柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

食いしん坊は食いしん坊

飲食店のメニューを見るのが好きだ。

一人で定食屋や立ち飲み屋に入ると、注文前にメニューを見るのは当たり前だが、注文した後もひたすらメニューを見続ける。

一人でふらりとお酒を飲むために入った店ではメニューを肴にお酒が飲める。

そして、他人が注文するもの、一緒に行った人が注文するものをやたらと覚えている。

ブリア・サヴァランではないが、どんなものを食べるかはどんな人であるかに通じていると思っている。

 

そして、食品スーパーが好きだ。日頃近所のスーパーで買い物するだけで楽しい。たまに都内の高級スーパーへ行くと心が弾む。特に好きなナショナル麻布、明治屋、紀ノ国屋は隅から隅まで見て回る。

 

こうした癖を知っている学生時代の恩師は、飲食店では注文前だけでなく注文後にも「はい、柏木さん」とメニューを渡してくださる。特に旬の食材をふんだんに使ったメニューがある店は何度行ってもメニューが楽しい。

 

そして、恩師とお会いする際に待ち合わせると「また食べものを見ていたんだろう」と言い当てられる。恩師が言う通り、待ち合わせ場所が百貨店の入口の時は早めに着いてデパ地下を物色してから行き、駅のときは駅近くや駅ビルのスーパーを物色してから行く。

とは言え、あれもこれも買わない。見ているだけで楽しく、基本的に食に対して保守的なので、必要なものしか買わない。さんざん物色しておいて、買ったものが胡麻だけとかはザラで、何も買わない時もある。迷惑な客だろうか。

 

この癖は今に始まったことではなく、高校時代は休日に幼なじみの友人と遊ぶと、百貨店のデパ地下を巡るだけで1日が終わっていた。スイーツを実演する様子をガラス越しに延々と眺めていたり、数時間にわたるおしゃべりの内容が9割以上は食べ物のことだったり。そしてさんざん歩き回ったわりには買うものが少なかった。高校生は大人よりも予算に限りがあるので吟味しすぎて結局選びきれないことが多かった。

この友人とは東京ビッグサイトで開かれていた食にまつわる展示会にも物色に行っていた。ただの高校生がバイヤーに混ざって出店者に質問したり試食したりサンプルをいただいたり。今思い返すと迷惑な客だなぁと思う(客ですらないけど)。

 

ここ最近は育児と授乳と新型コロナによってお酒を飲めないどころか外食も行けない状況で、仕事もリモートが多く都内にも行けない状況で、今となってはなぜあの頃はあんなに食べ物の話ばかりしていたんだろう‥とさえ思う。

 

ところが先日、SNSで見た卵黄と塩だけのたまごかけごはんを作ってみた後に、そのたまごかけごはんの味の感想、使った卵と塩についての考察、次回作るときの卵と塩の課題についてしゃべり続け、夫から「本当に食べることが好きだよね」と半ばあきれたように言われて、ハッとした。

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飲食店やスーパーや展示会など食が集まる場に行けなくても、食いしん坊は食いしん坊のままらしい。たしかに、日頃のごはん作りもめんどくさいと思ったことが一度もない。食べたいもののために料理することが苦にならず、むしろ食べたいものが食べられないほうがつらい。食べたいものがあれば多少の手間はいとわない。

思い返すと娘の出産時も、切迫早産で退院後に出産予定日までまだ1ヶ月もあるというある晩、急に草餅を作り始めた。絶対安静と言われていたのに。草餅は夜遅くに完成し、翌日の早朝に破水した。この時ばかりは自分の食いしん坊を深く反省した。

 

今でもごはんを食べようとした瞬間に娘が昼寝から起きたり、ごはんを食べようとした瞬間に娘がおっぱいを欲しがったりすると、がっかりしてしまう。記者時代にごはんを食べようとした瞬間に事件発生で現場に急行せざるを得なかったことを思い出す。できるだけ娘ファーストで行動していこうと思っているのだけど、やはり食いしん坊にはかなわない。

春のごはん祭り

3月に川べりでふきのとうを摘んで「ふきみそ」を作り、5月にご近所から葉わさびをいただいて「葉わさびの醤油漬け」を作り、スーパーで木の芽を買って「木の芽の佃煮」を作り、お世話になっている料理人から行者にんにくをいただいて「行者にんにく味噌」を作った。すばらしいごはんのおともの数々。

 

そして、4月におばさまからたけのこをいただいて「たけのこごはん」を作り、5月に山であぶらっぽ(こしあぶら)を採って「あぶらっぽ(こしあぶら)ごはん」を作り、スーパーでうこぎを買って「うこぎごはん」を作り、山でたらのめを採って「たらのめごはん」を作った。すばらしい炊き込みごはんや混ぜごはんの数々。

 

春ほどすばらしいごはんのおともやごはんの楽しみ方が充実する季節があるだろうか。秋も栗ごはんや松茸ごはんやきのこごはんなどなかなかやるが、個人的な嗜好で言えばやはり春には勝てないように思う。

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とは言え、秋は新米。一方で春はお米が劣化し始めやすい季節。もちろんお米の質によって違うけど、やはり季節の移ろいとともに味は落ちがちだ。

 

ごはんがおいしくなければせっかくのごはんのおともの威力が発揮されないし、炊き込みごはんや混ぜごはんも同様だと思っていた。まずはおいしいごはんがあってこそ。

 

しかし、現実的には春は味が劣化し始めるお米が多発する季節でもある。

 

ところが、春のごはんのおともや混ぜごはんの具は香りが強いので、わずかな古米臭であればマスキングできる。山菜の芳香の強さはまさかこのためでは…とさえ思う(違うと思うけど)。

 

ちなみに炊き込みごはんは調味料を一緒に炊き込むので、具の芳香に関係なく古米臭をマスキングしやすい万能ごはんだ(しかも劣化し始めて粘りが薄くなるので具によってはごはんと混ざりやすく、米離れが良く好みだと言う人もいそう)。

 

できれば劣化していないお米でごはんのおともや混ぜごはんや炊き込みごはんを楽しみたいが、玄米低温保管であっても季節の移ろいとともに実際に劣化してしまったお米をどう楽しむかという知恵も必要だ。できれば劣化したいないお米を食べたいけど。

 

「春のパン祭り」に対抗して、「春のごはん祭り」を開きたい。

ぐるてんふりーのからあげ

1歳9ヶ月の娘が先日味噌汁に入っていた焼き麩を食べたところ、30分後に両目の周りが赤くなって腫れ始めた。どんどん腫れて目が開かないほどに腫れた。同時に両脚全体に蕁麻疹ができて泣きながらかき始めた。

 

急いで病院へ行き、ひとまず薬をもらい、2日後には完全に腫れは引いたが、後日アレルギー外来で検査をしたところ、小麦アレルギーだった。

 

1歳になったばかりの時に一度だけうどんを2〜3本食べさせてみたら何ともなかったので小麦はクリアしたと思っていた。しかし、医師によると2回目に食べた時に発症する場合もあるらしい。

 

ところが、うどんを食べた後、なかなか2回目の小麦を食べる機会がやってこなかった。私が小麦を食べる機会がなかったので自動的に娘も小麦を食べる機会がなかったのだ。そして、やっとやってきた2回目の小麦が1歳7ヶ月の時に食べた味噌汁の焼き麩だったというわけだ。

 

自宅では主食が365日×3食ほぼお米なので小麦アレルギーだからと言って日常で困ることは今のところない。夏の到来物の素麺で作る「素麺いなり」や「茄子素麺」(いずれもごはんのおかず)が食べられないくらいだろうか。一つだけ困りそうなのは、我が家では毎年クリスマスにライスコロッケを作るのが定番となっていること。まだ揚げ物は食べさせていないが、大きくなって揚げ物も食べるようになった時には米粉米粉パン粉を使えば問題ないし、クリスマスの定番メニューを変えてもいい。

 

日常的に困るのは給食だ。地域の小学校の給食は米飯が週3日しかない。週1回はパン、週1回は麺。娘が小麦アレルギーだと分かる以前から、町の担当課には子どもの健康や味覚形成などの観点から完全米飯給食(週5日米飯)を要望しているところだった。

 

娘が小麦アレルギーとわかってから担当課に「パンや麺の日は除去食対応になるのか」と問い合わせたところ、「今は町内に小麦アレルギーの子がいないのでお子さんの入学前にご相談になる」「おそらくごはんかおむすびをご持参いただくことになると思う」と言われた。

小麦アレルギーが乳製品や卵のアレルギーと違うのは「主食」である場合が多いということ。「牛乳がない」「おかずが一品ない」ことと、「主食がない」ことはだいぶ違う。するとやはり主食の場合は代替食が必要となる。しかし、学校では代替食を用意できないので家庭で持参してくれということらしい。そこまでして輸入小麦のパンや麺を「食育」として教育の現場で出す意味は何なのだろう…

 

先日、ロシア出身のキリーロバ・ナージャさんの「からあげビーチ」という絵本を買った。ベジタリアンや卵アレルギーや小麦アレルギーやハラルなど、世界にはさまざまな食習慣があることを可愛いイラストとユニークなストーリーで紹介している。

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小麦を使わない唐揚げについて「グルテリンフリーっていうんだ。」「ニューヨークとかで はやってるんだよ。」「ぐ…ぐるてんふりー?おしゃれだね!」などと小麦粉の衣をまとった唐揚げと米粉(?)の衣をまとった唐揚げがおしゃべりしている。

 

ポジティヴな表現に救われた思いになった。

 

ナージャさんは「ナージャの5つのがっこう」という絵本も出版していて娘も「ナージャナージャ」と言ってこの本を気に入っている。ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、日本とそれぞれの学校での「あたりまえ」はバラバラで、自分の「あたりまえ」は他の国や他の人の「あたりまえ」ではなく、そもそも「あたりまえ」なんてないんだと気付かされる。むしろ、「あたりまえ」に縛られてはつまらないよねと思えてくる。

 

娘が成長してなお小麦アレルギーが治らなかったとしても、小麦アレルギーであることや人との違いに劣等感を持つことなく、食事を楽しんでもらえたら嬉しい。

ごはんの長時間保温禁止運動

先日、ある飲食店で定食を頼んだら、ごはんが黄色かった。

 

そして保温臭がしてごはん粒がダマになっていた。厨房を覗くと大きな保温ジャーからごはんをよそっていた。昼の開店時間に入店したのにこのごはんの状態ということは、おそらく昨日炊いたごはんではないだろうか。昨日炊いたごはんでないならば、今日の早朝に炊いたごはんかもしれない。いずれにしても長時間保温による劣化であることは間違いないように思う。「いつ炊いたごはんでしょうか?」と質問したかったが、感じが悪いのでやめておいた。

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食べ進めるのがあまりにもつらいので、「私はいま海外の日本食レストランにいる」と思うことにした。トルコの日本食レストランで食べたトルコ産短粒米の鯖の塩焼き定食もこんな感じの食感だった。ベトナム日本食レストランで食べたベトナム産日本米の鯖の塩焼き定食もこんな感じでさらにぐちゃりとしていた(同じ米を使った別の店は意外においしかったので炊き方や保温時間は重要すぎる)。タイの日本食レストランで食べたタイ産日本米もこんな感じだった。

「おいしい店」と聞いて食事に行き、たしかにおかずはおいしいがお米はおいしくないというパターンに出会うと、お米が添え物の立ち位置に思われているようで悲しくなる。

 

以前に鯖の味噌煮がおいしいと評判の店に行ったら、ごはんが今回と同様に変色してダマになっていた。昨日炊いたのかな…と思えた。その店の壁には「ごはんを残したら罰金」という内容の張り紙があり、たしかにごはんを残すことは良くないけど、ならば保温劣化したごはんを出すのはどうなんだろう。

 

先日、テレビ東京たけしのニッポンのミカタ!」という番組に出演させていただいた時、お米好きで知られるビートたけしさんが「店で料理がうまくてもごはんがまずいとガッカリする。料理がいまいちでもごはんがおいしいと満足」というようなことをおっしゃっていて、心の中で激しく同意した。

 

お米の消費拡大のためにはお米がおいしいことが重要だと改めて感じる。そのためには、まとめ炊きしての長時間保温はぜひやめてもらいたい。保温劣化したごはんはつらい。ごはんの長時間保温禁止運動を展開したいとマジメに思っている。

お米の精米年月日

お米の精米年月日の表示が変わり、スーパーで販売されているお米の精米年月日が軒並み「4月下旬」になっていた。

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食品ロス削減や物流の効率化という狙いは分かるけど、21日精米と31日精米では10日間も違う。実際にいまお米を買おうと思っても精米年月日が4月下旬の最初なのか4月下旬の最後なのか気になってしまう。31日なら6日の経過だけど、21日なら16日も経過している。

ちなみにバンコクの日本米専門店では、精米年月日+午前・午後まで記載していて、買い手としては「お米を丁寧に扱っているんだなあ」という安心感が得られた(しかも低温庫陳列!)

新しい表示はお米のおいしさとは逆行しているように思うのだけど、どうだろう。購入したお米が劣化していておいしくなかったらますます米離れにつながってしまうのでは…と心配でならない。

ミルキークイーンの可能性

どちらかと言うと低アミロース米が得意ではない。

 

もちろん好きな低アミロース米もある。個人的においしいと感じる低アミロース米は、やわらかくてもちもちしていながらも、しっかりとした粒張りがあって外硬内軟。

それでも、たくさんは食べられない。どっしりと重たいのでいつもより早くお腹いっぱいになってしまうのが残念でならない。

 

そして、毎日3食のごはんが低アミロース米だとつらい。以前にラオスに行った時、ごはんが毎日糯米で胸焼けがした。低アミロース米は糯米ほどではないが、あの感覚に近いものもある。

 

そういうわけで、日常のごはんで低アミロース米を食べる頻度は少ない。そして、おいしい低アミロース米は白飯だけでそのまま食べるのが一番だと思っている。味が濃くて主張が濃い低アミロース米はおかずとの相性が難しい。どんなおかずと食べてもちぐはぐさを感じてしまう。私だけかもしれないけど。

 

そうは言ってもお米は精米したら賞味期限は2週間ほどだと思っているので、たまにしか食べないとお米が劣化してしまう。今年の福島県猪苗代町「つちや農園」の低アミロース米「ミルキークイーン」はおいしかったが、冷蔵庫にまだ残っている。そこであっさりとした食味のお米に2割混ぜたり3割混ぜたりしてブレンド米を作ってみたら新しいおいしさが生まれた。

 

そんなわけでミルキークイーンがブレンド米要員になっていたのだけど、先日福島県沼尻温泉「沼尻高原ロッジ」で料理長をしている黒澤俊光さん(通称・親方)が、つちや農園のミルキークイーンで鯖棒鮨を作ってお裾分けを持ってきてくださった。

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鯖棒鮨は一般的な鮨と違ってお米がもっちりとしているのが特徴。傷みづらいように米粒の隙間から空気を抜いて作るらしい。過去に食べたことがある鯖棒鮨はたしかコシヒカリだった。低アミロース米の鯖棒鮨は未体験だったのでどんな味わいか非常に気になった。

 

さっそく食べてみると、思わず「な、熟鮓!」。軟らかいミルキークイーンで鯖棒鮨をこしらえると熟鮓のような食べ心地なるという驚きと感動。親方はやはりすごい。そしてお米はおもしろい。授乳中で日本酒が飲めないのがつらすぎた。

 

そして、親方はミルキークイーンでこしらえたいなりずしも持ってきてくれた。

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ミルキークイーンでいなりずし?!と驚いたけど、食べてみると、おこわのようにもちもちするのではなくてごはんが口の中で溶けていく。しかし、あまじょっぱさと粘りのためか、どこかおこわ感がある。ごはんに混ぜ込まれたひじきと大豆と白胡麻が合う。

 

基本的に弾力があって粒立ちが良いごはんが好きだけど、このいなりずしは、小ぶりなサイズ、稲荷とごはんの味、ごはんや大豆の食感のバランスが絶妙でとてもおいしかった。このバランスが少しでも違っていたら、もしかしたらいまひとつに感じられたかもしれない。

 

鯖棒鮨といなりずしにミルキークイーンを使ってみるという親方の腕とセンスはすごい。お米の新たな可能性を見つけるためには「攻めの姿勢」が大事なのだと学んだ。

目でお腹いっぱい

1歳8ヶ月の娘はときどき不思議な食べ方をする。

 

先日は煮たじゃがいもをいくつか皿に入れて出したら、じゃがいもを一つ一つ丁寧に皿から取り出してテーブルの上にポイポイと捨てていき、皿に一つだけ残したじゃがいもを食べていた。

 

別の日は、煮た厚揚げをいくつか皿に入れて出したら、厚揚げを一つ一つ丁寧に皿から取り出してテーブルの上にポイポイと捨てていき、皿に一つだけ残した厚揚げを食べていた。

 

たくさんあると目でお腹がいっぱいになってしまうのだろうか。

 

たしかに、鮨屋のカウンターで一つ一つ出される鮨を食べていくと、知らず知らずのうちに結構な量の鮨を食べることができるが、いっぺんに出されたら、もしかしたら食べきれないかもしれない。

 

ドカ盛りごはん1杯は食べられなくても、同じ量のごはんを2〜3個のおむすびにしたら食べられるという人も多いように思う。たとえふわりとむすんでいても、ごはんが少しずつコンパクトにまとまると量が少なく見えるのだろうか。

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最近はおむすびがお米の消費拡大の救世主であるような気がしている。