柏木智帆のお米ときどきなんちゃら

元新聞記者のお米ライターが綴る、お米(ときどきお酒やごはん周り)のあれこれ

食べ残しを食べる

子どもが食べ残したものを親が食べている光景に、漠然とあたたかいものを感じる。

 

子どものころラーメン屋に行くと、父は「瓶ビール」と「レバニラ」と「ラーメン」と「半ライス」を頼んだ。父がビールでレバニラを楽しんでいる横で、私は半ライスの上にラーメンの麺だけを乗せて食べ、残りの麺や具やスープはレバニラを食べ終わった父が食べる…というのが定番だった。

 

他の店でも私が食べきれないものは、いつも残り物を父が食べてくれていた。

 

私が箸を付けたものを食べてくれる……というのは、少なくとも私のことが嫌いではない証明であると感じる。親子ならば当たり前と言われるかもしれないけど(ちなみに母も食べてくれる)。

 

大人になってからは、焼いたブリやシャケを食べているときに父から「皮もちゃんと食え」と言われても、かたくなに皮を残している。すると、父が皿にべろんと残った皮を食べてくれる。

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魚の皮は苦手

先日、食事会であいかわらず焼いたブリの皮を残した私に「柏木さん、食べないの」と言って、ひょいと皮を食べてくれたある社長がいた。私は思わず「お、お父さん…」と心の中でつぶやいた。

 

私はおそろしくネガティブな人間なので、じつは常に「この人から嫌われているのでは…」と思うところから人間関係がスタートしているのだけど、ああこの社長からは嫌われてないと思ってほっとした。

 

昨晩、がんもどきを揚げたら、思いのほか大きく作り過ぎ、1個食べたらお腹いっぱいになってしまった。それでも目が食べたくて、お皿に2個目のがんもどきをとって、おろし生姜を乗せて、醤油をかけたところで、あ、やっぱりお腹いっぱいだと気づいてしまった。「これは明日食べる…」と言って残そうとしたら、夫が「明日はこっちの新しいがんもどきを食べたらいいよ」といって、醤油まみれのがんもどきを食べてくれた。

 

人生において「こいつの食べ残しを食べてあげてもいい」と思ってくれる人は何人いるのだろうか。人によって、「誰のでも食べられる」という人もいれば「いや、たとえ配偶者のでも食べない」という人もいるかもしれないけど。1人でも2人でも私の食べ残しを食べてくれる人がいることはきっと感謝すべきことなんだと思う。