柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

ベジタリアンは野菜が好きか

夫はいわゆるラクベジタリアンだ。

肉と魚と卵を食べない。乳製品と蜂蜜は食べる。最近になって卵だけ解禁したが、肉と魚は一切食べない。

 

私は肉と乳製品が食べられないのでわが家では自然と肉と魚と乳製品がない食卓になった(たまに夫限定メニューでチーズを使ったり、私と娘限定メニューでツナやしらすを使うが)。

 

飛行機に乗る時も夫はヒンズーベジタリアンミールを選び、私はジャイナベジタリアンミールを選ぶ。海外のレストランで食事を選ぶ時はvegetableの項目から選ぶなど、とにかくvegetableを探す。

 

vegetableとは言うまでもなく野菜である。

しかし、先日、夫から衝撃の言葉を聞いた。

「野菜は好きじゃない」

ベジタリアンなのに野菜が好きじゃないの?と聞き返して、はっとした。

 

たしかに、「野菜が好き=ベジタリアン」ではないし、「動物性を食べない=野菜が好き」とは限らない。調べてみると、vegetablesと複数形になると「植物性」という意味だそうなので、「動物性を食べない=植物性を食べる」という意味かと納得。ベジタリアンと聞くと野菜ばかり食べているイメージがあったが、必ずしもそうではない。

 

夫は何が好きなのかと言えば、炭水化物。夕食に夫が大好きなライスコロッケを作った翌日は、弁当のおかずにライスコロッケを入れて、玄米を詰めて持っていく。つまり、ごはんのおかずがごはん。定食屋では焼きそばと白飯を注文して「焼きそば定食」を作り、焼きそばをおかずに白飯を食べている。夫はベジタリアンではなく「タンスイカブタリアン」なのだと思う。私も炊き込みごはんをおかずに白飯を食べることもあるので、似た者同士なのかもしれない。

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ちなみに1歳の娘は水をよく飲む。風呂の湯(未使用)も桶ですくってがぶがぶ飲むし、私の歯医者について来てもらった時は自動で注がれるコップの水を飲んでは注ぎ飲んでは注ぎ…と心配になるほどに飲み続ける。

 

わが家はお米と水があれば幸せなのでは…というのは冗談だけど、ちょっとだけ本気でそう感じることもある。

「ごはんのおとも」に合わないお米

「ごはんのおとも」は味付けが濃いものが多い。味付けが濃いほうがごはんが進むのはたしかにそうなのだけど、ごはんのおともは必ずしもすべてのごはんのおともではない。

 

先日、おいしいお米に出会った。食感が良く、特に旨味が濃い。咀嚼中に舌で旨みを感じるだけでなく、飲み込む時にも喉で旨味を感じ、飲み込んだ後も旨味の余韻が口の中に広がる。白飯だけで美味しい、まさにおかずいらずのお米だった。

 

白飯だけで食べ終わってしまいそうだったので、蕗味噌やツナピーマンなど「ごはんのおとも」「ごはんドロボー」とも言えるおかずにも手を伸ばしたのだけど、白飯の旨味が感じづらくなることを残念に感じるとともに、そう感じてしまってごめんなさいとごはんのおともたちに対して申し訳ない気持ちになった。そして、口中調味どころか、両者のダブルの旨味によってくどさを感じた。誰も幸せにならない組み合わせだと思った。

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ならば、ごはんのおともに合うごはんはおいしくないお米かと言えば、そういうわけでもない。ごはんのおともに合うお米は主張しすぎないお米がいい。おいしくないお米と主張しすぎないお米は違う。おいしくて主張しすぎないお米もある。ごはんのおともと相乗効果でおいしいお米ならば、ごはんもごはんのおともも私もみんなが幸せになる。

 

テレビやネットなどで「究極のごはんのおとも」として紹介されるものがあるけど、そのごはんのおともが合うごはんは主張しすぎないごはんのほうが良いとなると、主役はごはんなのか、ごはんのおともなのか、一体どちらなのか分からなくなる。

 

「究極のごはんのおとも」の特集があるならば、「究極にごはんのおともに合うお米」の特集があってもいいのではないだろうか。

うなぎの香りでごはんを食べる

アパートの階下からニンニクの香りが漂ってくることがある。それも頻繁に。どうやら階下の換気扇から出たニンニクの香りが、わが家の換気扇を通って入ってきているようだ。

 

私はニンニクがあまり好きではないので臭くてたまらない。一方で、「この香りでごはんが食べられそう」と言うニンニク好きの夫と話しているうちに、「そういえば、うなぎの香りでごはんを食べるという話があったよね」という話題になった(あとで調べたら「うなぎのかぎ賃」という小話だった)。

 

本当にうなぎの香りでごはんが食べられるのか。そして、どのお米がうなぎの香りに合うのか。ぜひ一度試してみたい。

 

うなぎの食感や味がわからないのにどうやって合うお米を探すのかと言われそうだけど、うなぎの香りの中にある甘さとか香ばしさなどの違いできっと食べたくなるお米も違うはず。

 

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とは言え、うなぎ屋の換気扇の下で炊飯するわけにはいかないので、自宅で炊いたごはんを弁当箱に詰めてうなぎ屋の換気扇の下に持参するしかないだろうか。でも、できれば炊き立てがいい。食べ比べに使うお米はうなぎのタレで誤魔化されないので、白飯で食べておいしいお米に限る。うなぎ屋によって香りが違うと思うので、できればハシゴもしたい。

 

しかしながら、うなぎ屋の換気扇の下でごはんを食べている自分を想像すると、なかなか行動に移す勇気が出ない。

乾燥する季節にごはんがうまく炊けなかったワケ

少し前に土鍋でごはんがうまく炊けなかったことがあった。炊けることは炊けるのだけど、どうもふっくらしない。お米によっては芯まで炊けていないものもある。冷めるとすぐに硬くなる。

 

弱火のタイミングのせいだろうか?蒸らし時間が足りないのだろうか?いろいろ考えてみたが、どれも違う。ふと、ガスの火が通常の青色ではなく赤色になっていることに気がついた。

 

インターネットで調べてみると、どうやら加湿器が原因のようだった。試しに加湿器を消して炊飯してみると、ガスの火は青くなり、問題なくごはんが炊き上がった。

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青色の火と赤色の火では温度が違うのだろうか?そこで、青色の火と赤色の火でそれぞれ強火で加熱したフライパンの同一点を放射温度計で計測してみた。すると、赤色の火は青色の火よりも30度ほど低かった。

 

とは言え、私の台所実験では正確かどうか心許ない。そこでガス会社と仕事をしている友人にお願いしてガス会社の社長さんに質問していただいた。すると、たしかに赤い火は青い火よりも温度が低くくなるとの回答だった。

 

それ以来、鍋で炊飯する少し前から加湿器を止めるようにしている。少しの温度差で炊き上がりが変わってしまうとは、炊飯はなんと繊細なんだろう。

 

ちなみに、愛用中の土鍋の蓋が壊れてしまい新しい蓋と交換していただいたところ、以前の蓋よりも安定感が生まれてうまく炊けるようになった。気のせいかなと思ったが、キッチンスケールで測ってみると蓋が43g重くなっていた。炊飯は本当に繊細だなあと思う。

飯糰を作ってみた

ついに作った「飯糰(ファントゥアン)」。

以前に「日本の油條は仙台名物の…」で書いておきながら、油麩を使った飯糰をまだ作っていなかった。

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本場とは具材の種類や量などが違うけど、これはこれでおいしい。

お米は群馬県藤岡市山口俊樹さん・あきらさんの「紅白もち米(玄米)」。油條の代わりに仙台名物・油麩。そして、煮卵。あとは、前日の晩ごはんで残ったおかず(このために濃いめの味付けにしておいたほうれん草の煮浸し、ごぼうの甘辛炒め)。本場は油條や煮卵やデンブや切干大根などが入っていたけど、今回はあり合わせ。飯糰というか飯糰風。

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残念ながら、油麩の食感は期待通りではなかった。糯米の熱気や具の水分でフカフカになってしまったのだ。やはりサクサク食感に油條は不可欠であった。油條はすごい。

 

2合の糯米で3本しかできなかったが、台湾の飯糰のようにもっと薄く敷けば4本はできたかも。ちなみに台湾の飯糰はもっと具材がたっぷりだった。台湾のお店の人は簡単そうに作っていたが、意外に難しい。

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台湾では白米の糯米で作った飯糰と、黒米(玄米)混じりの糯米で作った飯糰を食べたが、個人的にはプチプチ食感が楽しめる玄米糯米が好み。これを作るためだけに玄米糯米を常備したいとさえ思えた。基本的に糯米よりもうるち米が好きなのだけど、不思議なことに飯糰は「糯米だからこそおいしい」と感じる。糯米を薄く敷くからダマになりづらいし、重たくなりすぎないのかもしれない。

 

そして、何よりも飯糰の一番の魅力はこの大きさ。大きなおむすびを大口開けて食べる喜びを味わわせてくれる。これがもっと小さかったらそこまで魅力を感じない。日本のおむすびでも小さいおむすびを食べるよりも、大きなおむすびにかぶりつくほうがお腹も心も満たされる。「食べ方」もおいしさの一つなのだと改めて感じる。

窒素ガス充填米のおいしさはいつまで?

窒素ガス充填しているので精米日から6ヶ月以内はおいしく食べられる…とパッケージに書かれたお米を昨年9月にスーパーで購入しておいた。

 

そして、6ヶ月経過まであと少しになったのでついに2月15日に食べてみた。

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ふけていた(※)。生米の状態からすでに香りにふけ感があったので、念入りに研いだ。それでもやはりふけていた。炊き上がりは古米臭がして、ツヤはない。しゃもじがサクサク入り、ほぼ粘りがない。

(※「ふける」=劣化している)

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でも念入りに研いだおかげか、ふけているけど、精米日6ヶ月経過にしては“ふけ度合い”がそこまでひどくはない。窒素ガスが充填されていなかったらもっとひどかったかも。それでも白飯で食べるのはちょっとつらい。

 

窒素ガス充填は6ヶ月もたないけど、もしかしたら経過期間がもう少し短ければ「おいしく食べられる」のかもしれない。

 

翌日、同じスーパーで同じ商品が売っていて、精米年月日から1ヶ月経過していた。早速買って試してみた。

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まったくふけていなかった。常温なのにすごい。

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窒素ガス充填した場合は何ヶ月後からふけるのか気になる。いろいろ検索してみると、窒素ガス充填したお米の商品説明を見つけた。そこにはこう書かれていた。

 

「精米したての風味が保てるのは約3ヶ月。そこから徐々に風味は落ちていくのですが、6ヶ月くらいはおいしく召し上がれます」

 

「風味は落ちる」のに「おいしく召し上がることができる」のはなぜなのか。風味が落ちるのであればパッケージには「精米日から3ヶ月以内はおいしく食べられる」と表記すべきだろう。

 

お米の劣化速度は「保存環境+米質」によって変わる。つまり、その年によって劣化速度は変わる。また、精米前の玄米での保管状態、収穫から経過した日数なども劣化速度に関係してくる。そして、スーパーなど販売店舗では夜間は冷暖房を切る。そう考えると、夜間に気温が下がらない地域や年は劣化しやすい環境だと言えそうだ。

 

ただ、窒素ガス充填したお米がどれほど室温(気温)の影響を受けるのか分からない。同じお米で窒素ガス充填したものとしないものを比べることができればいいけど、窒素ガス充填機を持っていない。

 

いずれにしてもお米の劣化速度は保存環境と米質によって違うことを思うと、日本のお米のパッケージに消味期限ではなく精米年月日が記載されている所以がよく分かる。

 

窒素ガス充填された1月15日精米のお米は本当に「3ヶ月は精米したての風味が保たれる」のかどうか。4月上旬に炊飯してみるつもりだ。

実験はゆるやかに続く。

仏事めし「白ふかし」

おむすびを買いに郡山市「たけや」を再訪したが、13時過ぎでほぼ完売。目当てのおむすびが買えず残念だったけど、大豆のような豆が混ざったおむすびを発見した。2月だから節分にちなんで豆ごはんだなと踏んだが、違った。

 

「白ふかしです」と店員の女性は教えてくれた。「白ふかしって何ですか?」と尋ねると、「仏用の赤飯です」と教えてくれた。

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左の3つが「たけや」の「白ふかし」。ちなみに右は「わかめごはん」

夫はどういうわけか、葬式まんじゅうや「黒飯」など葬式だけでしか食べられないものが好きらしい。私もどういうわけか、赤飯よりも黒飯が好きだ。ちなみに黒飯とは小豆やささげを糯米と一緒に蒸した米料理。赤飯と違って豆の煮汁を使わないのでごはん粒が赤く染まらない(過去に書いた「葬式まんじゅうと黒飯」)。

 たけやに白ふかしがあったということはどこかで不幸があったからかもしれず、喜んでいいのか分からないけど、〝仏事飯〟が好きなわれわれ夫婦は喜んで白ふかしを買った。

 

食べてみると、しっとり軟らかい糯米のおこわにほくほくと粉質の白いんげん豆が混ざっている。米粒がうっすらと黄色味がかっているのは白いんげん豆の煮汁なのかもしれないけど、豆感が強いわけでもなく、非常に素朴な味わい。おむすびの側面には白ゴマがパラパラとかけられている。

 

私が住んでいる町では仏事で黒飯を食べるが、隣接する地域でまったく違う仏事飯があることに驚いた。ヨメに来る前は黒飯の存在すら知らなかった。

 

ちなみに、赤飯は黒ゴマのゴマ塩だけど、白ぶかしは白ゴマらしい。黒飯は何ゴマをかけたかなあと思って調べてみたら、そもそも小豆やささげではなく黒豆を使った黒飯もあるらしく、その黒飯には紅生姜を添える場合もあるそうで驚いた。

 

最近はコンビニやスーパーが季節行事ごとに行事にちなんだ商品を売り出すこともあり、華やかな場の料理は作られ食べられ認知されやすいように思うけど、仏事に食べられる料理は仕出しのオードブルや寿司などに追いやられ、また、仏事飯を仏事以外の時に食べるのは縁起が悪いように感じられるのか、なかなか作られたり食べられたりする機会が少ない。

 

そして、赤飯は祝い事に関係なく販売しているおむすび屋や惣菜屋があるように、また、デパ地下のケーキは誰かの誕生日でなくても売れるように、華やかな場の料理は意外と日常になじんでいる。

 

日本各地の仏事飯(お米料理)を調べてみたら地域性が見えて、きっとおもしろいに違いない(と言ったら不謹慎だろうか)。