柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

うな重の「松竹梅」問題

うなぎ屋でうな重を食べるとき、「松」「竹」「梅」のどれにしようか、いつも悩む。

 

何が違うのかと言えば、鰻の大きさ(量)と価格。「梅」の下に「椿」、「松」の上に「蘭」があったり、「松」の上に「特」があったりと、店によってさまざま。ちなみに、うな丼のごはんの中にさらにうなぎの蒲焼きが隠れている「中入れ丼」なるものもある。

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これは「梅」

もちろん財布との相談だけど、うなぎが大きければ良いというわけではないと思う。大事なのはごはんとのバランス。ごはんが見えないほどの大きさの鰻が敷かれていると、ごはんが足りなくなってしまうと思うけど、うな重に関しては「松」も「梅」もごはんの量は同じらしい。不思議だ。とは言え、鰻が小さくてあまりにもごはんが見えてしまうと、たとえ鰻とごはんのバランスが良くても、どこか寂しい。

 

先日、友人が大きめの鰻のうな重をごちそうしてくれたときは、ごはんを大盛りにしたらちょうど良いバランスだった。そして、日本酒を飲みながら食べるときは、ごはんと日本酒の“ダブルお米”で鰻を受け止めてくれるので、ごはんは普通盛りでもバランスよく食べられることにも気づいた。

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これは「竹」

 日本人は「竹」を選ぶ人が多いと聞いたことがある。「梅」だと寂しいし、「松」だと価格が高い。私の場合はこの理由に加えて「松」だと鰻の量が多すぎてちょっとクドいなあと思うので、「竹」を選ぶことが多い(もちろん価格の理由もとても大きい)。

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まさかの「竹」

 でも、店によって「竹」らしからぬほど小さな鰻が出てくることもあり、これは「竹」だなと納得の鰻が出てくることもある。店によって「竹」の立ち位置は違うが、「竹」でこんなに立派な鰻を乗せてくれるの?という店にはまだ出会ったことがない。うな重をオーダーするとき、うな重のふたを開けるときは、いつもドキドキする。

ハムエッグの「ハム」抜き

玉子丼が好き。定食屋に行くと必ずと言っていいほど玉子丼を食べる。肉が苦手なので、親子丼しかない店では「親子丼の『親』抜きできますか」と聞くと、「子丼」を作ってくれる店もある。以前に仕事で地方に行った時に、地元の地鶏をウリにしている店で、地鶏である「親」を抜いた「子丼」をオーダー。お店の人は快く応じてくれたが、仕事仲間からはサイテーサイテーと言われた。でも、地鶏の卵はおいしかった。

 

先日は、ハムエッグ定食の「ハム」抜きをオーダーしてみたら、「エッグ定食」つまり目玉焼き定食が出てきた。これはハムを抜いてもらうだけなので平和的。ただ、カツ丼しかない店では、「今日こそカツ丼のカツ抜きをお願いしてみよう」と何度も覚悟を決めるが、カツのない「丼」は明らかに迷惑なので言える勇気がなく、あきらめて蕎麦を食べている。

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ハムエッグ定食の「ハム」抜き

 私と同じく肉が食べられない夫も「抜き」注文が多い。野菜炒め定食の肉抜きとか、焼きそばの肉抜きといったオーダーが一番多いが、先日はチキンライスの「チキン」抜きを大盛りでオーダー。出てきた「ライス」は山盛りのケチャップごはんだった。 

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チキンライスの「チキン」抜き

京都のきつねとたぬき

以前にも「わかめきつねうどん」で書いたが、きつねうどんが苦手だ。

 

お揚げが甘い。おいなりさんもお揚げが甘すぎるのは苦手だけど、おいなりさんのお揚げは薄いし、酢飯が甘さを少しは中和してくれる(酢飯が甘くなければ)。でも、きつねうどんのお揚げは厚く、より煮汁を吸っているので、本当に甘い。しかも、うどんのつゆも甘じょっぱい。中和してくれるものが何もない。

 

だけど、京都のきつねうどんは違った。

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京都のきつねうどんは甘くない

 甘くない。うどんに乗っているのは、煮ていない刻みお揚げと九条ネギ。お揚げにしみこんでいるのはうどんつゆだけ。あまりにもおいしい。

 

さらに言うと、たぬきうどんも苦手だ。

 

揚げ玉がつゆに浮いて揚げ玉に油が浮くさまが美しくないと思っている。つゆは常に透き通っていてほしい。揚げた衣だけを食べる意味もあまりよくわからない。

 

でも、京都のたぬきうどんは私が知っているたぬきうどんではなかった。

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京都のたぬきうどんは関東のきつねうどんのあんかけだった

なんと、きつねうどんのあんかけがたぬきうどんだった。しかし、ここで残念なのは京都のきつねうどんのあんかけではなく、関東風のきつねうどんのあんかけだということ。つまり、甘いお揚げのきつねうどんがあんかけになっているのが京都のたぬきうどん。ややこしい

 

さまざまな場面で日本は画一化しているという声を聞くし、私もそう思うことがたびたびある。でも、きつねうどんとたぬきうどんには間違いなく地域性があることを知った。関東に生まれ育ち、東北に嫁ぎ、西日本には縁がないけど、きつねうどんに関しては初めて関西をうらやましいと思った。

 

ちなみに、きつねうどん好きの夫はやはり甘いきつねうどんが食べたいそうで、「甘ぎつねうどん」なるものをオーダー。「甘い。うまい」と言いながらおいしそうに食べていた。

衝撃のおから煮

海外のお米取材で難しいのが、1度そのお米料理を食べただけで、その国のお米料理はこうだとは言いきれないこと。たまたまその店のお米料理がそうだっただけかもしれない。だから、なるべく同じお米料理を別の店でも食べる。スペインではいったい何種類のパエリアを食べただろう。

 

それは国内でも同じ。京都のある料理屋で食べた料理は味付けが薄いものが多かった。「お揚げと丸大根の煮もの」とか「小芋の白みそ煮」とか「炒り豆腐」とかちょうどいい薄さの料理もあったが、「おから煮」は普段わたしが食べているものとは違う料理だった。醤油とみりんと出汁が前に出てくるのではなく、塩味と出汁の中に生姜が感じられる。薄いというか、そもそも味の方向性が違う。「こ、これがおから煮…?!」と衝撃を受けた。

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おから煮(右)とゆば煮(左)

ちなみに「壬生菜と油揚げの煮物」は薄味のおかげで壬生菜の苦みを楽しめたので、「きっと素材を活かしているのだろうなあ」と頭では理解しつつ、どうもお酒が進まない。塩をもうひとつまみ入れたい。全体的な味の薄さからどうにも満足できず、料理屋を出た後に蕎麦屋で「けいらんそば(卵とじそば)」と白ごはんを食べた。甘じょっぱいつゆがしみる。ようやくお腹も心も満足。「京都の料理屋って味つけが薄いんだなー」という感想を持った。

 

翌日、帰りの新幹線の中で弁当とお酒を楽しもうと、「紫野和久傳」の「鯛ちらし」を購入。食べてみると、薄すぎないし濃くもない。弁当だから少し味付けを濃くしているのかもしれないけど、一般的な弁当よりは薄い。絶妙な味付けに感動を覚えた。京都の料理屋は味付けが薄いって決めつけてしまうところだった。和久傳のおから煮はどんな味だろう。

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お酒も進むよ鯛ちらし

そうは言っても、東と西の文化は異なる点がずいぶん多そう。ちょこっと行っただけで「こうだ」とは言えない。1回行ったら1回分の理解、5回行ったら5回分の理解、10回行ったら10回分の理解に過ぎない。ひとまず次回京都に行ったらいろいろな料理屋のおから煮を食べてみたい。

酒米「祝」を食べる

京都には「祝」という酒米がある。1933年に当時の京都府立農事研究場丹後分場で生まれた古い品種で、兵庫県の「野条穂」から純系選抜という手法で生まれた。「祝」を使った日本酒は少なく、「祝」を飲みたいし「祝」を食べてみたいと思っていた。

すると、偶然入った平安神宮内の「神宮酒場」で、「祝」のおむすびを発見。

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「祝」のおむすび

大粒で少し粉っぽい。おもしろい。少し糠っぽいと思ったら小さな家庭用精米機で7分搗きにしていた。

ここは、京都「松井酒造」がオープンしたスタンドバーだそうで、「祝」を使った純米酒の無濾過生原酒も飲んだけど、にごり酒の季節限定活性生酒がおいしかった。

若女将が書いたというショートショート「家守」が壁に掲げられていて、読んでいたらこの酒蔵が好きになった。

 

梅宮大社の「神代穂」

夫が神代穂について調べていた。ネットで発見した論文によると、神代穂はいずれも「ジャポニカうるち」。しかし、京都市右京区の「梅宮大社」の神代穂だけが「インディカうるち」と書いてある。もしかしたら「大唐米」かなあと思ったけど、玄米の色は「淡黄褐色」と書いてある。しかも稲丈は2メートルもあるそうな。

これまでたまに私のお米取材に夫を付き合わせていたけど、今回は夫の取材に私が同行。2人で梅宮大社へ行ってきた。

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京都市右京区「梅宮大社」

宮司の橋本以裕さんにお話をうかがうと、なんと神代穂は「熱帯ジャポニカ米」だということが判明。「初期に日本に渡来した稲の形質を保っているかもしれない」と興奮する夫。さらに、倒伏した稲の節から根が出るそうな。「それって浮き稲では?」と私も夫も大興奮。橋本宮司によると、「船に乗って穂抜きした品種ではないか」とのこと。お話を聴かせてもらっていた神社の待合室には長い長い神代穂の稲が吊るされていた。この稲がかつて深い沼の中でゆらゆらしていたさまを想像してロマンを感じた。

もともとは2メートルあった背丈は、ここ数年は1.8メートルにしかならないそうだ。以前は発泡スチロールなどでいわゆる「バケツ稲」栽培だったが、10年ほど前に境内に地元農家さんと一緒につくったという小さな3畳ほどの御神田がかわいらしかった。ホースで水を入れるらしい。とっても素敵な田んぼ。

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小さな御神田と橋本宮司

梅宮大社は「酒造祖神」でもあるそうで、夫の「亀の尾」で造ってもらった仁井田本家の日本酒(蔵付き酵母・木桶仕込み「しぜんしゅOK」)と、夫が所属する自然栽培グループ「会津春泥」の「五百万石」で造ってもらった「高橋庄作酒造」の日本酒(純米吟醸「会津春泥」)を奉納。来年もおいしい日本酒ができますように。

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仁井田本家「しぜんしゅ」と高橋庄作酒造「会津春泥」を奉納

橋本宮司からは2008年に「宝酒造」が神代穂で仕込んで販売していた日本酒「神代穂」をいただいた。いつか神代穂も食べてみたい。

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ロマンたっぷり「神代穂」

稲オタクに聞く!「マイ品種」の作り方

いま私たちが食べているお米のほとんどは、国や県の研究所で開発された品種です。しかし、歴史をさかのぼると、明治時代までは農家が品種を作る「民間育種」が当たり前でした。では、個人農家が育種して“マイ品種”を生み出すにはどうしたらいいのでしょう? 稲の突然変異を選抜・育種して10年前に品種登録した“稲オタク”の米農家・松下明弘(まつした・あきひろ)さんに聞きました。

 

■明治時代までは「民間育種」が当たり前

明治・大正時代を中心に、現代にも名を残すような優秀な品種が農家たちの手によって生み出されてきました。

たとえば、兵庫県の農家・丸尾重次郎(まるお・じゅうじろう)が「神力(しんりき)」という品種を作り、富山県の農家・石黒岩次郎(いしぐろ・いわじろう)が「銀坊主」という品種を作り、京都府向日町の農家・山本新次郎(やまもと・しんじろう)が「旭(京都旭)」という品種を作り、山形県庄内地区の農家・阿部亀治が「亀ノ尾」を作りました。特に「旭」と「亀の尾」は、「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「つや姫」などあらゆる良食味米のルーツといわれています。

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こうした篤農家たちは、すべての稲が倒伏した田んぼの中から唯一倒れなかった稲を選んだり、“一人”だけ出穂が早い稲や、芒(のぎ、のげ)(※1)のある稲の中で“一人”だけ芒がない稲などの“変わり者”を選んだりして、“マイ品種”を育ててきました。

果たして、現代でも「民間育種」は可能なのでしょうか?

※1 芒:稲の場合は、種子の先端に形成される突起状の構造物。長いものは十数センチにも達する。

■稲が出している電波をキャッチせよ

たとえば、お米のコンクールでも受賞経歴のある「いのちの壱」という品種は、2000年に岐阜県の今井隆(いまい・たかし)さんがコシヒカリの田んぼの中で見つけた突然変異から発見・育種した大粒米。2003年に福島県の鈴木清和(すずき・きよかず)さんがコシヒカリの突然変異から発見・育種した「五百川(ごひゃくがわ)」は山梨県で2016年からブランド米として売り出されるなど、一農家が生んだ“マイ品種”は最近でも各地で注目を集めています。

1998年にコシヒカリの田んぼで発見した突然変異の稲を選抜・育種したのは、静岡県藤枝市の米農家・松下明弘さん。「『どの米が一番おいしい?』が愚問なワケ【前編】」で紹介したように、松下さんが生み出した巨大胚芽米「カミアカリ」は2008年には稲品種として登録されました。そして、「『どの米が一番おいしい?』が愚問なワケ【後編】」で紹介したように、「カミアカリドリーム」という勉強会で、生産者、消費者、米屋など、さまざまな立場の人たちとカミアカリの価値を共有しています。

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育種には異なる2つの品種を交配させて育種する方法もありますが、個人農家が作りやすいのは、「いのちの壱」、「五百川」、そして、松下さんの「カミアカリ」のように突然変異の稲から育種する方法です。 突然変異はそう簡単に見つかるものなのでしょうか?

「突然変異が起きる確率は、100万分の1とも1000万分の1とも言われます。でも、広い田んぼを見ていれば必ずどこかに突然変異は出ています。田んぼの中に1株だけ変な電波を出しているやつがいるんです。それを拾う(発見する)ことができるかどうかです」と松下さん。カミアカリも、コシヒカリの田んぼの中に1株だけ「なんだか波長がずれた」稲を発見したことがきっかけでした。

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「とにかく田んぼをひたすら見続けて、本気で稲と会話する気になって見ていると、何が通常の稲で何が突然変異か、だんだんと見分けられるようになってきます。きっと明治時代に民間育種をしていた農家たちも目を皿のようにして田んぼを見ていたのだと思います」

■稲の突然変異とは?

他の稲と違う稲を発見しても、それが品種の突然変異なのか、他の品種との自然交雑なのか、どうやって見分けるのでしょうか。

「突然変異は遺伝子がつぶれたり傷ついたりして働かないことによって起きるため、もともとその品種が持っていないものは出ません。たとえば、急に有色素米(赤米や紫黒米など色がついたお米)になったりすることは、まずあり得ない。そうなった場合は、何かが混ざったということが考えられます」と話すのは静岡県農林技術研究所・水田農業生産技術科主任研究員の外山祐介(とやま・ゆうすけ)さん。

「突然変異は、もともとその品種が持っている遺伝子の変異です。たとえば、デンプンの中のアミロースとアミロペクチンの含有量の割合が変わるということはあります。粘りが強く軟らかい『ミルキークイーン』はコシヒカリアミロース含有量が低くなるという突然変異から生まれた品種です。他にも背丈が短くなるとか、穂が長くなるとか、そういった突然変異は往々にして出ます」(外山さん)。

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カミアカリも、もともとお米が持っている胚芽を作る遺伝子の突然変異。松下さんは「何らかの要因で遺伝子が突然変異した場合は、遺伝子を修復する遺伝子が働いて元に戻ろうとするのが普通なのですが、カミアカリの元となった稲はなぜか修復する遺伝子が正常に働かなかったのです」と説明します。その結果、カミアカリの元となった種子(種もみ)は巨大胚芽として松下さんの前に現れたのです。

そうは言っても、突然変異の稲を固定(※2)させるのは至難の業。松下さんはいったいどのようにして突然変異の形質が安定して遺伝・発現するように純度を高めていったのでしょうか。

※2 固定:種をとって再生産しても形質が次世代に確実に受け継がれるように検定・選抜を繰り返して純度を高めていくこと。

■「カミアカリ」が生まれるまで

 

松下さんが発見したのは1株17本の稲のうち5本の突然変異。米粒の胚芽が通常の3倍ほどの大きさでした。この中から「純系」(次世代の個体間に遺伝形質の変異がほとんどない個体群)を選抜して固定させていきました。

同じ巨大胚芽でも、5本の穂の種子はそれぞれ少しずつ性質が違います。さらに、1本の穂についている種子もそれぞれ少しずつ性質が違います。そこでまずは1本の穂を1系統として、それぞれをビニール袋に入れて1番から5番まで系統番号をふり、そのまま4、5日ほど乾燥させて翌年まで保管しました。

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翌年の春、それぞれビニール袋に入れたまま浸種。水を吸うと種子(種もみ)が膨らみ、形状がはっきりと見えやすくなるため、それぞれの系統の中から胚芽が明確に巨大な種子をそれぞれ選びました。1本の稲穂からとれた100粒ほどのうち、選び出したのはそれぞれ60粒ほど。これを種まきしたところ、発芽したのはそれぞれ55粒ほど、苗まで育ったのがそれぞれ50粒ほど。苗を田んぼに手で植えた後、途中で枯れたり、ジャンボタニシに食べられたりしながらも、40粒が稲穂を実らせました。

ここからが大変です。今度は、5系統それぞれの40株の中から、きれいに巨大胚芽米がそろっている1株ずつを選びます。1株についている1500粒ほどの種子の中からさらに500粒を厳選して、翌年にまく。さらに翌年は発芽した350粒から育った300株の中から1株を選ぶ。どんどん作業は膨大になっていきますが、こうした作業を毎年繰り返して純度を上げていきました。目利きと根気が必要な作業です。

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「3年やると固定できているかどうか目星がついてきます。『これはいける』と思いました」と松下さん。

4年目には当時の静岡県農業試験場(現在の静岡県農林技術研究所)に勤務していた育種の専門家である宮田祐二(みやた・ゆうじ)さんに打ち明け、5年目からは宮田さんのアドバイスのもと、データを取り、比較実験を行い、徹底的に品種を調べ、品種登録を目指し始めました。6年目からの2年間は同農業試験場でも栽培してもらって品種の純度を高め、7年目に品種登録を申請。10年目にようやく「カミアカリ」として品種が認定されました。

明治・大正時代の民間育種で生まれた品種の中には雑ぱくなものもあり、1つの品種を栽培するとばらばらの性質が出てしまうこともあったそうです。厳密に品種を固定させるためには、松下さんのように各都道府県の機関に相談してみるのも良さそうです。

■突然変異が元に戻る場合もある

 

宮田さんは「突然変異の選抜・育種を繰り返しても遺伝的にどうしても性質がばらけてしまう場合もある。5年繰り返してダメならばダメ」と言います。

一度突然変異が現れても、種とりを繰り返していくことで修復する遺伝子が入って性質が元に戻ってしまったり、「先祖返り」と言って祖父や曾祖父やもっと前の品種の性質が現れてしまったりすることもあるそうですが、「栽培を繰り返すうちにその性質が消えてしまうことが少ないので、幸運でした」と松下さん。翌年から巨大胚芽の種子を純系選抜していくと、2年目の段階でほとんどが巨大胚芽米になり、穂が出る時期もそろっていたと言います。発芽率は当初から70%とおおむね良好で、その後は徐々に高くなっていきました。「胚芽は発芽をつかさどる部位なので、そんな大事な場所の遺伝子が壊れたら発芽障害や生育不良になってもおかしくなかったのですが……。まさに新しい品種になるべく生まれてきたように思えて運命を感じました」

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同じ品種のタネをとりながら作り続けていくと、タネは土地になじんでいく反面、もとの品種の特性が失われていく傾向があります。種を後世に残すために日本では「主要農作物種子法」によって、各都道府県の機関で品種特性を維持した種子生産が行われてきました。種子法は今年4月に廃止されましたが、各都道府県では現在でも種子生産が行われています。品種の特性を固定したり維持したりすることの難しさを思うと、各都道府県による品種特性を維持した種子生産がいかに大変であり重要であるかを思い知らされます。

 

■140種類の多様性を楽しむ稲オタク

 

自他ともに認める稲オタクである松下さんは、販売用の6品種のほかにさまざまな稲を田んぼの一角で栽培しています。たとえば、江戸時代に栽培されていた「紫大黒」「緑大黒」「篠原もち」「二美皮(ふたみかわ)」などを始め、明治時代に生まれた「竹成(たけなり)」「愛国」「京都旭」「愛知旭」「神力」「関取」「強力(ごうりき)」など。さらに、台湾在来種やアフリカで栽培されている品種など海外の稲も。その数は140品種にものぼります。「同じ稲とは思えない多様性が魅力」と松下さん。明治・大正時代に曾祖父が書き残した栽培記録から、地域の古い品種も調べています。

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現在では一般的には「良食味」「栽培しやすい」「収量が多い」「高く売れる」などが「優良品種」とされています。しかし、松下さんは「夏場に長雨で気温が低かった年などは、日照不足のリスクを回避しようとした数株が他の稲よりも早く出穂するという現象も起きます。もしかしたら現代品種を種とりし続けていくと、稲は自分の命をつなぐために発芽しようと脱粒(※3)したり穂発芽(※4)したりと、かつて野生稲だったころの性質に戻っていくかもしれませんね」とうれしそうに笑います。稲の生命力や多様性や自我を受け入れるのが松下さんのスタンスなのです。

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現在も2種類の突然変異を栽培しているという松下さん。1つは、赤米から出た黒米。栽培していくうちに、種子の黒色が抜けて黄金色に戻り、芒だけが黒くなりました。もう1つは、カミアカリから出た大粒米。千粒重(千粒の重量)がカミアカリよりも1.5グラム大きいそうです。これも、やはり「目を皿のようにして」田んぼを見ているからこそ。突然変異を見つけられる確率は、「稲への愛の熱量に比例する」と言い切る松下さん。マイ品種作りのコツは、まずは稲への愛の熱量を高めることから始まります。

※3 脱粒:種子が成熟するに従って、穂から離れ落ちる性質。
※4 穂発芽:雨に濡れるなどして収穫前の種子から芽が出る現象。

(柏木智帆「マイナビ農業」掲載)