柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

お米と日本酒は似ている・その2

先日、お燗と料理のペアリングが楽しめる「高崎のおかん」で食事をして、お燗と炊飯が似ていることに気づいた。

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店主の高崎丈さんが燗をつけると、冷酒や冷やで飲むときとは味わいが変わる。どの温度までどうやって上げていくか。燗のつけ方が味わいを左右するのは、炊飯の仕方が味わいを左右するお米と似ている。お米を生かすも殺すも炊飯次第であり、燗酒を生かすも殺すも燗のつけ方次第。

さらに、「おいしい燗酒は冷めてもおいしい」という丈さんの言葉が「おいしいお米は冷めてもおいしい」という言葉に脳内変換された。

燗酒を飲んでホッとするのは、単に温かい飲み物だからというだけでなく、お米でできた日本酒に火を入れて燗につけることが、温度は違えども、どこかお米に火を入れて炊くことにつながるからなのかもしれない。

掘るほどに出てくるお米の魅力、まずは思いつくままに〜私はお米に救われてきた〜

ウクライナ侵攻の影響で資源や食料価格が高騰している。日本では近年、お米の消費量が減り続けているが、小麦価格の高騰を受けて米食を見直そうという声もある。お米は身近な存在すぎるがゆえ、なかなかその魅力に気づきにくいが、これを機にお米の魅力を掘り下げてみてはどうだろう。

ごはんがおいしかった思い出、ごはんを食べてほっとした思い出、ごはんに救われた思い出は、多かれ少なかれ、きっと誰もが記憶の奥底に持っているのではないだいだろうか。

以前に兵庫県の「お米・ごはん推進フォーラム」で講演した際、県職員から1 月17日は「おむすびの日」だと教えてもらった。同県の「おいしいごはんを食べ よう県⺠運動」によると、「阪神・淡路大震災の際、多くの被災者に希望とぬく もりを与えてくれたのがおむすびの炊き出しだった」。私は被災経験がないが、 おむすびや炊きたてのごはんを食べてほっとするという気持ちがなんとなく分か るのは、やはりお米は日本人のDNAだからなのかもしれない。

■摂食障害でもお米だけは食べられた

新聞記者時代、入社してすぐ警察担当になり、繁華街に近い警察署の近所で人 生初の一人暮らしを始め、慣れない生活にいつも気持ちが張りつめていた時は、 定食屋の白飯に助けられた。原稿を出稿後、夜遅くから日付が変わるころまで担 当の警察署を回る「夜回り」に出るのだが、その前に定食屋で白飯と味噌汁と焼 き魚を食べてお腹と心を満たしたおかげで、なんとか気持ちが折れずに踏ん張れ ていたように思う。災害時に限らず、心身が弱っている状態のときは、「やっぱ りごはんだよなあ」と感じるのは私だけではないだろう。

私の場合、記者生活を送るうちに、入社前から無自覚のうちに発症していた摂 食障害が少しずつ悪化していき、ついには強迫神経症(強迫性障害)の診断も受 け、あらゆる食品を食べなくなった。調味料全般をとるのが怖くなり、一粒の塩 すら受け付けなくなった。「自分を浄化したい」という観念にとらわれていた。

しかし、お米は水だけで炊けるクリーンなエネルギーであり、日本で脈々と食 べつがれてきた主食だと思うと、妙な安心感があって食べられた。外食時は白飯 を注文して、おむすび店では「塩むすびの塩抜き」という奇妙な注文をしてい た。「お米に味がない」なんて誰が言ったのか。お米とちゃんと向き合うと、程 よい粘りのあるごはんを噛みしめるごとに旨みや甘さが感じられる。冷めてから のほうが味や食感はわかりやすいが、炊きたてはその香りや風味がおいしい。コ ンビニのおむすびは食べられないので、遠方取材の時にはパソコンや一眼レフカ メラと一緒に真空パックの餅と登山用バーナーを持ち歩き、駐車場や公園の片隅 で焼いて食べていたこともあった。

心療内科医からは「摂食障害患者は炭水化物を避ける傾向があるのにお米が食 べられるのはめずらしい」と言われたが、お米のおかげで命が救われたと言って もおおげさではない。顔は⻘白く、ほお骨が出るほどほおがこけ、手首と二の腕 の太さが同サイズになり、脂肪がなさすぎて座っていても寝ていても骨が痛むほ どにやせてしまい、それでもなんとか死なずに済んだのは、お米を食べていたか らに他ならない。

■「お米はお腹が落ち着く」という効用

お米は味わいそのものが安心感につながっていることに加え、お腹の落ち着き もまた安心感につながっているように思う。摂食障害に苦しんでいた当時は満腹 感を嫌悪していた時期もあったが、あれこれ食べられるようになった今では、1 日3食お米でお腹を満たすことに安らぎを覚える。飲みに行くと、最後はお米で 締めないとお腹も心も落ち着かない。

お米でお腹を落ち着かせることには、こんな利点もある。懐石料理の前半に少 量の寿司などが出される「おしのぎ」は空腹をしのぐことでアルコールの吸収を やわらげる意図があるそうで、先人は流石だとうならされる。たしかに最初に少 しのお米をお腹に入れておくだけで、多少飲み過ぎてしまっても悪酔いしない。 ついでに言うと、私の場合は食べ始めからすでに締めのごはんが気になってソワ ソワしてしまうので、最初に少しのお米を口にすることで心を落ち着かせるとい う作用もある。

■米食悲願だったのに減少し続ける消費量

過去には誰もがお米を満足に食べられたわけではなく、⻑きにわたって日本人 は白飯が毎日食べられることを悲願し続けてきた「米食悲願⺠族」だったと言わ れているが、高度経済成⻑以降に日本全体で国内米の自給が実現してようやくそ の悲願が達成されると、皮肉にもお米の消費量は減少の一途をたどり始め、現在 もなお減少し続けている。主食の多様化、人口減少、糖質制限食ブームなど、さ まざまな要因はあるが、炊飯の手間、世帯員数の減少も要因の一つだろう。

農水省の資料でお米の消費量の内訳を見ると、1985年は家庭内食が84.8%、 中食・外食が15.2%だったが、2020年には家庭内食が69.2%と減る一方で、内 食・外食が30.8%と増えた。家庭で食べる場合、パンはもともと作らずに購入す る人がほとんどだが、お米は炊飯時に計量や洗米などの手間がかかる他、「少量 炊飯してもなお食べきれない」などの理由で避けられているという面もある。

それでも、私たちがお米の魅力に気づき、その魅力を余すことなく堪能するこ とができれば、ここまで消費量が減ることはなかったはずだ。

■サバ定食とサバサンド

近年は海外で日本のOMUSUBIやONIGIRIが人気だ。日本の価値は日本にいる となかなか気づけないものなのかもしれない。だからこそ、おむすびに限らず日 本のものが海外で人気になった後に日本でブームになるという“逆輸入”のような ケースが多いのだろう。

たしかに海外で異文化に触れ、外から日本を客観的に見ることで、日本の価値 に気づける機会は多い。以前にトルコのイスタンブールで日本食が食べられるレ ストランへ行った。焼き塩サバ定食を注文したが、出てきたごはんはパサパサと していて舌触りがザラザラ。形状は日本の短粒米に似ていたが、店員に尋ねると トルコ産のお米だった。一方で、別の店に行って焼いたサバとトマトとレタスを パンで挟んだ「サバサンド」を食べてみると、それまでの「サバにはお米だ!」 という確固とした想定が覆った。程よく油がのったサバとさっぱりとしたトマト の相性が抜群で、サバに塩気はないが、パンのわずかな塩気との相性がちょうど いい。

パンがおいしいトルコではサバにはパン、お米がおいしい日本ではサバにはご はんというふうに、それぞれの国のおいしい食べものに合った食べ方があるのだ と思い知った。定食のメインは「焼き塩サバ」や「肉野菜炒め」や「唐揚げ」な ど主菜がメインのようにとらえられがちだが、定食の立役者はズバリお米。定食 がおいしいのはお米がおいしいおかげなのである。

■パンやパスタでもなく、パエリアやビリヤニでもなく

海外に行かずとも、海外のお米や米食文化と比較すると、日本のお米の味わい 方に希少さを感じる。海外のお米料理は全般的に、お米にスープやソースやスパ イスや油脂類や塩などを入れて調理するのが基本で、日本のようにシンプルに水 だけで炊飯するという国は少ない。

たとえ白飯で食べる国でもおかずやカレーをかけたり混ぜ合わせたりする場合 がほとんどで、おかずと白飯を交互に食べたり塩むすびでお米を味わうことは希 有な食文化だと言えるだろう。

特に心身が疲弊している時に食べてほっとする主食が、パンやパスタでもな く、パエリアやビリヤニでもなく、やはり白飯やおむすびだと感じるのは、お米 が日本人のDNAであるゆえんだと思わずにいられない。

日本の米食文化は白飯文化なのだと意識すると、改めて炊きたての白飯をほお ばったり塩むすびを噛みしめたくなったりするのは、きっと私だけではないは ず。お米は「あって当たり前」になりすぎて、その魅力や価値やありがたみにな かなか気づけないが、失った時、きっとその存在の大きさを痛感するだろう。家 族や夫婦も然り。日頃からその魅力や価値やありがたみを再確認して、常に愛を 向けるようにしていたいものである。

■おまけ 美味しい白米の炊き方

最後になるが、お米ライターとしての経験から現時点までに導き出した、おい しい白飯を炊くためのポイント7カ条をお伝えしておこう。

おいしい白飯を炊くためのポイント7カ条

(1)購入後は冷蔵庫へ 購入後はすぐに密閉容器に入れて冷蔵庫へ。精米 されたお米は保存食品ではなく生鮮食品。お米が劣化してしまってはどん なにおいしく炊いてもいまひとつの味わいになってしまう。2週間ほどで食 べ切れる量を購入すると最後までおいしく食べられる。

(2)優しく洗う 計量したお米を手早く優しくなでるように洗う。お米は 割れ物!

(3)吸水は最低2時間 お米を洗ったら、ボウルやタッパーなどにお米と 計量した水を入れてふたをして冷蔵庫の中で2時間以上吸水させる。夕食用 のお米は出勤前に仕込んでおき、翌日の朝食用・弁当用のお米は前日夜に 仕込んでおくと便利。低温でじっくり吸水させることで、米粒のすみずみ まで水が行き渡る。水は熱伝導の役割を果たすので、芯からふっくら炊く ことができる。

(4)水は替えない 冷蔵庫から出したら水を変えずにそのまま炊く。水に 流れ出たお米のでんぷんや旨み成分を捨てずにごはんに吸わせることがで きる。

(5)炊飯器なら早炊きモード 鍋、あるいは、炊飯器の早炊きモードがお すすめ。お米のポテンシャルが出やすい。

(6)蒸らしてほぐす 炊きあがったらそのまま10分ほど蒸らしてから、 ふたをあけてしゃもじでごはんをほぐす。このひと手間で、ごはん粒に しっかりと熱を入れて、余分な水分を飛ばして、炊きムラを均一にする。 特にほぐしは軽んじられがちだが、必須の行程。

(7) ふわりとよそう 茶碗にごはんをよそう時は、アイスクリームを コーンにのせるようにしゃもじを返すのではなく、しゃもじに面したごは ん部分が茶碗の底側におさまるように、しゃもじをそっとスライドさせて よそう。ふわりとよそうことでごはん粒がつぶれにくいし、何よりもおい しそうに見える。意外と重要なポイント。

(朝日新聞社「web論座」掲載/文責:柏木智帆)

 

お米と日本酒は似ている・その1

『精米したて』は本当においしい?」でも書いたが、お米は精米当日よりも、精米から5日くらい経ってからのほうがおいしいと思っている。

最近は日本酒でも、同様に開栓当日よりも、数日経ってからのほうがおいしいと思えるものにいくつも出会い、日本酒の原料はお米であるとは言え、お米と日本酒は似ているなあと思うことが多くなった。

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先日、料理と燗酒のペアリングが楽しめる東京都目黒区「高崎のおかん」店主の高崎丈さんが、会津地方に来たときに義兄と夫がお米を作っている「つちや農園」にも立ち寄ってくれた。

そのときに、「お米は新米時よりも年明けから味がのってくるものが多い。でも、新米時がおいしさのピークのお米もあれば、1年経って味が濃くなるお米もある(もちろん玄米や籾のまま冷蔵貯蔵)」というお話をしたところ、後日再会したときに「開栓したてがおいしいお酒と、開栓してから味が上がっていくお酒がある。お米のピークもお酒のピークもそれぞれなんですね」と丈さんが言っていて、お互いに「おもしろいですね」「おもしろいですね」と頷きあった。

お米と日本酒も経時変化を含めて味わうことができたら楽しみの幅がもっと増えていきそうだな。

夏休みにおばあちゃんちで食べた朝ごはん

ごはんがおいしかった記憶を遡っていくと、小学生の頃の夏休みに信州の母の実家で食べた朝食を思い出す。

当時住んでいた関東の家に比べて朝は涼しく、網戸からは気持ちのいい風が入ってきた。祖母が用意してくれた子ども用の小さな平たい茶碗によそられた炊きたてのごはんはツヤツヤピカピカに光り輝いていて、食べる前からおいしそうなごはんの香りが漂っていた。祖母の家ではごはんを焼き海苔で巻いて醤油をちょっとつけて食べるのが定番だったが、白飯のままでも充分においしいごはんだった。

ちなみに姉の記憶では味海苔だったそうで、母に聞くと、味海苔と焼き海苔の両方が食卓にあったそうな。

子どもの頃は今と違って食べることは好きではなかったのに、その朝食のごはんは覚えている。網戸の向こうには隣の田んぼが見え、夜になるとカエルの大合唱が始まり、網戸にペタペタとカエルが張り付いてきた。私のお米好きは、もしかしたらこの頃から始まっていたのかもしれない。

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こどもの頃のおいしかった記憶というのは、大人になっても残り続ける。なぜなら、この朝食で食べた味噌汁にはナスとじゃがいもが入っていて、私は今でもナスとじゃがいもの味噌汁が好きだ。外食でナスとじゃがいもの味噌汁に出会う機会はめったにないが、もしも出会ったらたちまちその店のファンになってしまうだろう。

そして、私が今でも求め続けている理想の茶碗の形は、この朝食で使っていた子ども用の小さな平たい茶碗。白い磁器に何かのキャラクターが書かれていたが、何のキャラクターだったのか覚えていない。求め続けている茶碗はキャラクター付きの茶碗というわけではなく、子ども用とはいかずとも大きすぎないサイズで平たい茶碗。これが探してもなかなかない。

基本的に皿は磁器よりも陶器と漆器が好きで、自宅では小鹿田焼の陶器と会津漆器の茶椀を愛用している。でも、茶碗だけは磁器に理想の姿を求めている。

惜しかったのは、「白山陶器」の平茶碗。まさに祖母の家では使っていた茶碗はこんな形状だった。これがもう少し小さかったら理想の茶碗にドンピシャリなのだが、残念ながら少し大きすぎる(しかし好みの形状なので1つだけ愛用)。

先日、田んぼの目の前に引っ越したので、理想の茶碗を手に入れたら、ごはんを炊いて、ナスとじゃがいもの味噌汁と焼き海苔を用意して、田んぼを見ながら朝ごはんを食べたい。

ちなみに、なぜ祖母の家のごはんはおいしかったのだろうと考えていたが、お米のおいしさだけでなく、水の冷たさが一つの理由であるのではと思い始めた。祖母の家は朝晩涼しく、夏でも水道の水が冷たくて、手を洗うときはいつも「つめたーい!」と言っていた記憶がある。夏でも冷たい水でお米を洗い、冷たい水をお米に吸水させることで、お米の組織の隅々までゆっくりと水が浸透していく。水は熱伝導の役割を果たすため、お米の芯まで水が入っていれば、芯まで火が入ってふっくらと炊き上げることができる。

海外の料理でも、ちょっと変わった料理でも、足を伸ばしてお金を払えば食べたいものは食べに行ける時代だが、祖母は亡くなってしまったし、祖母の家は売りに出されて知らない人が住んでいるし、隣の田んぼは農地転用されて家が建っているし、もうあの朝食は二度と食べられない。私は白飯を食べながら、どこかであの朝食の白飯の香りやツヤや食感や味わいを求めているように思う。

シャケとマシュ

焼き鮭が好きなのでスーパーでいつも塩鮭を買おうとするが、どれも原材料に酸化防止剤とかpH調整剤など、鮭と塩以外のものが使われている塩鮭ばかりなので買わずに店を出る。塩鮭は酸化防止剤やpH調整剤がないと成り立たないものなのだろうかと絶望していたら、塩鮭の近くに「塩鱒(しおマス)」を見つけた。

鱒は鮭よりも赤みが薄いピンク色の身なので、見た目は鮭っぽい。原材料を見ると、鱒と塩だけというシンプルさ。迷わず購入して2歳の娘のお弁当のおかずにした。

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お弁当を完食して帰宅した娘は鱒とは知らずに「おいしかったね、サケ」と言っていた。

私も娘のお弁当作りで余った焼き塩鱒を昼食で食べたのだが、鮭よりも脂が少なくさっぱりとしていながらも、パサパサしているわけでもなく、しっとりとした身でおいしかった。

そういえば実家に住んでいた頃、信州出身の母は帰省するとスーパーで塩鱒を買ってきて、自宅で焼いてくれていた。しかし、実家周辺のスーパーで鱒はなかなか見かけない。

鮭に似た見た目で味も良いのに、なぜ鱒はどちらかというとマイナー魚なのだろう。鱒は、スーパーの魚コーナーで一番面積の広い鮭の売り場の一角に数点置いてあるだけだった。

単純に流通量の違いという理由は置いておいて、たしかに切り身の形は鱒よりも鮭のほうがかわいい。

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あと、鮭がズルいのは「しゃけ」の呼び名だ。なぜ鮭は「しゃけ」と呼ばれているんだろう。

東京・代田橋に「しゃけスタンド」という、おいしいしゃけが食べられる立ち飲み屋があり、都内に住んでいた時は何度か飲みに行っていた。佇まいや料理など、グッとくるポイントが満載のお店なのだけど、やはり「しゃけスタンド」という名前のつかみは大きい。しゃけ定食が食べられる隣の店「しゃけ小島」も名前のつかみは大きい(以前に飲みに行ったとき、茄子の甘味噌焼きがおいしすぎて「なす小島」と呼びたくなった)。

ならば、鱒も「ましゅ」と呼べばいいかと言えば、残念ながら、当然ながら、そういうわけでもない。そして、「ますスタンド」「マス小島」と言われてもしっくり来ない。

焼き塩鱒のおいしさを噛みしめながらも、近所のスーパーの塩鮭の添加物が気になりながらも、やはり鮭は偉大だと認めざるを得ない。

おいしいごはんのおとも・その2

都内に住んでいたとき、有楽町駅前の交通会館に通い詰めたことがあった。目当ては北海道のアンテナショップ「どさんこプラザ」に売っていた山わさび(ホースラディッシュ)。すりおろして白飯にのせて醤油をひとたらしするだけであっという間にごはんがなくなった。特に気に入っていたのは、すりおろした山わさびを納豆に混ぜて醤油で味付けして白飯にのせる食べ方。病みつきになったが生モノなので買い置きできず、山わさびがなくなりそうになるたびに買いに行っていたのだ。

数年前に会津地方に移住してからは山わさびに出会う機会がなくなり、インターネットで山わさびを探していた時に出会ったのが北海道札幌市「トヤマ」の「山わさび白醤油漬け」という、北海道十勝産山わさびを白醤油に漬けた瓶詰め。鼻にツンと来る辛味に加え、白醤油の甘味と塩味が絶妙で、白飯があっという間になくなる。

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生の山わさびと同様に白飯にのせるだけでもおいしいし、納豆に混ぜてもおいしい。先日はおいしい刺身こんにゃくを買ったので醤油とわさびの代わりに山わさび白醤油漬けをのせて食べたらこれもまたおいしかった。

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北海道といえば東川町「平田こうじ店」の「たまり汁」という、熟成した味噌を樽から取り出した際の残り汁が絶品。すりおろした生わさびをこのたまり汁に漬けた「山わさびたまり汁漬け」という商品があったらいいなと妄想している。

米言葉

近所の花屋でスカビオサという花を買った。

小さい花瓶の場合は、花を下に、つぼみを上にして活けるといいと教えてもらったので、その通りにしたら可愛くなった。

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お米も「このお米は浸漬時間少し長めで」とか、「こってりおかずよりもあっさり和食が合う」とか、購入時に一言あるだけで楽しみ方が変わったり増えたりするよなあと改めて感じる。
スカビオサ」をググったら、花言葉は「風情」「魅力」と出てきた。

花言葉って誰が作ったんだろうとググったら、19世紀の西欧社会で盛んだったが紀元は不明な点が多いとWikipediaに書いてあった。
ならば「米言葉」ってないのかなあとググったら、なかった。

コシヒカリの米言葉は「偶然と必然」とか、ひとめぼれの米言葉は「刹那」とか、そんな楽しみ方があってもおもしろいように思う。