柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

いつまで続くパン給食? 主食を海外に依存するということ

12日に発表された2023年産米の作況指数(確定値)の全国平均は「平年並み」だったが、都道府県生産量上位の新潟県をはじめ、北陸地方の平均は「やや不良」だった。秋田県は豪雨の影響もあったが、全体的に猛暑の影響が品質・収量ともに出た。

報道では白濁した米粒が多いと言われているが、それだけでなく、米粒の外側が柔らかく精米時の歩留まりが悪いという米屋の声も聞こえてくる。通常は30kgの玄米を精米すると27kgの白米になるのが平均的だが、「今年は精米で25kgを切ることもある」という米屋もいた。カメムシ被害なども多い傾向があり、色彩選別機にかけると大量に抜けてしまうという。

個人的な感覚では、特にお米の背側(白米の突起側の側面)がくっきりと白濁しているお米に出会うことが比較的多いように感じている。また、例年は基部(白米の突起部)が白濁しているお米に出会うことは少なかったが、今年はすでに何度か目にした。いずれもお米の登熟時の高温などが原因と言われていて、白濁して見えるのはじゅうぶんなデンプンが貯まらず空隙ができることで光が乱反射するためだ。つまり、デンプンの詰まり方が粗いので、咀嚼するとざらつきを感じやすい。他にも、ごはん粒の外側が溶けてべたついたり、炊飯後に硬化しやすかったりと、食感にも影響が出ているお米が多いと感じる。

12月初旬に新潟県・津南町で、日本最大規模のお米のコンクール「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」が開かれ、審査員を務めた。花形部門の「国際総合部門」のノミネート米は宇都宮大学で生まれた「ゆうだい21」が多い一方で、例年のノミネート米の8割以上を占めていた「コシヒカリ」は半減したと聞いた。「ゆうだい21」は味度値(米粒の外側の保水膜の厚さをあらわす数値)が高く出やすいので、コンクールの“ノミネート請負米”としてコンクールランカーから注目されている。そうした理由でノミネート米に「ゆうだい21」が増えたのかと思っていたが、「低温と日照不足には弱いが高温には強い」(宇都宮大学農学部)という「ゆうだい21」の栽培特性が影響している側面もあるのかもしれない。

■お米は工業製品ではない

私は2017年に稲作農家の夫と結婚して福島県会津地方に住み始めたが、移住してから天候に恵まれた年が一度もなかった。

2017年は遅延型冷害で、2018年は時期によって低温と高温に悩まされた。2019年は台風で、2020年は猛暑。2021年は夏が暑くて盆明け寒く、2022年は秋の気候は良かったが夏は猛暑。そして2023年の今年も猛暑。2024年こそは天候に恵まれると良いのだが、こればかりはどうにもならない。

お米はいつでもあると思われているが、自然環境に左右される農業においては不測の事態は当然起こりうる。主食の多様化や糖質制限食などによってお米の消費が減少し続け、需給調整によって生産量も減り続けているが、温暖化や異常気象が続くなか、ある年に収穫量が激減する可能性は大いにある。輸入している小麦の生産国だって、いつ天候悪化や自然災害などによって収穫量が激減するかわからない。主食の確保は国防と言えるだろう。

■学校給食は“生きた教材”

こうした米離れの要因の一つに、戦後の「栄養改善運動」があるのはご存知だろうか。簡単に言うと、“米食推進運動”ならぬ“米国食推進運動”。つまり、アメリカの食文化を理想とした輸入ありきの“粉食奨励運動”で、当時の世論はことごとく米食を否定した。

こうした歴史を知ると、現代の「お米を食べると太る」といった主張の背後に戦後の栄養教育の怨念のようなものが見えてくるが、お米の消費減と米国型の食習慣の定着によって、生活習慣病が増えているのは周知の通りだ。

お米を主食とした食習慣の形成は、健康の保持やお米の消費拡大にとって大きな意味を持つと言っていい。農水省は「米飯学校給食は、味覚を育む子どもたちに米を中心とした日本型食生活の普及・定着を測る上で重要」として、文科省と連携して米飯給食の推進している。すべての献立の主食を米飯にしている学校は増えてきているが、週1〜2回はパンや麺を提供し続けている学校もある。

文科省が掲げる「食育の生きた教材となる学校給食」なのであれば、家庭でパン食が増えている中、せめて学校給食はすべて米飯給食にする時代だろう。戦後の食糧難で子どもたちの栄養状態が悪化した時代と、子どもの生活習慣病が問題となっている現代では、給食の役割が変化していることは明白だ。

■米粉パンはパンの食習慣につながる

過去に給食の米飯回数を増やせない理由として複数の自治体から聞いたのは「パン業者との兼ね合い」「同じパン・炊飯業者に委託している周辺自治体との兼ね合い」「米飯時は調理員を1人増員しなければならない」「献立にバラエティがないと子どもたちがかわいそう」「子どもたちはパンを楽しみにしている」などだった。

一方で、首長みずからパン業者に出向いて「子どもたちの健康にとっての給食の意義」を説き、パン業者も納得した上で、すべての給食を米飯にしたという新潟県三条市のような事例もある。「子どもたちに完全米飯の是非を問うアンケートを取れ」という議会の意見に対しては当時の市長が「子どもに算数や理科の授業は今のまま続けていいかどうかを聞くのか」「子どもが算数の授業を減らせと言ったら減らすのか」と突っぱねた。要は、子どもの健康に対する自治体の本気度の違いだ。

最近は「米粉パン」を給食で提供している自治体もある。農水省はお米の需給の安定に向けて、値上がりが続く小麦粉の代わりに米粉を使ったパンなど商品開発の支援事業を行なっている。

だが、パンはパンである。米粉パンを食べ続けた人は、ごはんではなくパンの食習慣がつくだろう。原料が小麦粉だろうとお米だろうと、パンにバターやジャムを塗ったり、サラダやシチューと一緒に食べたりと、その食習慣は紛れもなくパンである。まさか給食で米粉パンを「米飯」としてカウントしている自治体はないと思いたいが、米粉パンは原料にお米が使われていても、言わずもがな米飯とは別物だ。

■学校給食はお米を主食に

今後、輸入小麦が安くなった場合、米粉パンを食べていた人は小麦パンに移っていくだろう。パンの食習慣に慣れることで、炊飯離れにもつながり、米離れは加速していく。目の前のお米を米粉パンとして消費することだけを見るのではなく、食習慣の形成という長い目で見なければ、よかれと思ってやったことがむしろお米の消費をますます減らしてしまうことにつながる。「学校給食でのパンの常食」と「米離れの加速」は、決して無関係ではないはずだ。

貧困問題とは分けて考える必要があるが、子どもたちが食事をするのは給食だけではない。パンが食べたければ各家庭の判断のもと自宅で食べたらいいし、これだけ米離れが進んでいるのだからすでに常食しているだろう。そうした現場だからこそ、「食育の生きた教材となる学校給食」では、「味覚を育む子どもたちに米を中心とした日本型食生活」を提供すべきだと感じる。

戦後の短期間で食生活が急速に変化したことで、人々の健康や食料の安全保障などに問題が起こっている。今こそ、お米の価値を見直すべき時期だ。お米の消費を拡大して、国内向けのお米の生産力を上げるためには、まずは学校給食の完全米飯化が欠かせない。