柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

葬式まんじゅうと黒飯

夫と付き合い始めたばかりの頃、夫に好きな食べものを尋ねると「葬式まんじゅう」と「黒飯(こくはん)」という答えが返ってきた。

 

いずれも葬式のときに食べるもの。言い換えれば、葬式の時にしか食べられない。

 

人が死んだ時しか食べられないものが好きだなんてなんとも言いづらい「好きな食べもの」だなあと思っていたら、先日夫に共感する機会があった。

 

義祖母が亡くなったときにお父ちゃんからもらった黒飯がとてもおいしかったのだ。本当においしくて、その日の夜に2人で3パックを完食。もっと食べたかったけど、「また食べたい」とは言いづらい。

 

f:id:chihoism0:20200104173437j:image

 

赤飯は小豆の煮汁ごと蒸すが、黒飯は小豆の煮汁を捨てて蒸す。それだけの違いなのになぜだかやたらとおいしい。

 

ちなみに葬式まんじゅうは夫が好きなタイプのものではなかった。お父ちゃんが「味重視」ということで近所の和菓子屋で上品なサイズのまんじゅうを頼んだのだ。しかし夫が好きなのは「仕出し屋のでっかいまんじゅう」。まんじゅうを包んだフィルムにハスの花がプリントされているらしい。これまた「いつか食べられるといいね」とも言いづらい。

 

赤飯はハレの日でなくても和菓子屋に売っているし、コンビニにも赤飯おむすびが売っている。しかし黒飯は気軽に手に入るものではない。食べたくても自分でつくる気になれない。つくった後に不幸があったら…などと考えてしまう。

 

葬式まんじゅうと黒飯のおいしさには、そのもののおいしさだけでなく「めったに食べられないおいしさ」も含まれている。

 

食べたいけど食べられる機会は悲しいとき。なんとも複雑な「好きな食べ物」だなあと思う。

ごはんが詰まったいなりずし

先日、夫とムスメと一緒に成田山新勝寺の参道にある団子屋に入った。

 

そこで食べたいなりずしが絶品だった。酢飯といなりの味付けのバランスが絶妙。「ごはんがパンパンに詰まっていたらもっと良かったなあ」とつぶやいたら、「母ちゃんのいなりずしはごはんがパンパンだった」と夫が教えてくれた。 

f:id:chihoism0:20191221095809j:plain

成田山新勝寺参道にある「後藤だんご屋」のいなりずし


夫によると、お母ちゃんのいなりずしはいなりが閉じられないほどごはんを詰めるため、口が開いたままらしい。

 

いなりずしにはオープンタイプもあって、開いた口の部分に具材がのっているものもある。ああオープンタイプかと思ったが、どうやら違うらしい。

 

お母ちゃんのいなりずしはごはんを詰めるだけ詰めたら、開いたままの口を下に向けるそうだ。きっと皿の上には大きな四角いいなりずしがでーんと並ぶのだろう。ステキ。

 

夫のお母ちゃんの料理はお母ちゃん本人も夫も「テキトー」と言うが、私は大好きだ。特に汁餅(大根と油揚げの澄まし汁に餅)、大根炒り(大根と油揚げの炒め煮)、チヂミ(ニラ入り)がおいしい。茹でただけのブロッコリーが食卓に並んでいるのも何だかほっとする。

 

ちなみに夫が高校生の頃、弁当を開くと茶色いおかずの隣に生の人参が入っていたそうだ。大きめの角切り人参がひとつ。帰宅して「あれ何?」と聞くと、お母ちゃんは「赤が欲しかったから」と答えたらしい。家庭の料理は難しく考えずにこれくらいのテキトーさが心地いい。

たまごかけごはんの食べ方

最後はしろめし」で最後は漬物を食べてからの白飯で終わりにしたいと書いた。

 

おいしさは食べる順番でずいぶん変わる。

コースで出てくる日本料理だって、脂がのった焼魚が出た後に刺身が出てきたらがっかりする。

 

同じ弁当や定食でも、人によって「最初はカリカリ梅の下の塩味がしみたごはんから」とか「最初は付け合わせのポテトサラダから」とか「味噌汁には手をつけず最後に食べる」など他の人に理解されなくても、それはその人にとっては最もおいしい食べ方なのだ(ちなみに夫は味噌汁に手をつけずに最後に食べる)。

 

そこで、ほぼ毎日食べているたまごかけごはんでも、おいしい食べ方を追求してみた。たまごかけごはんに鰹節を足すとか、なめたけを足すとか、プラスアルファの楽しみ方ではなく、ごはん、卵、醤油だけでとう食べるか。

 

そして、いま現在で一番おいしいと思う食べ方を見つけた。

 

f:id:chihoism0:20191029151231j:plain

追い飯後のたまごかけごはん


①1合のごはんを炊き、茶碗に半合よそる

②ごはんの真ん中にくぼみをつくって卵白だけを落とす

③醤油で味付けした納豆をのせて食べる

④半分弱残したごはんに卵黄をのせて混ぜる

⑤醤油をちょこっと足して白飯がほしくなるほどの味の濃さに調整する

⑥残りの半合を追い飯して食べる(最後に食べたい白飯部分は卵液が付着しないように気をつける)

 

今はこれが一番だけど、あくまでいま現在で。子どもの頃は味噌汁に手をつけず食事の最後に食べていた(のでセッカチな父によく怒られた)けど、今は最初から味噌汁を食べているように、おいしいと思う食べ方は時として移り変わってゆく。

 

先日、クックパッドニュースのコラムでたまごかけごはんについて書いたら、たまごかけごはんへの愛やこだわりやお気に入りの食べ方などさまざまな反応をいただいた美食家のブリア・サヴァランは「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」と言ったそうで、たしかに食の嗜好はその人が垣間見えるようでおもしろい。でも、「どんなもの」かだけでなく、「どんな食べ方」かによってもその人が垣間見えるように思う。

玉子焼き考

のりべん考」で海苔弁に合うおかずは玉子焼きときんぴらごぼうだと思うと書いたら、玉子焼きは甘いのか甘くないのかという質問があった。

 

海苔弁のおかずとして想定していたのは、出汁と醤油を少し入れた、甘くない、かつ、しょっぱすぎない玉子焼き。だからこそ、口直し、箸休めになる。私は甘い玉子焼きはあまり好きではない。

 

しかし、甘い玉子焼きが好きな人もいる。

誰もが好む玉子焼きを作ることは至難の業だと思う。

f:id:chihoism0:20191026081951j:plain

ケータリングおむすび屋時代につくっていた玉子焼き。甘い玉子焼き好きにも甘くない玉子焼き好きにも好まれる絶妙な味を目指したけどむずかしかった

 

子供の頃は甘い玉子焼きも食べていた。家族で近所の回転寿司店に行くと必ず注文していた出汁巻き玉子は甘かった。

 

出汁をたっぷり含んだぷるぷるの出汁巻き玉子に箸を入れると、出汁が溢れ、口に含むと熱々で少し甘めの出汁がじゅわっと広がる。しかし、甘いだけではなく、しっかりと出汁と塩味が効いていたから好きだったのかもしれない。

 

甘くない玉子焼きがおいしいかもしれないと思うようになったのは高校3年生の時に大阪で食べた明石焼き。出汁と塩味だけであまりにもおいしかった。その後、大根おろしと醤油で食べる甘くない玉子焼きを知ると、ますます甘くない玉子焼きに惹かれていった。

 

そもそも甘い佃煮や煮豆などの甘いものが苦手だけど、甘い玉子焼きが苦手な理由はごはんのおかずにならないから。そのため、太巻きの具の甘い玉子や、寿司の玉子など、ごはんと一体となっているものはおいしいと感じる。

 

ちなみに、外食や弁当で甘い玉子焼きが出てきてしまったら、醤油につけて食べれば、なんとかごはんのおかずになってくれる。

 

この「玉子焼きは甘いか甘くないか問題」や「梅干しは甘いか酸っぱいか問題」は、地域や家庭環境に関係なく日本人の嗜好を二分しているように感じる。それくらい好みは人それぞれ。

 

私は甘くない玉子焼きが好きだけどお酒や珈琲など、“大人の味”を知る大人が「わたし甘い玉子焼きなんです、うふふ」と話しているのを聞くと、なぜかちょっと嬉しくなる。

のりべん考

以前に「栗ごはん考」でも書いたように、炊き込みごはんに合わせるおかずは難しい。

 

ようやく最近になって何をおかずにすればいいか分かってきた。

 

わが家では、おかずと一緒に食べる前提で薄味の炊き込みごはんを作る。とは言え、白飯がほしくなるようなおかずを作ってしまうと、炊き込みごはんを食べながら白飯がほしくなってしまう。

 

そこで考えたのは、「おかずになるけど、激しく白飯を欲さないおかず」。

 

たとえば、煮浸し、高野豆腐の煮物、胡麻和え。

小松菜と人参と油揚げの煮浸しは薄味に。

かぶりつくと汁がじゅわっと出てくる高野豆腐の煮物は優しい味付けに。

いんげんの胡麻和えは味付けがしっかりしていても、白飯を激しく欲するかというと、そうでもない。炊き込みごはんでも、まあいいか、と思える。

 

炊き込みごはんと同様に、海苔弁のおかずも難しい。

f:id:chihoism0:20191023082037j:plain

おかずがむずかしい海苔弁

市販の海苔弁は、焼いた塩ジャケ、ちくわの磯辺揚げなどが入っているものが多いけど、どうも好きになれない。

ちくわの磯辺揚げや白身魚のフライなどの揚げ物系は、海苔弁にとって白飯の次に重要とも言える海苔が油でギトギトになってしまう。

焼いた塩ジャケはどうしても白飯が欲しくなってしまう。せっかく海苔弁を食べているのに、ああ白飯が欲しいなあと思ってしまうことはとても残念だ。

 

極論を言えば、海苔弁はおかずなしでもいい。でも、やはりおかずがちょっとあったらうれしい。

 

そこで、海苔弁の場合の「おかずになるけど、激しく白飯を欲さないおかず」は何だろうと考えた。弁当なので汁気がないものがいい。

 

たどり着いたのは、きんぴらごぼうと玉子焼き。

きんぴらごぼうは、白飯が欲しくはなるけど、海苔弁の白飯と海苔の間に挟まっているおかか醤油と味の方向性が似ているので、海苔弁となじむ。

玉子焼きは胡麻和えと同様に白飯を激しく欲するものではない。出し巻き玉子に大根おろしと醤油という食べ方であれば白飯というか日本酒が欲しくなるけど、玉子焼きは海苔弁の口直し的な存在だと感じる。

 

ごはんについて言えば、白飯が少なめでおかかと海苔とともに薄い層になっている海苔弁は、ごはん全体がのっぺりとしていて悲しい。やはり海苔弁はたっぷりの白飯がふんわりと厚い層になっているものがいい。

 

そして、海苔がちょっとよれていたり、玉子焼きが崩れたりしていたりしても、それがまたおいしそうに見えるのが海苔弁。お母ちゃんが忙しい朝にバタバタと豪快に作ったような海苔弁は最高の海苔弁だと思う。

最後はしろめし

ごちそうさまの後、気づくと皿に漬物があと1切れだけ残っている。それなのに、ごはんを食べきってしまった。こんなとき、たった1切れなのだから次の食事に持ち越すよりも食べちゃえばいい、と思う。しかし、私はたった1切れであってもごはんがなくては食べられない。どうしても食事の最後のひとくちは白飯でないと落ち着かない。

 

おかずとごはんを交互に食べても、最後は白飯。たまごかけごはんも、すべてのごはんを卵と混ぜてしまわず、最後に食べるための白飯部分を卵から守っておく。定食屋の玉子丼は「つゆだく」だとがっかり。つゆだくの玉子丼が出てくると、「ひとくち分の追い飯」を追加注文したくなる。

 

定食屋では、目玉焼きとか焼き魚とかメインディッシュを食べてからの白飯で終わりではなく、すでにメインディッシュは食べ終わり、付け合わせの漬物を食べてからの白飯で終わりにしたい。白飯が大盛りで漬物がおいしい定食屋は、いい定食屋だなあと思う(もちろん白飯もおいしいと嬉しい)。 

f:id:chihoism0:20191006112116j:plain

近所の定食屋でも最後は必ず漬物→白飯

鰻屋のうな重は「価格」と鰻の蒲焼きの「大きさ」が「松竹梅」などで比例するけど、「松」など高いランクのうな重はごはんに対して鰻が大きすぎる。「梅」「竹」で白飯を大盛りにすると、鰻と白飯を楽しんだ後、最後は漬物を食べてからの白飯で終わることができる(やせ我慢ではない)。

 

 お酒の締めも白飯がいい。料理の最後に白飯が出ると嬉しい。おかわりできるとなお嬉しい。炊き込みごはんも好きだけど、やはり白飯は嬉しい。

 

以前にある立食パーティーでお酒と料理を楽しんでいたときに、どうしてもお米が食べたくなり、途中で抜け出して近くの店へ締めの土鍋ごはんを食べに行った。季節柄、牡蠣ごはんが食べたい。でも、やはり最後は白飯でないと満足できそうもない。悩んだ末に両方とも注文して、牡蠣ごはんをおかずに白飯を食べたら解決した。

追い飯のおいしさ

最近、たまごかけごはんを食べる機会が増えた。

ごはんを食べようとすると生後1カ月の娘がぐずるので、ごはんをできるだけ手短にかきこまねばならないからだ。

f:id:chihoism0:20190918173236j:plain

近所のスーパーで買った平飼い会津地鶏の卵に、お取り寄せした「みそたまり」

 

食べるお米の量は朝は1合。昼と夜は母乳育児でお腹が空くので1合半近く食べる。

 

近所のスーパーで買う卵は濃厚なタイプなので生食では1食1個でないと少々くどい。

漬物があるときは卵1個でごはん2、3杯食べられるけど、漬物を切らしてしまったときは、たまごかけごはんの味付けを濃いめにする。すると、ごはんが進み、卵に対してごはんが足りなくなってくる。そこで、食べかけの茶碗に追加でごはんだけをよそう。美しくない食べ方だけど、おいしい。

 

これ、何かに似ているなあと思ったら「追い飯」というやつだ。

 

追い飯とは、ラーメンやカレーうどん、台湾まぜそば、ラクサなどの麺料理のシメに食べるごはんのことで、麺を食べ終わった後の汁に投入して食べるらしい。麺を食べながらごはんを食べる焼きそば定食やラーメンライスなどとはちょっと違う食べ方だ。

 

茶碗の中がしょっぱいときに新たなに投入する白ごはんは、しょっぱい漬物と一緒に食べるごはんのおいしさとはまたちょっと違う類のおいしさがある。そして、追い飯の最もおいしいポイントは、子どものころに味噌汁にごはんを入れて(あるいはごはんに味噌汁をぶっかけて)食べて叱られたことを思い起こす背徳感のような気がしている。