柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

「知ったかぶり」ならぬ「知らなかったぶり」

「既知の未知化」という言葉を聞いたことがある。知っているけど、無意識に知らないふりをしていること。 最近、自分がお米について取材している時のICレコーダーを聞いて、自分の既知の未知化に落ち込むことがある。

 

たとえば、お米について私が知っていることがある。でも、相手が話し始めたとき、私が「ああ、そうですよね」とか「ええ、存じています」などと言わなければ「カシワギはこれを知らないな」と思う。そのため、そのことについてとても詳しく説明してくれる。その繰り返しで取材時間がなくなってしまい、本当に聞きたいことを聞く時間がなくなる。そんなことが先日あった。

 

さらに、その取材ではお米の専門的な内容を掘り下げていきたかったのだけど、「こんなことも知らないやつにはあのことを話してもきっとわからないだろう」と判断されてしまったように思う。せっかくの機会だったのに、深い話までたどりつけなかった。

 

なぜこのような事態に陥るのか考えてみた。まず、私は記憶力が悪い。というか、記憶が引出しの奥のほうに入り込んでしまう。なので、取り出すのに時間がかかる。

 

既に取材や文献や実験などで知っていることがあっても、最初は頭の引出しの奥のほうにある。だから、相手がその話題について話し始めたとき、私は自分がすでに知っていることを忘れている。すると、そんな私の反応を見た相手は「カシワギは知らないな」と判断して、イチから説明してくれる。でも、たいてい相手が話し始めて5秒後くらいに思い出す。でも、今さら「あ、私それ知ってました」とは言えない。たとえ、相手が話し始めた当初から自分がその話を知っていることに気づいて、「ああ、そうですよね」と言ってみても、相手に聞こえていないことが多い。「知ったかぶりしてるな」と思われてしまうのかもしれない。

 

そして、新聞記者時代の口癖で取材時に相手が言うことに対して「なるほど」と言ってしまう。もちろん本当に「なるほど」と思うこともある(基本的にそちらのケースのほうが多い)。でも、相づちで「なるほど」と言ってしまうこともある。「あなたを肯定していますよ」と無意識に表現しているからだと思うのだけど、これは誤解を招く。「あ、やはりカシワギはこのことを知らなかったのか」と相手が判断して、「こいつは何にも知らないなあ」と思われて、より大枠の話ばかりが細かくなっていく。

 

新聞記者時代はそれでも良かった。というか、そのほうが良かった。知っているつもりで知らないこともあるし、知らないふりをしてお話をうかがっていると、思わぬおもしろネタをキャッチできることもあった。私が知っていることが間違っている可能性もあるので、たとえ知っていても、大事な点についてはしつこいくらいに聞き直すべきだということを大変お世話になった上司に教わった(その上司の取材の仕方は本当に本当にしつこかった)。

 

知っているつもりになっていると見えるものも見えなくなってしまう危険性があるという側面もある。 ただ、お米に特化したライターである以上は、いつまでも「私、知りません」というふうな取材の仕方はダメだと思う。既に知っていることに対して「なるほど」と言ってしまう癖もやめよう。クリスマスイブの今日、カップルでにぎわうカフェにて1人ICレコーダーを聞きながら、来年の抱負が見つかった。あと7日で今年が終わり、来年が始まる。

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クリスマスイブの夕食はライスコロッケ