柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

たかが白ごま されど白ごま

ざるうどんに白ごまがないと、おいしさが微減してしまう。

焼きなすに生姜がないと、おいしさが半減してしまう。

鰻に山椒がないと、おいしさが激減してしまう。

料理そのものの存在価値が揺らぐほどにおいしさに貢献している「立役者」って意外と多い。

かっぱ巻きが大好きだが、かっぱ巻きに白ごまが入っていないと、その存在価値が大きく揺らぐ。かっぱ巻きを注文するときに、「白ごま入ってますか?」と聞けず、ただのキュウリの巻物(かっぱ巻と認めたくない)を前に後悔することがある。

鯵の鮨には当たり前のように生姜やネギが乗っているし、リーズナブルな鮨屋の玉子には当たり前のように海苔の黒帯が巻かれるのに、なぜかっぱ巻きには白ごまが当たり前ではないんだろう。

ジャパニーズカレーライスにはいつから福神漬けやラッキョウが添えられるようになり、冷やし中華はいつから錦糸玉子とハムとキュウリのトッピングが定番になったんだろう。そういえば、先日家族のお土産に崎陽軒のシウマイを買ったらグリンピースが乗ってなかった。子どものころシウマイを描くと、仕上げに緑色のグリンピースを描いていたような気がするけど、私は「シウマイにはグリンピース」ということをどこで覚えたんだろうか。

「定番」は時代とともにいつの間にか変わり、いつの間にかそれが当たり前になっている。いつかかっぱ巻に白ごまが当たり前になる日が来ると信じたい。

ちなみに、穴子とキュウリを巻く「あなきゅう」のように、「ごまきゅう」と白ごまの存在を強調したらどうだろうかと思ったが、ごまきゅうは愛せないことに気づいた。私は「かっぱ」という名前も含めて、かっぱ巻を愛しているのだ。食べものの好みって無意識に多様な理由がある。