柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

うなぎの香りでごはんを食べる

アパートの階下からニンニクの香りが漂ってくることがある。それも頻繁に。どうやら階下の換気扇から出たニンニクの香りが、わが家の換気扇を通って入ってきているようだ。

 

私はニンニクがあまり好きではないので臭くてたまらない。一方で、「この香りでごはんが食べられそう」と言うニンニク好きの夫と話しているうちに、「そういえば、うなぎの香りでごはんを食べるという話があったよね」という話題になった(あとで調べたら「うなぎのかぎ賃」という小話だった)。

 

本当にうなぎの香りでごはんが食べられるのか。そして、どのお米がうなぎの香りに合うのか。ぜひ一度試してみたい。

 

うなぎの食感や味がわからないのにどうやって合うお米を探すのかと言われそうだけど、うなぎの香りの中にある甘さとか香ばしさなどの違いできっと食べたくなるお米も違うはず。

 

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とは言え、うなぎ屋の換気扇の下で炊飯するわけにはいかないので、自宅で炊いたごはんを弁当箱に詰めてうなぎ屋の換気扇の下に持参するしかないだろうか。でも、できれば炊き立てがいい。食べ比べに使うお米はうなぎのタレで誤魔化されないので、白飯で食べておいしいお米に限る。うなぎ屋によって香りが違うと思うので、できればハシゴもしたい。

 

しかしながら、うなぎ屋の換気扇の下でごはんを食べている自分を想像すると、なかなか行動に移す勇気が出ない。

乾燥する季節にごはんがうまく炊けなかったワケ

少し前に土鍋でごはんがうまく炊けなかったことがあった。炊けることは炊けるのだけど、どうもふっくらしない。お米によっては芯まで炊けていないものもある。冷めるとすぐに硬くなる。

 

弱火のタイミングのせいだろうか?蒸らし時間が足りないのだろうか?いろいろ考えてみたが、どれも違う。ふと、ガスの火が通常の青色ではなく赤色になっていることに気がついた。

 

インターネットで調べてみると、どうやら加湿器が原因のようだった。試しに加湿器を消して炊飯してみると、ガスの火は青くなり、問題なくごはんが炊き上がった。

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青色の火と赤色の火では温度が違うのだろうか?そこで、青色の火と赤色の火でそれぞれ強火で加熱したフライパンの同一点を放射温度計で計測してみた。すると、赤色の火は青色の火よりも30度ほど低かった。

 

とは言え、私の台所実験では正確かどうか心許ない。そこでガス会社と仕事をしている友人にお願いしてガス会社の社長さんに質問していただいた。すると、たしかに赤い火は青い火よりも温度が低くくなるとの回答だった。

 

それ以来、鍋で炊飯する少し前から加湿器を止めるようにしている。少しの温度差で炊き上がりが変わってしまうとは、炊飯はなんと繊細なんだろう。

 

ちなみに、愛用中の土鍋の蓋が壊れてしまい新しい蓋と交換していただいたところ、以前の蓋よりも安定感が生まれてうまく炊けるようになった。気のせいかなと思ったが、キッチンスケールで測ってみると蓋が43g重くなっていた。炊飯は本当に繊細だなあと思う。

飯糰を作ってみた

ついに作った「飯糰(ファントゥアン)」。

以前に「日本の油條は仙台名物の…」で書いておきながら、油麩を使った飯糰をまだ作っていなかった。

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本場とは具材の種類や量などが違うけど、これはこれでおいしい。

お米は群馬県藤岡市山口俊樹さん・あきらさんの「紅白もち米(玄米)」。油條の代わりに仙台名物・油麩。そして、煮卵。あとは、前日の晩ごはんで残ったおかず(このために濃いめの味付けにしておいたほうれん草の煮浸し、ごぼうの甘辛炒め)。本場は油條や煮卵やデンブや切干大根などが入っていたけど、今回はあり合わせ。飯糰というか飯糰風。

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残念ながら、油麩の食感は期待通りではなかった。糯米の熱気や具の水分でフカフカになってしまったのだ。やはりサクサク食感に油條は不可欠であった。油條はすごい。

 

2合の糯米で3本しかできなかったが、台湾の飯糰のようにもっと薄く敷けば4本はできたかも。ちなみに台湾の飯糰はもっと具材がたっぷりだった。台湾のお店の人は簡単そうに作っていたが、意外に難しい。

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台湾では白米の糯米で作った飯糰と、黒米(玄米)混じりの糯米で作った飯糰を食べたが、個人的にはプチプチ食感が楽しめる玄米糯米が好み。これを作るためだけに玄米糯米を常備したいとさえ思えた。基本的に糯米よりもうるち米が好きなのだけど、不思議なことに飯糰は「糯米だからこそおいしい」と感じる。糯米を薄く敷くからダマになりづらいし、重たくなりすぎないのかもしれない。

 

そして、何よりも飯糰の一番の魅力はこの大きさ。大きなおむすびを大口開けて食べる喜びを味わわせてくれる。これがもっと小さかったらそこまで魅力を感じない。日本のおむすびでも小さいおむすびを食べるよりも、大きなおむすびにかぶりつくほうがお腹も心も満たされる。「食べ方」もおいしさの一つなのだと改めて感じる。

窒素ガス充填米のおいしさはいつまで?

窒素ガス充填しているので精米日から6ヶ月以内はおいしく食べられる…とパッケージに書かれたお米を昨年9月にスーパーで購入しておいた。

 

そして、6ヶ月経過まであと少しになったのでついに2月15日に食べてみた。

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ふけていた(※)。生米の状態からすでに香りにふけ感があったので、念入りに研いだ。それでもやはりふけていた。炊き上がりは古米臭がして、ツヤはない。しゃもじがサクサク入り、ほぼ粘りがない。

(※「ふける」=劣化している)

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でも念入りに研いだおかげか、ふけているけど、精米日6ヶ月経過にしては“ふけ度合い”がそこまでひどくはない。窒素ガスが充填されていなかったらもっとひどかったかも。それでも白飯で食べるのはちょっとつらい。

 

窒素ガス充填は6ヶ月もたないけど、もしかしたら経過期間がもう少し短ければ「おいしく食べられる」のかもしれない。

 

翌日、同じスーパーで同じ商品が売っていて、精米年月日から1ヶ月経過していた。早速買って試してみた。

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まったくふけていなかった。常温なのにすごい。

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窒素ガス充填した場合は何ヶ月後からふけるのか気になる。いろいろ検索してみると、窒素ガス充填したお米の商品説明を見つけた。そこにはこう書かれていた。

 

「精米したての風味が保てるのは約3ヶ月。そこから徐々に風味は落ちていくのですが、6ヶ月くらいはおいしく召し上がれます」

 

「風味は落ちる」のに「おいしく召し上がることができる」のはなぜなのか。風味が落ちるのであればパッケージには「精米日から3ヶ月以内はおいしく食べられる」と表記すべきだろう。

 

お米の劣化速度は「保存環境+米質」によって変わる。つまり、その年によって劣化速度は変わる。また、精米前の玄米での保管状態、収穫から経過した日数なども劣化速度に関係してくる。そして、スーパーなど販売店舗では夜間は冷暖房を切る。そう考えると、夜間に気温が下がらない地域や年は劣化しやすい環境だと言えそうだ。

 

ただ、窒素ガス充填したお米がどれほど室温(気温)の影響を受けるのか分からない。同じお米で窒素ガス充填したものとしないものを比べることができればいいけど、窒素ガス充填機を持っていない。

 

いずれにしてもお米の劣化速度は保存環境と米質によって違うことを思うと、日本のお米のパッケージに消味期限ではなく精米年月日が記載されている所以がよく分かる。

 

窒素ガス充填された1月15日精米のお米は本当に「3ヶ月は精米したての風味が保たれる」のかどうか。4月上旬に炊飯してみるつもりだ。

実験はゆるやかに続く。

仏事めし「白ふかし」

おむすびを買いに郡山市「たけや」を再訪したが、13時過ぎでほぼ完売。目当てのおむすびが買えず残念だったけど、大豆のような豆が混ざったおむすびを発見した。2月だから節分にちなんで豆ごはんだなと踏んだが、違った。

 

「白ふかしです」と店員の女性は教えてくれた。「白ふかしって何ですか?」と尋ねると、「仏用の赤飯です」と教えてくれた。

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左の3つが「たけや」の「白ふかし」。ちなみに右は「わかめごはん」

夫はどういうわけか、葬式まんじゅうや「黒飯」など葬式だけでしか食べられないものが好きらしい。私もどういうわけか、赤飯よりも黒飯が好きだ。ちなみに黒飯とは小豆やささげを糯米と一緒に蒸した米料理。赤飯と違って豆の煮汁を使わないのでごはん粒が赤く染まらない(過去に書いた「葬式まんじゅうと黒飯」)。

 たけやに白ふかしがあったということはどこかで不幸があったからかもしれず、喜んでいいのか分からないけど、〝仏事飯〟が好きなわれわれ夫婦は喜んで白ふかしを買った。

 

食べてみると、しっとり軟らかい糯米のおこわにほくほくと粉質の白いんげん豆が混ざっている。米粒がうっすらと黄色味がかっているのは白いんげん豆の煮汁なのかもしれないけど、豆感が強いわけでもなく、非常に素朴な味わい。おむすびの側面には白ゴマがパラパラとかけられている。

 

私が住んでいる町では仏事で黒飯を食べるが、隣接する地域でまったく違う仏事飯があることに驚いた。ヨメに来る前は黒飯の存在すら知らなかった。

 

ちなみに、赤飯は黒ゴマのゴマ塩だけど、白ぶかしは白ゴマらしい。黒飯は何ゴマをかけたかなあと思って調べてみたら、そもそも小豆やささげではなく黒豆を使った黒飯もあるらしく、その黒飯には紅生姜を添える場合もあるそうで驚いた。

 

最近はコンビニやスーパーが季節行事ごとに行事にちなんだ商品を売り出すこともあり、華やかな場の料理は作られ食べられ認知されやすいように思うけど、仏事に食べられる料理は仕出しのオードブルや寿司などに追いやられ、また、仏事飯を仏事以外の時に食べるのは縁起が悪いように感じられるのか、なかなか作られたり食べられたりする機会が少ない。

 

そして、赤飯は祝い事に関係なく販売しているおむすび屋や惣菜屋があるように、また、デパ地下のケーキは誰かの誕生日でなくても売れるように、華やかな場の料理は意外と日常になじんでいる。

 

日本各地の仏事飯(お米料理)を調べてみたら地域性が見えて、きっとおもしろいに違いない(と言ったら不謹慎だろうか)。

お米の「研ぎ」を検証してみた

数年前に「お米の研ぎ」について実験したのだけど、ブログに書いていなかったので、記録として書いておこうと思う。

 

かつて精米技術が発達していなかった時代は、お米は「研ぐ」ものだった。

でも、「現在はぬか切れが良いため、さっと米を泳がせて『洗う』感覚で十分!」と言われている。

 

しかし、どの程度洗うかは、米質次第だと思う。精米が悪くて肌ぬかが付着している場合や、精米歩合がお米に合っていない場合、あるいは精米してから時間が経ち過ぎてしまった場合は、もう少し丁寧に洗う必要がある。

以前にある取材で、顕微鏡で拡大した米肌の細胞の状態を見て、精米と洗米によって、米肌が大きく変わることを知り、それ以来、米肌の細胞の様子をイメージしながらお米を洗うようになった。

 

とは言え、肌ぬかがとれているかどうかを目で確認することはできない。炊飯してみて古米臭を感じたり、表面のツヤが悪いように感じたりしたら、洗米時に両手の手のひらで優しくこすってぬかを取るように洗う必要がある。ただし、この作業は最初だけ。あとは、2、3回ほど水を替えるだけで良い。ちなみに、お米は薄いワイングラスのごとく“繊細な割れもの”として丁寧に扱う必要がある。

 

若干の古米臭が気になった米を、この洗い方で再度炊飯してみると、古米臭が消えておいしく食べられるようになった。おそらく、米の表面に付着した肌ぬかが酸化していたのだと思う。香りや表面のツヤだけでなく、舌触りや食感まで良くなった。さらにお米の表面だけが溶けて芯が残ったような“外軟内硬”だったごはんが、研ぎ方ひとつでふっくらと炊きあがった。

 

米を洗う時に注意したいのは、決して力を入れないこと。ごしごしこすると米が割れてしまうため洗米は慎重に。洗米の時点で割れていなくても、目に見えない小さなひびが入ると炊飯時に釜の中で割れてしまい、べちゃっと口当たりの悪いごはんに炊きあがってしまう。また、お米と水の温度差で炊飯中の割れにつながる可能性もあるため、お米の保管は冷蔵庫、洗米の水は冷水を使うとベスト。ちなみに、雪国の現在(1月)の水道水は6.7度、冷蔵庫に入れておいた水は7.2度だったので、水道の浄水でも大丈夫だけど、夏場はできれば冷蔵庫に入れておいた水を洗米に使ったほうがいいと思う。

 

 

水を変える回数についてはいろいろな説があるけど、お米ごとに違うため、回数で決めるよりは、そのお米の様子を見て判断したほうが良い。旨みよりもすっきりとクリーンな味わいにしたい場合は濁らなくなるまで水を替えても良いのかもしれないけど、個人的にはお米のポテンシャルを引き出す炊き方ではないと思っている。米の旨みを残すためには、多少の濁りは旨みととらえ、ある程度の肌ぬかが取れたであろう時点で洗米をやめたほうが無難だと思う。

 

そして、実際に洗米を変えて炊き比べてみた。

 

一つは、水の中で優しく5回、両手の手のひらでこすり合わせて洗った後に、水を3回変えた。水の濁りはほぼなくなったが、若干の濁りは残った。

 

もう一方は、水の中で優しく15回、両手の手のひらでこすり合わせて洗った後に、水を何度も変えた。何度変えても若干の濁りが取れないため、途中で再び10回、両手の手のひらでこすり合わせて洗った後に、何度か水を変えると、ようやく水が透き通った。

 

食べてみると、水に多少の濁りを残したほうは、ふっくらとして、米の表面におねばがあり、舌に乗せたときの甘み、のどで感じる旨みがあった。

 

水が透き通るまで洗ったほうは、舌触りはなめらかだったが、ふっくらとした炊きあがりではなく、米の表面がぬめっと溶けているような感じ。味は淡白でスッキリ。旨みがなく、お米というよりも、水を食べているようで、時折、水の味が金属のような味に感じられた。冷めると、米粒が崩れてダマになってしまった部分もあった。

 

成分分析はできないけど、手のひらでこすり合わせて浮いた肌ぬかは、2回も水を変えれば取れると思われるため、何度も水を変えても濁るものは、さすがにでんぷんではないだろうか…と感じられる食べ心地だった。研ぎ過ぎ、水の替え過ぎは、米のうまみ層のでんぷんも流してしまうのではないだろうか。

 

というわけで、成分分析をせずとも、どこまでが米ぬかで、どこからがでんぷんを流しているのか、探ってみた。

 

水に3合の米を入れて、まずはさっと流す。これが1回目。その後、新しい水をたっぷりと入れて、ささっと手で軽くかき混ぜて流す。これが2回目、その後、3回目、4回目、5回目と水を替えていく。すると、2回目、3回目の水は白色に濃く濁った。若干黄みがかっている。4回目からは濁りは薄くなり、黄みはなくなった。そのまま1日置くと、2、3回目の水には底のほうにたっぷりと粉が溜まっていた。4回目になると粉は少なくなり、5回目になると粉はほんのわずか。6回目の水になると、水は薄く白濁りしていても、粉はまったく溜まっていない。

 

今度は、1度水をさっと流した後に水の中で米を優しく両方の手のひらで5回こすり合わせてから、何度か水を替えてみた。すると、2回目の水だけが黄みがかった白色に濃く濁った。そして、底に溜まる粉を見ると、4回目はわずかに、5回目の水は薄く白濁りしているものの、まったく粉は溜まっていない。

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この結果から推測できるのは、米の表面についた肌ぬかは、洗水の2、3回目にほぼ流すことができ、その後に水を白く濁らせているのはでんぷんではないだろうか…ということ。

 

ただし、精米によって肌ぬかの残り方、水の濁り方はずいぶん変わる。ちなみに今回は、米店で精米した米ではなく、大型工場で精米されたJAの米をあえて使ってみた。

 

たくさん研ぐことで、米内部のでんぷんの甘みは感じられても、表面の旨みを落としてしまっては、味気ないごはんになってしまう。以前に青果卸売会社の野菜ソムリエから「果物は甘ければ良いわけではなく、酸味とのバランスが大切」という話を聞いたことがある。お米も甘さだけではなく、旨みや若干の雑味とのバランスが「おいしさ」につながる。だからこそ、お米の研ぎ過ぎはせっかくの米の持ち味を落としてしまうと感じている。

「たけや」のおむすび

郡山市にある「たけや」におむすびを買いに行ってきた。

 

以前から気になっていたけど、なかなか行く機会がなかった。ようやく機会が巡ってきたので、張り切ってまずはネットで下調べ。

 

すると、「並んで買えた」という人もいて、人気がうかがえた。たしかに到着すると数人が店の前で並んでいる。「人気」と聞くと「本当に?」と思ってしまうひねくれた性格なのだけど、軒先の「おにぎり だんご たけや」と白抜きされた青色のれんに心を掴まれた。おむすびをまだ食べても見てもいないのに期待が高まる。

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店内に入ると、おむすびよりもおはぎや団子が店のセンターを陣取っていた。壁側の棚にはおむすびがずらり。おはぎや団子は冷蔵のガラスケースに入っているけど、おむすびが並ぶ棚のガラス戸は開け放し。ごはんか乾かないか心配だけど、たしかに次々と売れていくから開けておきたいよね。冷蔵のガラスケースからでなく棚からおむすびが取り出される図もとてもいい。

 

白い割烹着姿の女性従業員たちがきびきびと動いていて、店の狭さに対して従業員が多いように感じた。恵比寿の定食屋「こづち」や神田淡路町の「神田志乃多寿司」など、昔ながらの良い店は従業員の方がたくさんいる印象なので、この店もきっと良い店なんだろうなあと思った。

 

その予感どおり良い店だった。忙しそうな女性従業員におそるおそる「味ごはん(炊き込みごはん)はお肉入っていますか?お肉食べられないんですが…」と尋ねると、大袈裟なジェスチャーを交えて「大丈夫!」と言った後に具材をすべて教えてくれた。とても忙しそうなのに、とても丁寧に。

 

肉は入っていなかった。なんだかほっとした。ほっとしたのは肉が入っていなかったからだけではなく、女性従業員の「大丈夫!」の受け応えにほっとしたのだと思う。

 

選んだのは、生姜、高菜、鮭、味ごはんの4つ。夫は生姜の他に好物のいなりずしやおはぎなどを食べた。

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われわれの意見は「ごはんだけを見るとイマイチ。だけど、おいしい」。そして夫は「今まで食べたおむすび屋の中で一番うまいと思った」と言った。なんとなくその意味がわかる。

 

夫がおむすびに求めるものはごはんのおいしさではなく、店の雰囲気も含めた、おむすびからそこはかとなく漂うもの。それは何なのか、夫と一緒に言語化を試みた。懐かしさ?安心感?素朴さ?どれも間違いではないけど、どんぴしゃりでもない。なんかいいよね、ということなのだ。

 

それでも私のナンバーワンおむすびはやはり別の店。でも、このお店もナンバーワンだと思った。明らかに矛盾しているけど、ナンバーワンは一つではない。

 

その日以来、「郡山」と聞くと「たけや」と連想してしまうほど、「たけや」に恋してしまった。