柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

米粉パンに思うこと

「米粉パン」は日本ならではのパンなのかなあと思っていたら、「かつてのラオスのバゲットにも米粉が混ざっていた」と、稲に詳しい農学者の佐藤洋一郎さんが教えてくれた。日本はうるち米の粉だけど、ラオスは糯米の粉。ラオスの糯米粉バゲットはもっちりとしていたそうだ。

 

ラオスは元フランス領だったことを思うと、食文化の融合の1つのカタチなのだと想像できる。

 

日本に話を戻すと、米粉パンが「米の消費拡大の一環」と言われることに疑問を感じずにはいられない。

 

たとえ原材料にどれだけ米が使われていても、結局は「ごはん食」ではなく「パン食」の普及を推進することにつながる。主食に「ごはん」ではなく「米粉パン」を持って来るというのは本末転倒な気がする。

 

米離れが進む中で、米粉パンやグルテンフリーパンがどれほど米の消費を拡大するのだろうか??

 

むしろ、パンの食習慣がつかないだろうか。米粉パンが米離れの救世主であるという見方は、目の前にある米という食材を見ていても、食文化という全体が見えなくなっているように思う。

 

米離れが進んだ要因には、核家族や共働き世帯の増加、主食の多様化、食の欧米化など、ライフスタイルの変化がある。だからこそ、食卓は食材そのものだけでなく、暮らし全体で見なくてはならない。そうでないと、将来的には米の消費アップに逆効果になってしまうことだってある。

 

「生きた教材として活用した食育の推進」をうたう学校給食は米飯給食が基本であるべきだと思う。