食べ手のことを考えてベストな料理を提供することは大変だけど、それでもできる限り食べ手が満足できるものを提供したい。
茶色はおいしい
先日の新聞に全国学力・学習調査で出された問題と回答が載っていた。
国語が好きだったので、出題を流し読みしていたら、「全国中学生新聞」から引用したという「海外に広がる弁当の魅力」という記事が取り上げられていた。
「弁当箱の一番の魅力は、小さな箱の中にいろいろな料理が詰められていることです。主食、主菜、副菜、時には果物までがきれいに収まっています」
「トマトの赤色や卵焼きの黄色などをうまく並べて、鮮やかな彩りになるように工夫された弁当を見て、『まるで宝石箱のようだ』と言う海外の方もいます」
弁当箱が「宝石箱」って素敵な表現だなあと思うけど、私はカラフルなお弁当よりも、煮物とかきんぴらごぼうとか佃煮とか味噌漬けなどが入った茶色い弁当のほうが好きだ(茶色い肉は食べられないけど)。
子どものころ、お弁当に1粒だけ入っているプチトマトは生温くておいしくないなあといつも思っていた。それが「彩りのため」「隙間を埋めるため」だったことを大人になってから知った。
「茶色い食べものはおいしい」と信じている。インバウンド向けの料理は多くの場合が華やかだったり、ザ・日本的なものだったり、インパクト重視になりがち。でも、日本の弁当はそれだけじゃない。「宝石箱」だけじゃない弁当の魅力も知ってもらいたい。
溶けた冷凍みかん
冬に知り合いの米農家さんから自然栽培みかんをダンボール1箱いただいた。
夫と食べたり、人におすそ分けしたりしていたけど、早く食べないと傷んでしまう。
どうしよう…と思っていたら、みかんをくれた農家さんが「皮をむかずにそのまま冷凍しておくと田植えの時のおやつにいいよ」と教えてくれたので、20個ほど入れてみた。
先日、冷凍みかんを1個出して、常温に少し置いてからふにゃっとしてきた皮を剥いて、食べてみた。
シャリシャリしておいしい。知らなかった。小学校の給食で出た冷凍みかんはこんな食感ではなく、ただの冷たいみかんだった。
給食で冷凍みかんが出てきたら、最初に冷凍みかんを食べる子どもはほとんどいない。誰だって「デザートだな」と思う。私も周囲の子もみんな食後のデザートとして冷凍みかんを食べていた。
季節ははっきり覚えていないけど、暑かったような気がする。すると、食べるころには冷凍みかんはすでに溶けていて、ただの冷たいみかんになっている。給食の献立を考えた人はこのことを分かっていたのだろうか。はたまた、暑い季節に冷たいフルーツをという心使いだったのだろうか。いずれにしても、私は「冷凍みかん」を長きにわたって誤解することになった。
ちなみに、揚げパンが出るときは、いつもスライスチーズがセットで出てきた。スライスチーズのフィルムで揚げパンを巻いて、手が油と砂糖で汚れないようにして食べるという趣向らしい。
普通のパンに野菜と挟んでサンドイッチ的に食べるでもなく、揚げパンの場合はスライスチーズの行き場がない(たとえ挟もうと思っても、パンに切り目がないので挟めない)。そういうわけで、みんなスライスチーズはそのまま食べていた。ただ単に、揚げパンで手が汚れないために出されただけのスライスチーズなのだ。
そもそも揚げパンはどんなおかずにも合わないと断言できる。揚げパンに合うおかずがあったら誰か教えてほしい。
給食は「栄養バランス」は考えられているようだけど、食べ合わせとか提供温度までは考えられていない場合が多いように感じる。自校給食ではなくセンター給食の学校も多いので提供温度は仕方ないとして、食べ合わせは重要だ。
ある方が「子どものころに給食で揚げパンと五目煮が出て以来、五目煮が嫌いになってしまった」と言っていた。白ごはんならば五目煮との相性は良いのに、なぜわざわざ揚げパンにするのか、どうしても分からない。
献立作りは栄養素の数字ばかりを見るのではなく、食べ手のことをもっと想像してほしい。献立を考える人だって、レストランで「本日の定食」のデザートに、溶けた冷凍みかんが出て来たり、揚げパンとスライスチーズが出て来たり、揚げパンと五目煮が出て来たら、あまりうれしくないのではないだろうか。
平成最後のカレーコロッケ
「平成最後の日の夕食はコロッケにしよう」と思っていたら、前日にコロッケが食べたくなってしまい、フライングしてコロッケを作った。
いつもはタマネギとジャガイモのコロッケだけど、今回はカレー粉も混ぜてカレーコロッケにしてみた。
食べた瞬間、思わず「なつかしい」という言葉が口をついて出た。小学生のころに近所の祖父母の家でカレーコロッケを食べた記憶が急によみがえった。そんなこと、記憶の片隅にもなかったはずなのに。
父方の祖父母の家は文房具屋兼本屋だった。父は三男だったけど、長男と二男の嫁が店番を手伝わないので、嫁に来た私の母は毎日店番をすることになった。当時は土曜日も小学校があり、午前だけで終わる「半ドン」。平日は授業が終わると自宅に帰っていたけど、土曜日は母が店番中なので、小学校から店に行き、そこで昼食をとっていた。
祖父母もおじもおばも母もみんな店番や配達で忙しいので、昼食は商店街で買った惣菜。買って来た薄っぺらいカレーコロッケに、醤油だったか、ウスターソースだったか、さらっとした液状の調味料をかけて食べていた記憶がある。
思えば、祖父母の家で食べたものはどれも「なつかしいおいしさ」が詰まっている。
ポテトサラダ(ポテサラ)に醤油をかけて食べるのも、この昼食で覚えた。これはいまだにやめられない。ポテサラに醤油をかけると立派なおかずになるので、「ポテサラ定食」があってもいいと思っている。
少し余裕があるときは、素麺を茹でてくれた。冷たいそうめんを、作り立ての温かいつゆにつけて食べる。これが好きで、私はいまだに家で素麺を食べるときは、温かいつゆを作ってしまう。
カレーコロッケをひとくち食べただけで、今は閉店してしまった祖父母の店で漫画をタダ読みしていたことや、亡き祖母が好きだった菓子、さらには小学校でのできごとなど、祖父母の店でカレーコロッケを食べていた時代のありとあらゆる思い出が芋づる式によみがえってくる。
明日から新元号。秋には赤子が生まれいづる。家族3人でどんな味の思い出が増えていくのだろうか。
ちなみに、私はポテサラに醤油をかけるけど、夫は何もかけない。私はカレーコロッケに醤油をかけるけど、夫はソースをかける。赤子が大きくなったときに「ポテサラとカレーコロッケには醤油だよね!」と言うだろうか。はたまた、「醤油をかけるなんて邪道!」と言われるだろうか。
主役はだれか
「大盛りライスと濃いカレー」で、「日本のごはんの消費量が減っている要因の一つは、おかずの味付けの薄さにある」と、健康志向による減塩の影響について書いた。
加えて、最近になって「おいしくないごはんは塩分を増やす」ということにも気づいた。
炊飯実験で古米を食べた。粘土のような香りがしてつらかった。普段は白ごはんだけでも箸が進むけど、この時はおかずを食べる量が増え、使う醤油の量が増えた。そうでないと、ごはんを食べ進められなかった。
つまり、
「塩分が多いおかず」⇒「ごはんの消費が増える」
「おいしくないごはん」⇒「塩分の摂取が増える」
ということだ。
ならば、
「おいしいごはん」⇒「塩分の摂取は減る」
ということなのだけど、以前にも書いたように、
「塩分の摂取が減る」⇒「ごはんの消費が減る」
ということにもなるのではないだろうか。
でも、ごはんがおいしいのだから、ごはんの消費は増えるだろう。でも、塩味がないと、いくらなんでも白ごはんだけで何杯も食べないよなあ。ならば、おいしいごはんに味の濃いおかずをぶっかければいいのか。でも、それでは塩分を避ける人がごはんをあまり食べないよなあ……などなど、無限ループに陥った。
そんなとき、やはり梅干しとか佃煮とか漬物とか、塩味が強いけどちょっとだけつまんで白ごはんをかき込めるシンプルな「ごはんのおとも」は、ごはんとの相性が最強だと改めて実感した。
最近の「ごはんのおともランキング」などを見ると、「松坂牛大トロフレーク」とか「かけるピリ辛ラー油」とか「老舗料亭のビーフカレー」とか「とろける煮豚」などがあるけど、それって「ごはんのおとも」ではなく「ごはんのおかず」ではないだろうか。
「ごはんのおとも」はあくまで「ごはんの味を楽しめる」もの。「桃太郎」の主人公は「おとも」のサルやキジではないように、「ごはんのおとも」も主人公は「おとも」ではなく、ごはん。おいしいごはんの消費をアップさせるポテンシャルたっぷりの「ごはんのおとも」を改めて見直してみたい。
サプリと鼻血
かつての私はいろいろなものが足りなかった。
鉄分がたりない、白血球がたりない、赤血球がたりない、血小板がたりない、コレステロールがたりない、血圧がたりない…。ひどいときは健康診断で12項目において足りないものがあった。
新聞社に入社したばかりのころは血圧が40〜70で、警察担当、いわゆるサツ回りをしていた私は、警察の方から「生きてるか?」「食ってるか?」とよく声をかけてもらっていた。
その後、さまざまな数値は回復したものの、あいかわらず、低血圧で鉄欠乏性貧血だった。
ところが、妊娠が発覚してから「妊婦は鉄分不足になりやすい」と知った。もともと鉄分が足りてないのでまずいなあと思い、食品で摂取するように心掛けてはみたものの、それだけでは心もとない。なぜなら、コマツナや納豆などはもともと食べている。もっと鉄分をとらなければならない。
それでも、サプリメントには手を出したくない。食べものを栄養として見ることがあまり好きではない。栄養バランスはたしかに大切だけど、わたしは栄養バランスのために食べているわけではなく、おいしいから食べているということを大切にしたい。
とは言え、自分のポリシーで子どもに迷惑をかけることはできない。血流が悪いと子どもはお腹の中で苦しくなってしまうと知り、子どものためにも鉄分をとろうと考え、一生懸命さがしにさがして、無添加物でオーガニックでナチュラルなサプリメントを飲み始めた。飲むと鉄の味がする。ザ・鉄分。
ところが、サプリを飲んでから1カ月以上もずっと鼻血が止まらない。だらだら出るのではなく、鼻をかむと血が出たり、お風呂に入ると血がたらりと出たり。
鼻血が出るときは、サプリを飲んだときと同じ鉄の風味がする。もしかしたら、人によって体内での鉄分の保有可能量は違うのかもしれない。
サプリで飲んだ鉄分はすべて鼻血で出てしまっているのではなかろうか…と思いながらも今日もサプリを飲み、鼻血が止まらない。
マイコンをなめていた
同じお米であっても炊きあがりは使う炊飯器によって変わる。
「おいしい」炊け上がりの炊飯器の「おいしい」は各メーカーが目指す「おいしい」になるため、やわらかめに炊ける炊飯器もあれば、硬めに炊ける炊飯器もある。
5万円、10万円以上のIH炊飯器や圧力IH炊飯器などが登場する中、マイコンは安さ重視の炊飯器という位置づけになっている。
しかし、夫のマイコン炊飯器がすごい。夫が20歳のころに東京で一人暮らしをしているとき、秋葉原のラオックスで友だちのコテ君と一緒に買ったTOSHIBA製。夫はもうすぐ35歳。15年愛用し続けた炊飯器は見るからに歳月を感じる。
当初、私はマイコンをなめていた。
夫と結婚してから炊飯比較実験をするためにTIGERの安くも高くもないIH炊飯器を2つ同型で揃えたので、炊飯器でごはんを炊くときはTIGERを使っていた。夫のマイコンは夫が好きな玄米を炊くときや、炊き込みごはんなど炊飯器ににおいがついてしまいそうな炊飯のときに使っていた。
ところが先日、やたらと疲れていた私は、なぜかうっかり夫のマイコンで夕食のごはんを炊いた。すると、絶妙な炊き加減でおいしい。
メーカーの癖でお米の味が変わってしまわないように、炊飯器で炊く時はいつも冷蔵庫でじっくり浸水したお米を早炊きモードで炊いているのだけど、2年ほど前に買ったIH炊飯器の早炊きよりも、15年前に買ったマイコン炊飯器の早炊きのほうがおいしいとは驚いた(われわれ夫婦の好みでは)。
一方で、高級炊飯器や最新炊飯器で炊いたごはんを食べて「おいしい!」という体験をしてみたいけど、まだできていない。以前にイベントで最新高級炊飯器で炊いたごはんを食べたけど、あんまり…だった。自分で買えばいいじゃないか!と言われそうだけど、炊飯器の中で何が起こっているのか見えない炊飯器はおもしろくないので、5万円も10万円も払って買う気にはなれない。
ちなみに、夫によると、このマイコン炊飯器は「愛情によっておいしく炊けるように変化した」らしい。そんなわけあるかいっと思っていたけど、夫が東京の風呂なしアパートに住んでいた時代から、故郷に帰ってもずっと春夏秋冬このマイコン炊飯器でごはんを炊き続けて生活を共にしてきたんだなあと思うと、もしかしたら本当に夫が言うようなこともあったりするのかもしれない…