼きに入れたり、ハンバーグに混ぜたりと工夫が施されていて、親たちの試行錯誤が垣間見え、子どもたちへの愛を感じる。

でも、大人でも食べ物の好き嫌いはあるのだから、子どもにも好き嫌いがあって当たり前だし、成長にともなってほのかな苦味やえぐみや特有の風味をおいしいと感じるようになる子は多いだろうし、今すぐ食べずともそのうち食べるようになるのでは?とも思う。それに、逆に子どものころに食べていたからといって大人になってからも食べるとは限らない。

なぜ野菜を食べさせたいのだろうか、その理由を推測してみると、「健康」や「味覚形成」のためなのかなと思うが、子どもの野菜嫌い克服レシピを見ると、全体的に油やケチャップやマヨネーズやソースなどが多い。野菜を食べるために、過剰に油や砂糖などを食べていると、逆に「健康」にも「味覚形成」にも良くないのではと思う。

最近は目にしなくなったが、野菜がわからないようにみじん切りにして肉に混ぜ込む…というレシピを過去に見たことがある。でも、もしも自分が嫌いなものをこっそりと料理に混ぜ込まれていたらどうだろう。

たとえば、飲食店を予約する際に、店員から「嫌いなものやアレルギーはございませんか?」と聞かれて「アレルギーではありませんが、○○は苦手なので抜いてください」と伝えていたにも関わらず、当日食べた料理に実はわからないように○○が入っていたと後から知ったら、その店の信用度はガタ落ちどころではない。

これと同じで、親が作った料理に自分の嫌いなものがこっそりと入れられていたら、親に対して不信感が生まれてしまうのではないだろうか。味覚は人それぞれであり、食べ物による体調や精神への影響も人それぞれ。食べ物の好き嫌いは子どもであっても大人であっても尊重したい。仕事やプライベートの人間関係で図らずも相手の「好きな食べもの」や「苦手な食べもの」を知る機会があると親しみが湧いてくるのは、それもその人らしさだから。「食べない選択」も尊重すべきだよなあと感じている。